いただいたラフ・スケッチに会社は全面的に賛成している、という連絡が順子から深町のところにあった。だから深町は二点の絵を仕上げた。表紙の絵は、玩具店のショー・ウインドーに玩具が魅力的にならんでいる光景だった。それを男の子供が熱心に見ている。まだ小さい弟が、必死に背のびして、兄の視線をたどろうとしている。ふたりの背後に美しいアメリカのお母さんの姿が見えている。フォルダーを開いた見開きに使う絵は、クリスマスの日の家庭の居間だ。玩具店のウインドーを熱心に見ていた男のこが、ウインドーの棚にあった玩具のひとつをプレゼントにもらい、夢中になっている。大きな旅客機だ。幼い弟は兎のぬいぐるみをもらった。片方の耳でそのぬいぐるみを持った弟は、兄がかかげ持っている旅客機を見上げている。お父さんが絵の右側に、そしてお母さんが左側にいる。そして彼らの背後には、丁寧に飾りつけられたクリスマス・トゥリーが立っている。
仕上げた絵を深町は順子の会社まで持っていった。文句なしに気に入りました、と部長の杉浦は言った。他に三人の男たちが、二点の絵を見た。出来ばえに彼らも感嘆していた。昨年は日系二世のデザイン事務所に依頼してひどい目にあった、という話を彼らは深町に聞かせた。絵を受け取ってもらい、その仕事はそこで完了した。
「アメリカを知らない我々が見ても、まさにこの絵はアメリカですけれど、なにか資料に当たられましたか」
杉浦は深町にそんなふうに訊いた。
高校で同級だったヨシオの父親は、カリフォルニア生まれの二世だ。彼の自宅へいくと、納戸のなかにアメリカの雑誌が山のようにあった。『ルック』や『サタデー・イーヴニング・ポスト』といった家庭雑誌だ。それらの雑誌をヨシオとふたりで点検し、ディテールを丹念に拾い集め、それらを深町は合成して自分の絵として仕上げた。玩具は借り受けた現物をどれもそのとおりに描いた。そのようなことを深町は杉浦に説明した。
「アメリカで配布されますからね。この絵は引き写しだ、と指摘されるような心配は、ないでしょうね」
「ありません」
「あなたの創作物と言い切れますね」
「そのとおりです。とんでもないかけ離れたあちこちからディテールを集め、それを僕の創作した場面のなかの、おなじく創作の人物に当てはめているだけです」
男たちは引き上げ、順子と深町はふたりだけとなった。
「ほんとにありがとう。いい絵が出来てよかったわ」
建物の外へ、順子は深町を送って出た。数歩だけ歩いたところで立ちどまり、
「あと一時間で就業時間は終わりなの。どこかで会えない?」
「いいですよ」
北千住駅のすぐ近く、わかりやすい場所にある喫茶店の名を、彼女は深町に教えた。その場所を彼女は簡単に説明し、待ち合わせの時間をきめた。
「ミロンガは?」
「あれ以来、いってません」
「私、女の友だちと、いってみたの。新宿のバーへ自分でいくなんて、初めてで楽しかったわ。友だちも喜んでたの。江利子さんは私たちを歓迎してくださって。江利子さんって、素敵なかたね。二時間ほどお店にいたの。前半の一時間はお客さんが少なく静かで、江利子さんがいろんなお話をしてくださったわ。そして後半の一時間はお客さんが急に増えてにぎやかになって、それはそれでとっても楽しいのね」
「いつも楽しい店ですよ」
「それでは、のちほど」
順子は事務所の建物へ引き返し、深町は玩具工場の敷地を出た。北千住の駅までいき、順子が指定した喫茶店を見つけ、そこに入った。すぐに彼女があらわれた。ふたり用のテーブルで差し向かいとなり、順子はソーダ水を注文した。
「あなたは絵描きさんになるの?」
ストローをソーダ水のなかに入れながら、順子が訊いた。
「もうなってるわね。あれだけ巧いんですもの。でも、絵描きさんって、貧乏するんですって?」
「江利子さんがそう言ったのでしょう」
「そうよ。おっしゃってたわ」
「貧乏するかもしれません」
「でも私、貧乏はよく知ってるから、平気なのよ。よく知ってれば怖くないでしょう。柳原へ引っ越してからは安定してるけど、それ以前は長屋に住んだことだってあるし。学校へ持っていくおかねがなくて学校を休むとか、そんなことも経験してるのよ」
ソーダ水を飲み終わるまで順子はそのような話をした。そして飲み終わると、
「夕食の時間よ」
と、言った。
「いつもここまではバスで帰って来て、ここからは歩くのよ。駅の向こう側。柳原というところ。荒川の近く。赤羽に餃子のおいしい店があるの。でもそこはこの次にして、今日はうちで夕食になさったら?」
「お腹は空いてます」
「だったら、うちへいらっしゃいよ。母は誰が来ても驚く人ではないし。三軒隣がお惣菜屋さんで、揚げ物ならなんでもあって、どれもみなおいしいの。馬鈴薯のコロッケにメンチ・カツ、そして海老フライが、それぞれふたつずつもあれば、充分でしょう。野菜のお料理は母がかならず作ってるし、お汁があって漬物。白いご飯は母の自慢なのよ。茨城の実家がお米を送ってくださるの」
彼女が段取りをきめ、そのとおりに行動すると、すべては滑らかに進展していく。そのことのなかにある居心地の良さをいまも感じながら、深町は彼女とともに喫茶店を出た。
駅の東側は少しだけ不便なのだと彼女が言うその東側へ、ふたりはまわっていった。彼女と肩をならべて歩くときの、彼女から伝わってくる安定感のようなもの、そしてそれを受けとめる自分が彼女と分け合おうとすることによって明確となる、ふたりに共通したなにごとかを、深町は三崎順子の好ましい足音に感じた。
「母は家にいて、父は工場の職工なの。職人気質の人よ。班長ですって。これからは時代の大きな変わり目だから、なにかと大変なのだと、いつも言ってるわ。日本の人口がもうじき一億人になるんですって。妹がひとりいるわ」