小林君は、あまりのことに、声をたてることも、身うごきすることもできません。魔法の力ですいつけられたように、ジッと黒い怪物を見ていました。
すると、黒いヒョウのような動物は、まもなく、レンガのかべを下までおりて、そのままよつんばいになって、そこの木のしげみの中へ、かけこんでしまいました。その向こうは、やぶれたレンガ塀をへだてて、すぐ八幡神社の森につづいています。黒い人間獣は、夕やみのジャングルの中へ、姿をかくしてしまったのです。
小林君は、おそろしい夢でも見たのではないかと、自分の目をうたがうほどでしたが、しかし、けっして夢ではありません。あの黒い怪物は、たしかに魔法博士の顔を持っていたのです。
小林君が見たのは、黒い怪物だけです。では、勇一少年はどうしたのでしょう。勇一君まで、魔法の力で四つ足の動物になって、博士よりもさきに、森の中へかくれてしまったとでもいうのでしょうか。
なんにしても、早くこのことを、みんなに知らせなければなりません。
小林少年は、塔の階段を飛ぶようにかけおりて、下に待っていた見物の人たちに、ことのしだいをつげました。
知らせを聞いた人々は、あまりのふしぎさに、ボンヤリしてしまって、しばらくは、おたがいに顔を見合わせるばかりでしたが、やがて、正気にかえると、にわかに大さわぎをはじめました。
とにかくさがさなければならない。勇一少年と魔法博士の行くえをつきとめなければならない。二十何人の子どもとおとなが手わけをして、洋館の中と八幡神社の森の中を、オズオズさがしはじめました。
一方、小林少年は、勇一君のおうちにかけつけ、青くなったおとうさんといっしょに現場に帰り、捜索隊にくわわりました。また、ひとりの少年のおとうさんは、近くの交番に、このことを知らせましたので、まもなく本署から数名の警官がかけつけます。それらの人たちがいっしょになって、洋館のうち外を、のこるところなくさがしたのですが、勇一少年と魔法博士の姿は、どこにも発見することができませんでした。
八幡神社のうすぐらい森の中、立ちならぶ木の枝の上、くさむらの中など、くまなくしらべましたが、黒い怪物の影もなく、また神社をかこむ町の人たちに聞きまわっても、あやしいものを見た人は、ひとりもいないのです。
そのうちに、ますます、あたりが暗くなってきましたので、ひとまず、捜索をうちきることにし、警官たちも、ふたりの見はりばんをのこして、本署に帰りましたが、ただちにこの事件は、警視庁に報告せられ、東京中の警察署が、魔法博士と勇一少年をさがすことになったのは、言うまでもありません。
そうしてみんながひきあげてしまっても、小林少年だけは、ただひとり、八幡神社の森の中にのこって、大きな木の幹にもたれ、ボンヤリと考えごとをしていました。
「ふしぎだなあ。あんな黒いヒョウみたいな姿で、森の外へ逃げだしたら、町には、だれか人が通っているんだから、たちまち見つかって、大さわぎになるはずだ。うまく逃げだせるはずがない。もしかしたら、あいつは、例の魔法を使って、だれにもわからないように、この森の中に、かくれているんじゃないかしら。」
そう考えると、なんだかゾーッと背中が寒くなってきました。森の中はもうまっ暗です。向こうの社殿がボンヤリと見わけられるばかりで、そのほかは、一面に黒いまくを、ひきまわしたようです。
ところが、ふと気がつくと、そのやみの中で、なにかモヤモヤと動いたものがあります。ギョッとして、小林君は、木の幹に、からだをかくし、動いたもののほうを見つめました。
「なあんだ、気のせいだったのか。」
それは社殿の前の左右にすえてある大きな石のコマイヌでした。その右のほうのコマイヌが小林君の五メートルほど向こうに立っていて、それが身うごきをしたように感じたのです。
三だんに組んだ石の台の上に、ちょうど人間がうずくまったほどの、大きな石のコマイヌがいるのです。コマイヌといっても、イヌの形ではなくて、むかしの絵にある獅子のような姿をしています。たてがみが、クルクルうずをまき、大きな顔、ふとい足、ふさふさした尾、どこの動物園にもいないような、ふしぎな怪獣です。
しかし、それは石をほってこしらえたものですから、動くはずはありません。さっきから、みんながその前を行ったり来たりしていたのですが、だれも石のコマイヌなんかに注意するものはなかったのです。
小林君は、へんな気持ちで、やみの中にぼんやりと浮きだしている、そのコマイヌをながめていました。「あの石のイヌが動きだしたらどうだろう。いまにきっと動くぞ。」昼間から、ふしぎなことばかり見せられたので、ついそんなことを考えるようになっていたのです。
すると、小林君の考えが、石のイヌにつたわりでもしたように、そのコマイヌが、モゾモゾと動きはじめたではありませんか。
小林君は、からだがツーンとしびれたようになって、もう身うごきもできません。これはおそろしい夢でしょうか。いや、夢ではない。昼間のことから考えると、夢がこんなに順序よくつづくものではありません。
コマイヌ、というよりも石の獅子です。その石の獅子は、いまではもう生きた怪物になって、そろそろと石の台をおりています。みょうなかっこうで、台をおりてしまうと、やみの中を、社殿のほうへ、よつんばいになって歩きはじめました。
小林君は、もしかしたら、こちらへ、飛びかかってくるのではないかと、ドキドキしていましたが、石の獅子は、木のかげに小林君がいることは知らないらしく、ふりむきもせず、社殿に近づき、階段をはいのぼり、正面のとびらをひらいて、社殿の中へ、姿を消してしまいました。そして、とびらが、何かに引かれるように、スーッとしまったかと思うと、「ウォーッ。」と一声、おさえつけたような、うなり声が、聞こえてきました。
ああ、あの声です。昼間、魔法博士が舞台から消えたとき、見物たちの耳をうった、あのぶきみな猛獣のうなり声とそっくりです。