三崎順子から深町の自宅に電話があった。玩具の残りをお渡ししたい、という用件だった。新宿まで出るついでがあるので、その日に新宿でお会い出来れば、と順子は言った。
「大きな荷物になるでしょう」
「それほどでもありません」
「僕がうかがいますよ」
「用事がありますので、それと併せて、と思いました。絵の資料ですから、気になっておりました」
「ラフ・スケッチは出来てます」
「そうなのですか。こんなに早くに。ではぜひとも、そのことも併せまして」
伊勢丹に用があり、その正面入口ならわかりやすくていい、と順子は言った。だからそこで待ち合わせることにした。ふたりは時間をきめた。
その日、時間どおりにそこへいくと、三崎順子はすでに来ていた。先日とおなじ包装紙でくるみ、紐をかけた荷物が彼女のかたわらにあった。先日よりもサイズは大きいように思えた。
「これで全部なの」
荷物を指さして彼女は言った。
「伝票を起こしたわけではないので、返却は必要ないと思うのよ。いただいときなさいよ」
「それもいいね。自宅にあるのは、すべて詳しく観察しました。良く出来た玩具ですね」
待ち合わせの時間は夕食の時間でもあった。伊勢丹で用事を済ませたら中村屋でチキン・カレーを食べたい、と彼女は言った。
「一度だけ食べたことがあるの。とってもおいしくて、また食べたいと思っていて、なかなか機会がなくて。今日は食べたいわ」
「ではチキン・カレーを食べましょう」
「ここの呉服売り場に用があるの。母に頼まれた帯留を買うのよ。それだけ。つきあって。それともここで待っててくださる?」
深町はつきあうことにした。荷物を持ち、彼女のかたわらを歩いた。エスカレーターで上がっていくのが好きだと彼女は言い、呉服売り場までエスカレーターを乗り継いだ。売り場の中年の店員とのやりとりを、深町は聞くともなく聞いて過ごした。彼女の母親が使う帯留ではなく、親戚の人への贈り物であり、どのような帯留なのか母親が細かく指定したようだ。店員との気さくなやりとりは要領が良く、無理なく積み重なっていく論理は的確な結論を引き出した。彼女は帯留を買うことが出来た。支払いをして包装してもらい、店員は彼女と深町をエスカレーターまで送った。
伊勢丹を出て中村屋へと向かった。そしてそこのレストランでチキン・カレーを食べた。その席で彼はラフ・スケッチを見せた。その出来ばえに順子は感嘆していた。
中村屋を出て深町は順子をミロンガへ誘ってみた。順子は熱意を示した。
「いってみたいわ。どんなところかしら。新宿のバーなんて、初めてよ」
ミロンガまでふたりは歩いた。彼女と肩をならべて歩くときの、自分の歩調との一致のなかに、知り合ってからこれでまだ二度である彼女という人の、奥行きのようなものを彼は感じた。ミロンガには男の先客がふたりいた。ひとりは小説雑誌の加納という編集者、そしてもうひとりは、加納とおなじ世界で仕事をしている飲み仲間だった。
深町は順子を加納に紹介した。あの玩具製作会社の副社長として活躍している人が、加納の昔からの親しい知り合いだという。アメリカ向けのクリスマスのカタログの仕事は、加納から副社長を経由して、深町に依頼されたものだった。
「そうか、こんなきれいな人が担当なのか。それでもうおふたりはデートかい」
「今日はラフ・スケッチをいただきましたの」
「何度でも描いてもらうといいよ。そのたびにデートしてさ。カレー・ライスくらいおごってくれるよ」
加納のその言葉に順子は声をあげて笑った。華やいだ明るい笑いかたにはくっきりとした輪郭があり、その輪郭は彼女の性格であると同時に、無理なく身についている人あしらいの巧みさでもあった。
「私たち、中村屋でカレー・ライスを食べて来たのです」
「きみは彼女におごってあげたか」
加納が深町に言った。
「僕が支払いました」
「よし、よし」
「そうだ、加納さんに見せるものがあるのです」
深町は鞄を開き、なかからスケッチ・ブックを取り出した。この鞄のなかにこれはいつでもかならず入れてあった。スケッチ・ブックを開き、はさんであった絵を取り出し、深町はそれを加納に差し出した。受け取った加納はそれを見た。そして、
「あー」
と、語尾を長く引っぱった。
「あー。これはいい。これは、素晴らしい」
「江利子さんの花模様のシャツです」
「うーむ。四月のとても暑い日、この店の中野江利子はこのシャツを着てここにいた。ほら」
その絵を加納はカウンターのなかの江利子に見せた。
「あのシャツだわ。しかも、シャツの下にあるのは、まさにこの私の体なのね」
「透視が出来てしまうからね、すぐれた画家という種類の人には。ちょうどこの位置だよ。正面のちょっと左にずれたところに江利子がいて、ほら、うしろの棚にジョニ黒の瓶がある」
加納の言うとおり、この店のカウンターのなか、いま江利子が立っている位置に、四月のある日、花模様のシャツを着て、おなじ江利子が立っていた。カウンターとその上に置いた彼女の右腕、そして花模様のシャツの胴から胸、そして肩にいたるまでが、深町の描いた絵のなかにあった。シャツの花模様に、美しくはかなく、彩色がほどこしてあった。
「自分で見ると、よけいに自分の体を感じるわね。このシャツを着ている、この自分の体」
「美人の体が持つ、秘密の量感というか奥行きと呼ぶべきか、そういうものを確かに感じるね。目で絵を見ているだけなのに、体を接し合わせて感じ取っているような」
そう言ってかたわらの飲み仲間にその絵を見せた加納は、いきさつを説明した。