ハチミがひとりで部屋にいた。二階の東側の部屋だ。普段はなににも使っていない部屋だ。週に一度、母親は友人を集めて、この部屋で麻雀をおこなう。
部屋のまんなかに、ハチミはあぐらをかいてすわっていた。ショート・パンツに袖のないTシャツを、十四歳の彼女は着ていた。部屋を吹き抜けていく風が、彼女の肌に心地良かった。盛夏の寸前の季節だ。
受話器を耳に当て、ハチミはすでに三十分以上、電話で話をしていた。相手は中学校の同級生、リカだった。ふたりはいま、待ち合わせの場所と時間をきめようとしていた。
「出来るだけ暑い場所がいいよ。いっそのこと」
ハチミがリカに言った。
「そうね」
「私が知っている、いちばん暑い場所」
「ぜひそこにしようか」
ふたりとも好きでよくいくショッピング・センターのすぐ近くに、その場所はあった。
「駅を出て道路のほうへいくんだよ」
「ごちゃごちゃした広場があるよね」
「その広場を越えると、階段を上がって道路でしょう。国道かな」
「そうだね」
「その道路を、右へいく」
「川を渡るね」
「川は渡らないの。橋の手前のとこ。たもと」
「そこがいちばん暑いの?」
「毎年、夏のいちばん暑いときに、私はそこをとおる用事が出来るの。なぜだか、かならず。そしてそこを通ると、ものすごく暑い。いちばん暑い」
「そこで待ち合わせをするの?」
「今年はまだそこをとおってないから、なんとなくいってみたい。確認したい。ああ、やっぱりここはいちばん暑いところだ、という確認」
「そこで待ち合わせようか」
「そうしましょう」
「きめた」
「橋のたもとですよ」
「オッケー」
「ものすごく暑いから」
「だいじょうぶ」
「暑いだけではなくて、ほんとにうんざりする場所だから、覚悟してて」
「すぐに冷房のあるところに入ればいい」
「ショッピング・センターだよね」
「明日」
「午後三時」
「うへえ」
「そうですよ。いちばん暑い時間」
ハチミが笑い、電話のむこうでリカも軽やかに笑っていた。
次の日、約束した時間どおりに、ふたりは待ち合わせの場所へ来た。駅を出たリカが広場を越えて道路への階段を上がっていくと、ハチミがほんの数歩まえを歩いていた。
「ハチミ」
リカが呼んだ。
ハチミが笑顔でふりかえった。
「ハチミ、肥ったよ」
「わかってる。夏は肥るのよ。私の体質」
「おばさんになったら、夏は二サイズ大きな服を着て、たいぎそうに歩く人になるよ」
「私はもっと早く死ぬからいいの」
ふたりは歩道を橋にむけて歩いた。晴れて気温の高い、真夏の午後だった。前橋で午前中に三十八度五分、というニュースを外出するまえにリカはTVで見た。
うなりを上げて走る無数の自動車で、六車線の国道はびっしりと埋まっていた。道路の両側には建物が密集して重なり合い、その建物の三階あたりの高さを、何本もの電線が秩序なく走っていた。どの建物も、故意にそうしたかのように、思いっきり美しくなかった。陽ざしを照り返す道路の匂いのなかに、排気ガスが濃厚に立ちこめていた。
ふたりは橋のたもとまで歩いた。
「暑いね」
「それに、臭い」
「これはすげえや」
「すさまじい光景」
「絵葉書にするといい」
「誰も買いませんよ」
「そうね。でも、外人が買うかもしれない。私はいまこんなところにいます、とか書いてロッテルダムの母親に送るの」
ふたりは笑った。
橋のたもとでしばらくあたりを見渡してから、ふたりは川に沿った道へ下りていった。長く続く階段を下りきると、そこからの道は平坦だった。川のいちばん外側にある土手の上の、遊歩道のような道だった。
「ここも暑い」
「樹がないからよ」
「川には水がほとんどないし」
「川も臭い」
「でも、草の匂いはしてますね」
「夏草に、きたないほこりがかぶさった匂い」
「早く死にたい」
「私も」
歩いていく途中、かき氷を売っている屋台が一台だけ出ていた。褐色に陽焼けしたしわの深い初老の男性が、屋台の内側にすわって、手拭いで顔をふいていた。
「あの人も暑いのね」
「暑いでしょう」
ショッピング・センターの建物は、外から見ると殺風景で巨大な箱の、いくつもの連なりだった。川に沿って駐車場が広くあり、その内側にはさらに駐車のためだけの建物がいくつかあった。そしてその内側に、ショッピング・センターの建物が連なっていた。
ふたりはいちばん手前の建物に入った。冷房された空気に、ふたりは包みこまれた。
「少し歩いて体が涼しくなったら、なにか飲んで食べましょう」
「それがいい」
まず化粧室に、ふたりは入った。顔や腕を洗い、ペーパー・タオルを何枚も使って水を拭った。
「この液体石鹸は、使う気になれないね」
ハチミが液体石鹸の容器を示した。
「毒みたいな匂い。それに色も」
物を買う、なにか食べる、あるいは飲む、そのいずれに関しても、ふたりは好きな店を何軒か知っていた。どの店もふたりが共通して好いている店だった。そのうちのひとつに、やがてふたりは入った。
大きな観葉樹の影の、空気のよく冷えた席で、ふたりはケーキを食べた。ハチミはアッサム、そしてリカはダージリンを飲んだ。熱い紅茶はそれぞれ白い大きなポットにたくさん入っていた。
「トモとナナエも、この店が好きだったね」
「来てるかと思ったけれど、いないですね」
「どこにもいない」
「今日は会えるかな、といつも思うよ」
「学校でも、そう。あそこにいるかな、と思って走っていってみるけど、いないのね。ふっと会えそうな場所って、たくさんあるでしょう」
「そうなんだよ」
「コンサートとか」
「ばったり会って、えー、来てたの! と、おたがいにびっくりしてみたい」
「買物も、そうね。かならず来てるはず、と思って出かけていくのだけど、会えないです」
「どこにもいないのね」
「ナナエもトモも」
「私、ふたりの顔を忘れそうなの」
「私も」
「どんな顔をしてたか、思い出せないことがあるよ。そんな自分にびっくりして、心臓が止まりそうになります。呼吸が乱れて」
「私もおんなじ。食べものの好みや着るものの趣味なんかも、次々に忘れていくの。だから買物をするときには、ナナエやトモはこれが好きかな、などと思いながら買うの」
「私も」