こちらは、アパートの二階の刑事の部屋です。刑事はカーテンのすきまに、双眼鏡をあてて、さっきからのありさまを、すっかり見とどけていました。くらのまえには、電灯がついているので、怪人のようすが、手にとるように、ながめられたのです。
鉄ごうしの落ちた音は、ここまで、ひびいてきました。そして、怪人が、おそろしい力で、中から、鉄ごうしをゆさぶっているのも、ハッキリ見えました。しかし、重い鉄ごうしはビクともしません。
やがて、怪人は、クルッと、むこうむきになって、いきなり、くらの中へ進んでいきました。いうまでもなくゆりかさんに、とびかかっていったのです。でも、こちらからは、そこまでは見えません。くらの中がうすぐらいのと、入り口のかべが、じゃまになってゆりかさんの机のへんは見えないのです。
「しめたぞ!」
刑事は、双眼鏡を目からはなして、思わず、ひとりごとを言いました。あの鉄ごうしが、やぶれなければ、もう、どこからも逃げだすみちはないのです。小さな窓はありますが、みな、太い鉄棒がはまっていて、いくら怪物でも、それをおりまげる力はないはずです。
刑事は、いそいで、スイッチ盤のところへいって、『ベル』と書いた紙のはってあるボタンを強く押しました。すると、部屋のそとで、リリリリリリンとけたたましいベルの音が、ひろっぱいっぱいに、なりひびくのでした。
それが、あいずだったのでしょう。ひろっぱの、くらやみに、身をかくしていた、五人の男のすがたが、あらわれて、コンクリートのくらのほうへ、かけだしました。ふたりは正面の入り口へ、三人はくらのうらと、横手の三方へ。
それは、入り口と、三つの窓の鉄の扉をしめるためでした。窓にも、みな、そとからしめる、がんじょうな鉄の戸がついていたのです。
五人が、それぞれの扉をしめて、ひきかえしてくるころには、二階の部屋にも、おおぜいの人がつめかけていました。べつの部屋で、まちかまえていた警視庁の人たちです。捜査課長と、ふたりの係長。その係長のひとりは、おなじみの中村係長でした。もうひとりは、この事件の応援にやってきた、佐藤という係長です。あとから、北村青年と小林少年もはいってきました。明智探偵は、なぜか、すがたを見せません。
そこへ、いま、くらの扉をしめた五人の刑事がドヤドヤとはいってきました。そして、すべての扉が、かんぜんに密閉されたことを、報告しました。
「では、ボタンを押しましょうか」
スイッチ盤のまえにいた刑事が、上役たちの顔を見まわして、ひくい声でたずねました。
中村係長が捜査課長に、なにかささやくと、課長が大きくうなずきました。それを見て、警部は、力強い声で言いました。
「よろしい、押したまえ。」
刑事が、『ガス』と書いた紙のはってあるボタンをグッと押しました。
今夜、はじめて、この事件の応援にきた佐藤係長が、みょうな顔をして、中村係長のひざを、指でつつきました。
「あのボタンはなんだね。」
「ねむりガスさ。」
「え、ねむりガスだって?」
中村係長は、ニッコリ笑って、
「ああ、きみは、まだなにも聞いていなかったんだね。あれは一種の毒ガスを、くらの中へおくりこむボタンだよ。くらのゆか下に、毒ガスのしかけがしてある。このボタンを押すと、そのガスが、鉛管をつたって、くらの中へ、おそろしい、いきおいで、ふきだすのだ。」
「あいつを、殺すんじゃないだろうね。」
「むろん、殺しては、なんにもならない。ただ、ねむらせるのだ。つまり睡眠ガスというわけだね。」
「それじゃあ、おとりにつかったおじょうさんも、いっしょに、ねむらせてしまうのかい。いや、ねむりガスが、きくまでに、おじょうさんは、あいつに、ひどいめにあうかもしれないじゃないか。」
「ハハハ……、きみは、それも知らなかったのか、おじょうさんは、だいじょうぶだよ。けっして、ひどいめにあうようなことはない。」
中村係長は、こともなげに、言うのでした。
「きみは魚つりがすきだったね、魚つりには、ほんとうのえさではなくて、虫のかたちをした、つくりもののえさをつかうことがあるだろう。あれだよ、くらの中にいるのは、ほんとうのゆりかさんじゃないのさ。」
「だが、かえだまにしても、やっぱり生きた人間なら……。」
「いや、生きた人間じゃない。人形なんだよ。電気じかけで、手と首だけが動くようになっている、つまり自動人形なのさ。ホラ見たまえ、あのスイッチのボタンの上に『音楽』とか『電灯』とか書いてあるだろう。『音楽』というのは、人形にバイオリンをひかせるしかけのスイッチなんだ。むろん、ほんとうにひくのではないから、音は、でない。音のほうは、レコードで、聞かせるのだ。くらの机の下に電蓄がかくしてある。それにゆりかさんのバイオリンのレコードがかけてあって、ボタンをおすと、まわるようになっているんだ。そういう、しかけの電線は、みな地面の下を、はわせてあるので、だれにも気づかれない。『電灯』というボタンは、むろん、くらの中の電灯をつけたり、消したりするスイッチだよ。」
「フーン、そうだったのか。どうりで、みんな、へいきな顔をしていると思った。それにしても、うまいことを、考えたもんだね。」
佐藤係長は、感じいったように、言うのでした。
「このしかけは、みな、ここにいる北村君の案だ。北村君は、なかなかの科学者だからね。ぼくらの、思いもつかないような、きばつなわなを考えだしてくれたのだよ。」
これで、すっかりなぞがとけました。ほんとうのゆりかさんは、どこか安全な場所にかくれているのです。怪人は、にせのえさにひきよせられて、とうとう、わなにはまってしまったのです。北村青年の大てがらでした。
そんな話をしているうちに、時間がたちました。
もう、毒ガスが、すっかり、出つくしたころです。
そこで、捜査課長の命令で、中村係長が、ひとりの刑事をつれて、くらの中のようすを見にいくことになりました。