「ハハハ……、なあに心配しないでもいいよ。きみをとって食おうというのではない。ただな、きみにちょっとおもしろいものを見せてあげようと思うのさ。」博士は、大きなロイドめがねの中から、泰二君の上気した顔を、じっと見つめながら、みょうなことをいいました。
「おもしろいものですって?」
「ウン、そうだよ。」
「そんなもの見たくありません、ぼく、帰ります。」
「ハハハ……、帰るといっても、わしがゆるさんよ。」
「でも、帰るんです。」泰二君は、決心の色をうかべて、強くいいはなちました。
「ハハハ……、帰れるものなら帰ってごらん。そら、これでもきみは帰るというのかね。」博士はいいながら、ソッと机の下がわにしかけてあるボタンをおしました。すると、どうでしょう。泰二君の立っていた床板が、とつぜん、ガタンと落ちこんで、まっくらな四角な穴があき、アッと思うまに、泰二君のからだは吸いこまれるように、その中へ消えうせてしまいました。
おとし穴です。博士はさいぜんから、泰二君が、そのおとし穴の上に立つのを、待ちかまえていたのでした。
泰二君のさけび声が、ひじょうな早さで、地の底に消えていきますと、落ちこんでいた床板が、ギーと、もとにもどって、部屋の中はなにごともなかったかのように静まりかえってしまいました。
「ウフフフ……、これでよしと。」博士はさも満足そうに、そんなひとりごとをいって、ゆっくりイスから立ちあがりました。そして、うしろの高い書だなに近づいて、大きな洋書を二冊ぬきだし、そのあとの穴へ手を入れて、何かゴトゴトやっていましたが、すると、書だなの一部分が、まるでとびらででもあるように、グーッと奥のほうへひらきはじめたではありませんか。ここにもまた、みょうな機械じかけがあって、書だなの奥に秘密の部屋ができていたのです。
博士はそのまっくらなせまい密室にはいりますと、書だなのとびらをもとにもどしておいて、電灯のスイッチをひねりました。なんという奇妙な部屋でしょう。いっぽうのすみには、三、四十もひきだしのある大きな台があって、その上に床屋さんにあるような、りっぱな鏡が立っています。
それから、四ほうの壁には、いく十組ともしれぬ洋服、和服、がいとう、帽子などが、古着屋さんの店のように、つりさげられ、その下には、いろいろな形の靴、ぞうり、げた、こうもりなどが、ズラリとならんでいるのです。
博士はそこにはいりますと、いきなり黒い衣のようなものをぬぎすて、シャツ一枚になって、鏡の前のイスに腰かけました。それから、じつにふしぎなことがはじまったのです。博士はまず、めがねをはずして、台の上におきますと、両手で半白の髪の毛をつかみ、まるで帽子でもぬぐように、スッポリととりはずしたかと思うと、こんどは口ひげと三角形のあごひげに手をかけ、これもメリメリと、ひきはがしてしまいました。
ああ、なんということでしょう。博士は二重の変装をしていたのです。さいぜんまでは、きたならしい乞食じいさんに化けていて、その変装をといたかと思うと、その下にまだ、かつらやつけひげがあったのです。
それをとりさってしまった、今の姿こそ、ほんとうの蛭田博士にちがいありません。見れば黒々とした髪の毛、つやつやとした顔の色。老人どころか、まだ三十歳を少しこしたばかりの若者です。
博士は鏡の下のひきだしを、あちこちと開いて、何かさがしているようすでしたが、やがて、クシャクシャとみだれたしらがの老婆のかつらをとりだして、手早くそれをかぶりますと、つぎには、絵の具ざらのたくさんならんでいるひきだしを開き、そこにあった絵筆をとって、鏡を見ながら、顔に何かかきはじめました。
みるみる、鏡の中に、おそろしくしわくちゃなおばあさんの顔ができあがっていきます。まゆ毛もまっ白にそめられ、歯にはところどころ、まっ黒なうすい金属のさやのようなものがはめられて、たちまち歯ぬけばあさんの口ができあがってしまいました。
顔のおつくりがすみますと、博士はイスから立ちあがって、壁につりさげてある衣装の中から、西洋の老婆の着るような、白っぽい上着と、ひだの多いスカートを選びだして、手ぎわよく身につけ、その上から大きな茶色の肩かけをはおりました。足には靴下もはかず、そこにあった一足の不細工な木靴をつっかけたままです。そうしてできあがった変装は、西洋の童話にある魔法使いのおばあさんそっくりでした。
おばあさんは、からだを二つに折ったように腰をかがめ、両手をうしろにまわして、歯のない口をモグモグさせながら、ヨチヨチと歩きはじめました。
その小部屋の、書だなとは反対がわに、小さなくぐり戸がついています。おばあさんは、それをかぎでひらいて、その向こうの穴ぐらのようなまっくらな中へ、はいっていきました。どうやらそこに地底へおりる秘密の階段があるらしく、おばあさんの姿は、コトンコトンと、一段ずつ下のほうへ、おりていくように見えました。
お話かわって、こちらは泰二少年です。アッと思うまに、足もとの床板が消えうせてしまったような気がして、からだが、スーッと宙にういたかと思うと、何かひどくツルツルした、公園などにあるすべり台のようなものの上に落ち、そのまま、ひじょうな早さで、下のほうへすべっていきました。
やがて、ドシンとなにかかたいものにたたきつけられたように感じましたが、そこが穴ぐらの底でした。少しおしりのへんが痛かったくらいで、からだに別条はありませんので、すぐ立ちあがって、あたりを見まわしました。
いま落ちてきた穴もふさがれてしまったとみえて、そこはやみ夜のようにまっくらです。ただ穴ぐらの中ほどに石でつくったいろりのようなものがあって、その中に少しばかりのたきぎが、チロチロと赤い舌を出してもえています。光といっては、ただその炎ばかりなのです。
でも、やみに目がなれるにしたがって、穴ぐらのようすが、おぼろげにわかってきました。広さは八畳ほどもあるでしょうか、四ほうの壁は、ゴロゴロとした大きな石でつみあげてあって、地下室というよりも、大昔の穴居時代の穴ぐらといった感じです。