何時の間にか、人が絽の羽織を着て歩く様になった。二三日、宅で調物をして庭先より外に眺めなかった代助は、冬帽を被って表へ出てみて、急に暑さを感じた。自分もセルを脱がなければならないと思って、五六町歩くうちに、袷を着た人に二人出逢った。そうかと思うと新らしい氷屋で書生が洋盃を手にして、冷たそうなものを飲んでいた。代助はその時誠太郎を思い出した。
近頃代助は前よりも誠太郎が好きになった。外の人間と話していると、人間の皮と話す様で歯痒くってならなかった。けれども、顧みて自分を見ると、自分は人間中で、尤も相手を歯痒がらせる様に拵えられていた。これも長年生存競争の因果に曝された罰かと思うと、余り難有い心持はしなかった。
この頃誠太郎はしきりに玉乗りの稽古をしたがっているが、それは、全くこの間浅草の奥山へ一所に連れて行った結果である。あの一図な所はよく、嫂の気性を受け継いでいる。然し兄の子だけあって、一図なうちに、何処か逼らない鷹揚な気象がある。誠太郎の相手をしていると、向うの魂が遠慮なく此方へ流れ込んで来るから愉快である。実際代助は、昼夜の区別なく、武装を解いた事のない精神に、包囲されるのが苦痛であった。
誠太郎はこの春から中学校へ行き出した。すると急に脊丈が延びて来る様に思われた。もう一二年すると声が変る。それから先どんな径路を取って、生長するか分らないが、到底人間として、生存する為には、人間から嫌われると云う運命に到着するに違ない。その時、彼は穏やかに人の目に着かない服装をして、乞食の如く、何物をか求めつつ、人の市をうろついて歩くだろう。
代助は堀端へ出た。この間まで向うの土手にむら躑躅が、団々と紅白の模様を青い中に印していたのが、まるで跡形もなくなって、のべつに草が生い茂っている高い傾斜の上に、大きな松が何十本となく並んで、何処までもつづいている。空は奇麗に晴れた。代助は電車に乗って、宅へ行って、嫂に調戯って、誠太郎と遊ぼうと思ったが、急に厭になって、この松を見ながら、草臥る所まで堀端を伝って行く気になった。
新見付へ来ると、向うから来たり、此方から行ったりする電車が苦になり出したので、堀を横切って、招魂社の横から番町へ出た。そこをぐるぐる回って歩いているうちに、かく目的なしに歩いている事が、不意に馬鹿らしく思われた。目的があって歩くものは賤民だと、彼は平生から信じていたのであるけれども、この場合に限って、その賤民の方が偉い様な気がした。全たく、又アンニュイに襲われたと悟って、帰りだした。神楽坂へかかると、ある商店で大きな蓄音器を吹かしていた。その音が甚しく金属性の刺激を帯びていて、大いに代助の頭に応えた。
家の門を這入ると、今度は門野が、主人の留守を幸いと、大きな声で琵琶歌をうたっていた。それでも代助の足音を聞いて、ぴたりと已めた。
「いや、御早うがしたな」と云って玄関へ出て来た。代助は何にも答えずに、帽子を其所へ掛けたまま、縁側から書斎へ這入った。そうして、わざわざ障子を締め切った。つづいて湯呑に茶を注いで持って来た門野が、
「締めときますか。暑かありませんか」と聞いた。代助は袂から手帛を出して額を拭いていたが、やっぱり、
「締めて置いてくれ」と命令した。門野は妙な顔をして障子を締めて出て行った。代助は暗くした室のなかに、十分ばかりぽかんとしていた。
彼は人の羨やむ程光沢の好い皮膚と、労働者に見出しがたい様に柔かな筋肉を有った男であった。彼は生れて以来、まだ大病と名のつくものを経験しなかった位、健康に於て幸福を享けていた。彼はこれでこそ、生甲斐があると信じていたのだから、彼の健康は、彼に取って、他人の倍以上に価値を有っていた。彼の頭は、彼の肉体と同じく確であった。ただ始終論理に苦しめられていたのは事実である。それから時々、頭の中心が、大弓の的の様に、二重もしくは三重にかさなる様に感ずる事があった。ことに、今日は朝からそんな心持がした。
代助が黙然として、自己は何の為にこの世の中に生れて来たかを考えるのはこう云う時であった。彼は今まで何遍もこの大問題を捕えて、彼の眼前に据え付けて見た。その動機は、単に哲学上の好奇心から来た事もあるし、又世間の現象が、余りに複雑な色彩を以て、彼の頭を染め付けようと焦るから来る事もあるし、又最後には今日の如くアンニュイの結果として来る事もあるが、その都度彼は同じ結論に到着した。然しその結論は、この問題の解決ではなくって、寧ろその否定と異ならなかった。彼の考によると、人間はある目的を以て、生れたものではなかった。これと反対に、生れた人間に、始めてある目的が出来て来るのであった。最初から客観的にある目的を拵らえて、それを人間に附着するのは、その人間の自由な活動を、既に生れる時に奪ったと同じ事になる。だから人間の目的は、生れた本人が、本人自身に作ったものでなければならない。けれども、如何な本人でも、これを随意に作る事は出来ない。自己存在の目的は、自己存在の経験が、既にこれを天下に向って発表したと同様だからである。
この根本義から出立した代助は、自己本来の活動を、自己本来の目的としていた。歩きたいから歩く。すると歩くのが目的になる。考えたいから考える。すると考えるのが目的になる。それ以外の目的を以て、歩いたり、考えたりするのは、歩行と思考の堕落になる如く、自己の活動以外に一種の目的を立てて、活動するのは活動の堕落になる。従って自己全体の活動を挙げて、これを方便の具に使用するものは、自ら自己存在の目的を破壊したも同然である。
だから、代助は今日まで、自分の脳裏に願望、嗜欲が起るたび毎に、これ等の願望嗜欲を遂行するのを自己の目的として存在していた。二個の相容れざる願望嗜欲が胸に闘う場合も同じ事であった。ただ矛盾から出る一目的の消耗と解釈していた。これを煎じ詰めると、彼は普通に所謂無目的な行為を目的として活動していたのである。そうして、他を偽らざる点に於てそれを尤も道徳的なものと心得ていた。