「二十面相、空中にのがる」との報が伝わると、警視庁や各警察署はいうまでもなく、各新聞社の報道陣は、たちまち色めきだちました。
時をうつさず、警視庁首脳部の緊急会議がひらかれ、その結果、探照燈によって賊のゆくえをつきとめることになりました。
まもなく東京付近の空には、十数条の探照燈の光線が入りみだれました。戦争のようなさわぎです。都内の高層建築物の屋上からも、いくつかの探照燈が照らしだされ、警視庁や新聞社のヘリコプターは、夜が明けるのを待ってとびだすために、エンジンをあたためて待機の姿勢をとりました。
しかし、これほどの大さわぎをしても、黒い軽気球は、どうしても見つけることができませんでした。その夜は、空いちめんに雲が低くたれていましたので、軽気球は雲の中へはいってしまったのかもしれません。けっきょく、せっかくの空中捜索も夜の明けるまでは、なんの効果もなく終わりました。
ところが、その翌朝のことです。埼玉県熊谷市付近の人々は、夜のうちに晴れわたった青空に、何かまっ黒なゴム風船のようなものがとんでいるのを発見して、たちまち大さわぎをはじめました。
その朝の新聞が、ゆうべの東京でのできごとを大きく書きたてていたものですから、人々はすぐ黒い風船の正体をさとることができたのです。
賊の軽気球は、夜中から吹きはじめた東南の風に送られて、夜のうちにここまでただよってきたものにちがいありません。
「二十面相だ。二十面相が空をとんでいるのだ。」
熊谷市内はもちろん、付近の町や村へも、そういうぶきみな声がひろがっていき、人々は家をからにして、街路へ走りいで、あるいは屋根の上にのぼって、青空にうかぶ黒い風船をながめました。
空には、かなり強い風が吹いているらしく、軽気球は、ひじょうな速度で、北西の方向にとんでいます。みるみるうちに村を越え、森を越え、熊谷市の上空を通過して、群馬県のほうへととびさっていくのです。
熊谷市の警察署員は、とびさる風船をながめて、地だんだをふんでくやしがりましたが、いくらくやしがっても、高射砲で射おとすこともできませんし、ヘリコプターをとばして機関銃で射撃するなどということは思いもよりません。ただ手をつかねて空を見まもるほかはないのでした。しかし、このことが電話によって東京に伝えられますと、新聞社は、待ってましたとばかりに、それぞれ所属のヘリコプターに出動を命じました。賊をとらえる望みはなくても、せめて怪軽気球を追跡して、その写真を撮影したり、記事をつくったりして、事件の経過を報道するためです。
つごう四台のヘリコプターが、相前後して東京の空を出発しました。そして、おそろしいスピードをだして、ちょうど熊谷市と高崎市のなかほどの空で、賊の軽気球に追いついてしまったのです。
それから、群馬県南部の大空に、ときならぬ空中ページェントがはじまりました。
四台のヘリコプターは、四ほうから賊の軽気球をつつむようにして、とんでいます。しかし、プロペラのない軽気球には、このかこみをやぶってのがれる力がありません。風のまにまに吹きながされているばかりです。
二十面相は、今や自由をうばわれたも同然です。とはいえ、ヘリコプターのほうでこれをきゅうにとらえる方法もありません。ただ、風船と同じ速度で飛行しながら、こんきよく追跡をつづけるほかはないのです。
このふしぎな空中ページェントの通過する町や村の人たちは、仕事も何もうちすてて、先をあらそって家の外にとびだし、空を見あげて口々に何かさけぶのでした。畑の農民もすきくわを投げだして空を見まもっています。小学校のガラス窓からは、男の子や女の子の顔が、鈴なりになっています。ちょうどその下を通りすぎる汽車の窓にも、空を見あげる人の顔ばかりです。
四台のヘリコプターは、ひし形の位置をとって、綱をはったように、黒い軽気球をまんなかにはさみながら、どこまでもどこまでもとんでいきます。
ときには一台のヘリコプターが、賊をおどかすように、スーッと軽気球の前をかすめたりします。二十面相は、どんな気持でいるのでしょう。この空の重囲におちいっても、まだ逃げおおせるつもりなのでしょうか。
やがて、高崎市の近くにさしかかったとき、とうとう二十面相の運のつきがきました。黒い軽気球はとつぜん浮力をうしなったように、みるみる下降をはじめたのです。
気球のどこかがやぶれて、ガスがもれているようすです。おお、ごらんなさい。今まではりきっていた黒い気球に、少しずつしわがふえていくではありませんか。
おそろしい光景でした。一分、二分、三分、しわは刻一刻とふえていき、気球はゴムまりをおしつぶしたような形にかわってしまいました。
風が強いものですから、下降しながらも、高崎市の方角へ吹きつけられていきます。四台のヘリコプターは、それにつれて、かじを下に向けながら、ひし形の陣形をみだしませんでした。
高崎市の丘の上には、コンクリート造りの巨大な観音像が、雲をつくばかりにそびえています。その前の広場にも、奇怪な空のページェントを見物するために、多くの人がむらがっていたのですが、その人々は、どんな冒険映画にも例のないような、胸のドキドキする光景を見ることができました。
晴れわたった青空を、急降下してくる四台のヘリコプター、その先頭には、しわくちゃになったまっ黒な怪物が、もうまったく浮力をうしなって、ひじょうな速力で地上へとついらくしてくるのです。
傷ついた軽気球は、大観音像の頭の上にせまりました。サーッと吹きすぎる風に、しわくちゃの気球が、いまにも観音さまのお顔に巻きつきそうに見えました。
「ワーッ、ワーッ。」というさけび声が、地上の群衆の中からわきおこります。
気球は観音さまのお顔をなで、胸をこすって、黒い怪鳥のように、地面へと舞いくだってきました。そして、また、「ワーッ。」とさけびながらあとじさりする群衆の前に、横なぐりに吹きつけられて、とうとう黒いむくろをさらしたのでした。