県道にも真夏が始まっていた。東西にのびる二車線の道路の両側には、夏草が丈高く密生していた。路面のアスファルトの色と、土ぼこりにくすんだ夏草の緑色とが、強い太陽の光を重そうに受けとめていた。晴れた空はくっきりと青かった。その青い空のところどころに、まるで絵に描いたかのように、白い雲が浮かんでいた。
運転席の両方の窓ガラスをいっぱいに降ろして、中尾晴彦はひとりでステーション・ワゴンを運転していた。さきほど、道路の左側に、彼は県立病院の看板を見た。まっすぐにのびている県道の前方、右側に、県道からかなり離れて、病院の建物が見えてきた。趣もなにもないコンクリートの四角な箱をいくつか、どれも白く塗って無造作に配置しただけのように、晴彦には見えた。
彼はミラーで後方を見た。うしろから来る車はなかった。対向車が一台、見えていた。彼はステーション・ワゴンの速度を落とした。対向車をやりすごして、彼は道路を右にむけて直角に横切った。病院の敷地に入った。駐車場、と赤く大きく書いて矢印を添えた看板のそばに、守衛のブースがあった。そのまえを徐行してとおりかかる晴彦のステーション・ワゴンを、ブースのなかから制服を着た中年の女性が見た。
どちらへ何の用かしら、とその女性は表情だけでブースのなかから晴彦にきいた。窓から顔を出した彼は、
「面会です」
と言った。
制服の女性はうなずき、看板の矢印とおなじ方向を、ブースのなかから晴彦に示した。そして、
「いちばん奥に停めてね」
と、彼に言った。
広い駐車場に入った晴彦は、そのまま駐車場のいちばん奥まで徐行していった。面会来訪者用、と標識に書いてある一角に、駐車スペースはたくさん空いていた。そのひとつに彼はステーション・ワゴンを車首から入れた。エンジンを停止させ、すぐにドアを開いて外に出た。軽く突き放すように、彼はドアを閉じた。
外も暑かった。ちょうど頭上にある陽ざしを受けとめながら、彼はあたりを歩いてみた。車へ戻り、ダッシュボードの時計を見た。木村真理子との約束の時間まで、あと五分だった。彼は車を離れた。縦に長い駐車場を歩くともなく歩いて、彼は時間をやりすごした。
彼は淡いブルーの半袖のシャツを着ていた。袖が大きく、両方の胸にポケットがあった。よれよれになったチーノのようなスラックスの外に、シャツの裾を出していた。頑丈そうに見える皮のサンダルをはいていた。スナップで止めるストラップが、くるぶしにまわっていた。
十八歳になってまだ五か月たっていない、身長百七十センチの男性だ。軽く当惑したような、なにか考えごとをしているような、あるいは質問に対する回答を出しあぐねているような表情を、よくまとまったもの静かな色白の顔に、いまの彼は浮かべていた。すこしだけ癖のある髪を長くのばし、うなじで束ねていた。白いビー玉に、オレンジ色と黒で鮮やかに色をつけたような玉を両端につけた細いゴム紐によって、長い髪は束ねてあった。長くして束ねた髪、そして髪止めが、彼にはよく似合っていた。
中年の男女がひと組、駐車場を奥まで歩いて来た。車のなかに入るまで、女性は大きなハンドバッグを額の上にかざし、陽ざしをさえぎろうとしていた。ふたりの乗ったセダンがリヴァースでスペースを出ていき、切り返して駐車場の出入り口へむかうのを、晴彦は観察した。
そのセダンが走り去ってすぐに、真理子の姿が見えた。白いデッキ・シューズに膝までのカーキー色のスカート、そして黒い半袖のポロ・シャツを、彼女は着ていた。晴彦とほとんどおなじ背丈の真理子は、バランス良く力をこめてきれいに歩いた。真夏の陽ざしのなかに、彼女の姿の良さがくっきりと浮き出て見えた。
晴彦に彼女は笑顔で手を振った。歩いて来る真理子を、晴彦は右手をまっすぐに差し出して迎えた。晴彦の右手を真理子が叩いた。すかさず彼は左手を出し、それをもう一方の手で真理子は叩き返した。笑顔のふたりは、陽ざしのなかでむき合って立った。
上体を右へ傾けた真理子は、晴彦のうなじを見た。彼の髪が髪止めで束ねてあるのを、彼女は確認した。
「使ってくれてるのね」
快活な声で真理子が言った。いま彼が使っている髪止めは、長くした髪を彼がうしろで束ねはじめたとき、真理子が彼にあげたものだ。
「久しぶり」
真理子が言った。
「そうだね」
「元気?」
「僕は普通だよ」
「どう?」
「なにが?」
「ぜんたいの状況」
「どうでもないね」
「どうやってここまで来たの?」
「車で」
「車?」
「高校の卒業式の明くる日が、僕の十八歳の誕生日だ。すぐに運転免許を取った」
「自分の車なの?」
「そうだよ」
「買ったの?」
「もらった」
「誰に?」
「姉」
という晴彦のひと言に、真理子は形のいい目を丸くした。
「あなたにお姉さんがいたの!」
と彼女は叫んだ。
「いつもいるよ」
「そんなこと、すこしも知らなかったわ。あなたはひとりっ子だと思ってた」
「真理子にはお兄さんがいるよね」
「いるわよ。ひとりだけ。ふたり兄妹」
「僕も姉がひとりだけ。四歳年上で、六月に結婚したよ」
「あら、そうなの」
単純な質問におなじく単純に答えていくやりとりが、真夏の正午の強い陽ざしのなかで続いた。
「早い結婚なのかしら」
「そうだろうね」
「でも良かったわ」
「五月には母親が結婚したんだ」
「再婚ね」
晴彦はうなずいた。彼はまだ幼い頃に父親を亡くしていた。父親の記憶はほとんど持っていなかった。
「以前から話はきまっていたらしいんだ」
「お母さんの再婚のこと?」
「そう」
「再婚したほうがいいわよ。お母さんはいまおいくつだったかしら」
「三十代」
「あら、まあ」
「と言っても、三十九歳」
「若いわ」
「再婚の話が以前からきまっていたことを、姉が教えてくれた」
晴彦の説明に真理子はうなずいた。
「晴彦が二十歳になるまではと、母親は再婚の話を抑えたままにしている、と姉が教えてくれた」
「それを聞いて、あなたはどうしたの?」
「二十歳まで待つ必要はない、と言ったよ。もう十八だし、高校を卒業するのだから、結婚していい、と僕は母親に言った」
「そしてお母さんは、三十代の女性として、再婚できたわけね」