「アイロンをかけてたとき、思いついたの。霧も素敵だなと、私は思いました」
リカが言った。
「霧もいいですね」
ハチミがなかば叫んだ。人の意見に賛成するとき、いつも彼女はなかば叫ぶ。彼女の名は初美という。はつみ、と読む。しかし、クラスの仲の良い仲間たちは誰もが、彼女をハチミと呼んでいた。
「でも」
ナナエがハチミとリカのふたりに言った。
「小さな霧吹きで、しゅっしゅっと、二度や三度吹いたくらいでは、リカはなくならないでしょう」
「そうね」
「大きな霧吹きを使うのです」
「誰が吹いてくれるの?」
「それが問題ですね」
「どこか広い場所で、私の全部が、いっきに霧になるの」
「それなら素敵」
「赤い霧」
リカが言った。
「赤がいいの?」
「すこし寒いような日で、空は曇っていて、しーんとして静かなのね。町ではなくて、どこか遠いところ。山のなかというわけでもないけれど、高原の奥のほうで、いったん峠のように高くなって、そこからすこし低くなった場所。見とおしのいい、広い場所」
「素敵です」
「高い崖みたいなところから、私は身を投げるの。すうっと落ちていく途中、自分の意志によるタイミングで、ぱっと霧になれるの。まっ赤な霧」
「誰も見てないの?」
「見てて。ハチミとナナエとトモには、絶対に見ててほしい」
「見ます。手袋をして、イア・マフをかけて」
「あ、可愛い。そいうの、トモにぴったり」
「ダッフル・コートを着て」
「そう、そう」
「リカは赤い霧になるのね。風が吹いて来て、その赤い霧が、さあっと空中を流れるのね」
「そうよ。でも、すぐに空間にのみこまれて、見えなくなってしまうの。私はそれで終わり」
リカがしめくくった。
「完全に見えなくなるまで、見ててあげます。安心してて。でも、見えなくなったら、悲しいな」
「写真に撮っておけばいいかしら」
「そうね」
「写真ですか」
「曇った空に、赤い霧がさあっと流れてるの。ほかの人が見ても、なんのことだかわからないわ」
「書いておいて。その写真の下に。私の名前を」
「リカは霧と消えた」
トモが言った。
「それがいい」
「赤い霧の午後、私たちはリカを見送りました」
ナナエが言った。
「それもいいね」
リカはうれしそうだった。
「赤霧リカの最後」
ハチミが言った。そして四人の少女たちは、はじけるようにいっせいに笑った。
「それが最高」
リカと呼ばれている彼女の名は、赤桐里花という。
「自分の名前から思いついたことなのかしら、霧になって死にたいというのは」
トモがリカにきいた。
リカは力をこめて首を振った。
「そんなことないのよ。人の言った冗談がやっとわかったみたいに、いま初めて自分でも気がついたの」
ほかの三人が楽しく笑った。
「ということは、リカは語呂あわせで死んでしまうのね」
ナナエが言った。
「悪くないよ」
「いいね。こういう洒落は、仲間のほかは、誰にもわからないから」
「TVの天気予報で言ってくれるといいな。なお本日、関東甲信越地方のとある一角で、午後三時十五分頃、赤い霧がさっと流れて消えるという、不思議な現象がありました」
「それは賛成」
「霧の色は赤なのね」
トモの質問に、
「リカには赤がいちばん似合う色だから」
とハチミが答えた。
掘りごたつのテーブルをはさんで、ナナエのむかい側にハチミがいた。ハチミからふと視線をはずして窓を見たナナエは、窓の外に降りはじめている雪を見た。
「あ、雪」
ほかの三人が窓をふりかえった。
「ほんとだ」
「降ってますね」
「積もるといい」
「大雪」
「そう!」
「学校、休み」
「明日は日曜だよ」
「だから、月曜まで降り続け」
「それなら積もるね」
「雪もいいな。死んだ私は、雪になるの。雪になって空から降って来て、どこかに積もって、太陽が出て来て溶けて流れて、あるいは蒸発して、それで私はおしまい」
「いいね。海に降ると、もっといい」
「山の奥に半年ほど積もってるのも、悪くないわ」
「冬に降って、夏になってもまだすこしあるの」
「会いにいけるわね、みんなで。手ですくってあげて、指先で触れて、ハチミ、ハチミと、名を呼んであげる」
「いいわ、それ。でも私は雪だから、返事は出来ないね」
ハチミが言った。
「丸めて球にして、みんなで雪合戦をしましょう」
「当たるとハチミのほうが痛いよ」
ハチミの自宅の二階にある五つの部屋のうちのひとつに、この四人の少女たちはいた。畳敷きの十畳の部屋だ。まんなかに掘りごたつがあり、彼女たちはこたつに入っていた。おなじクラスの仲の良いグループだ。四人とも十四歳だ。
「雪に色はつかないのかしら?」
トモがハチミにきいた。
ハチミは首を振った。
「色はつきません」
「どの雪がハチミなのか、わからないわ。どうしましょう」
「いいのよ、わからなくても」
「どれがハチミかしらと、私たちは捜すのに苦労するね、きっと」
「これだと思えば、それが私なのよ」
「降る場所をきめておいて」
「それは便利でいいね」
「みんなの家の庭に降ろう」
「時間をきめておかないと」
「そうだね」
「その時間に雪が降るのを、私たちは待ってるのね?」
多少の不満の気持ちをこめて、ナナエが言った。
「そうねえ。そういうことになるかしら」
「時間はきめないでほしいわ。朝、目が覚めたら雪が降っていて、どれがハチミかなと思いつつ、夜になってもまだ降っていて、ハチミはもう降ったかなと思いながら、私は眠りたいから」
「雪の結晶ひとつ、というのはどう」
「雪のひとひら」
「きれいね」
「平凡に美しい」
「結晶って、小さいでしょう」
「そうね」
「降りかたが難しい」
「そうね」
「花のなかに降ります」
ハチミが言い、ほかの三人はそれぞれに声を上げた。
「それはあまり感心しない」
「出来すぎよ。絵になりすぎ。イメージ先行」
「駄目か」
「それに、花は気持ち悪いです」
「花が不気味なときって、確かにあるからね」
「私の家の庭にある池に降るといいかもしれない」
「鯉がいますね」
「池の水の上に、雪の結晶がひとつ、はらりと落ちてそれでおしまい」
ハチミの言葉にナナエは首をかしげた。リカは、
「なるほど」
と言い、ナナエは首を振った。
「陳腐よ」
「そうかしら」