← Library‹ 物のかたちのバラッド 後悔を同封します

残暑ざんしょは昨日きのうが最後さいごだったのではないか。半袖はんそでのシャツは風かぜを受うけとめる。その風かぜは袖口そでぐちから腕うでの裏うらへ、そして肩かたのほうまで、夏なつの終おわりを感かんじさせる。秋あきだ、と高杉たかすぎ俊介しゅんすけは胸むねのなかで言いった。この秋あき深ふかく、彼かれは四十よんじゅう五ご歳さいになる。夕方ゆうがたの六ろく時じちょうどだが、すでに暗くらい。夜よるだと言いっていい。事務じむ所しょまで戻もどって来きた彼かれはエレヴェーターで四よん階かいへ上あがった。

事務じむ所しょには木村きむら恵理子えりこがひとりでいた。美人びじんの恵理子えりこは見みるたびに印象いんしょうが異ことなる、と高杉たかすぎは思おもっている。だから今日きょうの恵理子えりこは今日きょうの恵理子えりこだ。彼女かのじょは彼かれが主宰しゅさいしているこのデザイン事務じむ所しょの、いろんな意味いみにおけるチーフ格かくだ。仕事しごとは出来できる。まかせて安心あんしん、というタイプだ。型かたのなかにうまくはめるデザインではなく、その外そとへ魅力みりょく的てきにはみ出だすデザインで、これは多おおくのクライアントに好評こうひょうだ。総勢そうぜい七なな人にんの事務じむ所しょをまとめる能力のうりょくも、彼女かのじょは充分じゅうぶんに持もっている。仕事しごとは手ていっぱいだ。契約けいやくデザイナーをさらにふたり増ふやす話はなしを恵理子えりこはしている。夏なつのあいだずっと、事務じむ所しょは忙いそがしすぎた。明日あすから一いち週間しゅうかん、事務じむ所しょぜんたいが遅おそい夏休なつやすみとなる。現場げんばの責任せきにん者しゃとして、恵理子えりこはひとり事務じむ所しょで高杉たかすぎを待まっていた。

「みんな帰かえりました。今日きょうはこれでおしまいです」

「僕ぼくもすぐに出でる。お疲つかれさん」

「いろんなところにすべて連絡れんらくはしてありますから、休やすみのあいだ、不ふ都合つごうは起おきないはずです」

「なにかあったら僕ぼくの責任せきにんだ」

「島田しまだ小夜子さよこさんというかたから、ついさきほど電話でんわがありました」

「僕ぼくに」

「はい」

「予定よていどおりでよろしいでしょうか、という確認かくにんのお電話でんわだとおっしゃってました」

「そうだ、僕ぼくから電話でんわをしておかなければいけないんだ」

恵理子えりこは椅子いすから立たち上あがった。椅子いすをデスクに寄よせ、

「まだここにいらっしゃいますか」

と、言いった。

「その電話でんわをしていく。どうぞお先さきに」

「明あかりを消けすだけでいいようになってます」

「ありがとう。ほんの一いち週間しゅうかん、のんびり過すごして」

「高杉たかすぎさんも」

「島田しまだ小夜子さよこさんというのは、僕ぼくのかつての奥おくさんだよ。再婚さいこんしていまでは子供こどもがひとりいる。自宅じたくを建たてたので、そこに僕ぼくは招まねかれている」

「なぜですか」

と、恵理子えりこは訊きいた。

恵理子えりこは質問しつもんの意味いみがときどきわかりにくい。彼女かのじょの特徴とくちょうのひとつだ。離婚りこんしたかつての夫おっとを、新築しんちくの自宅じたくへなぜ招まねくのか、というような意味いみだろう。

「離婚りこんはしたけれど、顔かおを見みるのも嫌いや、声こえも聞ききたくない、という関係かんけいではないから。自分じぶんの現状げんじょうが、いろんなかたちで間接かんせつ的てきに僕ぼくに伝つたわるのではなく、直接ちょくせつに見みせたり話はなしたりしておきたいのだろう。自宅じたくを建たてた、というような節目ふしめなら特とくに」

恵理子えりこは帰かえっていき、高杉たかすぎは事務じむ所しょのなかでひとりになった。自分じぶんのデスクへいって椅子いすにすわり、デスクの上うえにあるさまざまなものを整理せいりした。三十さんじゅう四よん歳さいのときに彼かれは小夜子さよこと結婚けっこんした。そして五ご年ねん後ご、三十さんじゅう九きゅう歳さいのときに離婚りこんした。四よん歳さい年下とししたの小夜子さよこはそのとき三十さんじゅう五ご歳さいだった。次つぎの年としに彼女かのじょは再婚さいこんし、さら一いち年ねん後ご、子供こどもを生うんだ。それから四よん年ねんが経過けいかし、いまの小夜子さよこは四十よんじゅう一いち歳さいだ。

新築しんちくした自宅じたくに高杉たかすぎは招まねかれている。ごく個人こじん的てきな、親したしい雰囲気ふんいきすらともなうはずの、ごく普通ふつうの夕食ゆうしょくへの招待しょうたいだ。夫おっとの島田しまだという男性だんせいに、高杉たかすぎはそこで初はじめて会あうことになる。四よん歳さいのひとり息子むすこの姿すがたも見みることになるだろう。小夜子さよこの手て料理りょうりを食たべるのはいつだって楽たのしみだ、と思おもいながら高杉たかすぎは時計とけいを見みた。そしてアドレス・ブックを開ひらいて番号ばんごうを見みながら、彼かれは島田しまだ小夜子さよこの自宅じたくに電話でんわをかけた。

「はい、島田しまだです」

と、男性だんせいの声こえが電話でんわに出でた。

高杉たかすぎは名なを名乗なのり、簡単かんたんに挨拶あいさつした。島田しまだは気きさくに応対おうたいした。

「小夜子さよこはいま隣となりの実家じっかへいってます。僕ぼくの実家じっかです。今夜こんやはそこで夕食ゆうしょくなものですから」

と、島田しまだは言いった。

「小夜子さよこさんが料理りょうりの担当たんとうですか」

「はりきってますよ」

「夕食ゆうしょくにご招待しょうたいを受うけてます。新築しんちくなさったご自宅じたくに」

「聞きいてます。お見みえいただけますね」

「予定よていどおりうかがいます、とお伝つたえください。今日きょう、確認かくにんの電話でんわをいただきまして」

「電話でんわさせましょうか」

「お伝つたえいただければそれで充分じゅうぶんです」

電話でんわを終おわってからも、彼かれはデスクに向むかって椅子いすにすわったままだった。一いち週間しゅうかんの休やすみのための整理せいりを、彼かれは続つづけた。

高杉たかすぎ俊介しゅんすけが主宰しゅさいしているのはデザイン事務じむ所しょだが、彼かれはデザイナーではなく本来ほんらいは絵えを描えがく人ひとだ。デザインの仕事しごとは苦くにならないし、こなしていかざるを得えないのだが、彼かれ個人こじんが引ひき受うける仕事しごとは、絵えを描えがいてなおかつそれをいかにデザインするか、という領域りょういきに最近さいきんでは限定げんていすることにしている。

フリーランスのイラストレーターとして二十にじゅう代だいを過すごし、三十さんじゅう歳さいのときに引ひき受うけた週刊しゅうかん誌しの連載れんさい小説しょうせつの挿絵さしえの仕事しごとから、彼かれは急きゅうに忙いそがしくなった。挿絵さしえを描えがき、それを誌面しめんぜんたいにいかにデサイン的てきに処理しょりするかに、彼かれは心こころを砕くだいた。そしてその出来できばえは時代じだいの要請ようせいに合致がっちしていたのだろう、さまざまなイラストレーションの仕事しごとが彼かれの手てもとに発生はっせいし、それをすべてこなすという多忙たぼうな日々ひびがそこから始はじまった。事務じむ所しょを設立せつりつしたのは一いち九きゅう七なな四よん年ねんのことで、小夜子さよことの結婚けっこんもおなじ年としの出来事できごととなった。

日常にちじょう生活せいかつのなかの時間じかんの配分はいぶんを、規則きそく的てきに一定いっていさせるのが小夜子さよこの基本きほん方針ほうしんだった。きちんとした静しずかな生活せいかつが、安定あんていして続つづくのを彼女かのじょはなによりも望のぞんだ。彼かれとの結婚けっこん生活せいかつはその正せい反対はんたいとなった、というほどではないのだが、いろいろあった。すべては自分じぶんがいけない、といまの高杉たかすぎは思おもっていた。いたらなかった、という平凡へいぼんな言いいかたが、もっとも無理むりなくあてはまる。自分じぶんは気きが利きかなかった、それにつきる、という思おもいのなかに、消きえることなくいまも続つづく苦にがさのようなものが、離婚りこんして以後いごの高杉たかすぎを独身どくしんのままにしていた。

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