← Library‹ 妖人ゴング 水中の悪魔

明智あけち探偵たんていの少女しょうじょ助手じょしゅマユミさんのおとうさんの花崎はなさき俊夫としおさんは、世田谷せたがや区くに大おおきな邸宅ていたくをもっている、りっぱな検事けんじさんでした。花崎はなさきさんにはマユミさんのほかに、もうひとり、男おとこの子こがありました。マユミさんの弟おとうとで俊一しゅんいち君くんというのです。小しょう学校がっこうの六ろく年ねん生せいですが、ねえさんとちがって、探偵たんていなんかきらいで、学校がっこうの勉強べんきょうがすきな、おとなしい子こでした。

それは日曜にちよう日ひの午後ごごのことです。俊一しゅんいち君くんは勉強べんきょうにつかれて、広ひろい庭にわの中なかをさんぽしていました。花崎はなさき検事けんじのうちの庭にわは三千さんぜん平方へいほうメートルもあって、森もりのような木立こだちがあり、そのまん中なかに、小ちいさな池いけまであるのです。俊一しゅんいち君くんは、いま、その池いけのふちを歩あるいているのでした。

約やく五十ごじゅう平方へいほうメートルほどの小ちいさな池いけです。水みずが青あおくよどんで、池いけの底そこは見みえません。そんなに深ふかくはないけれど、どろ深ふかい池いけでした。おとうさんは、俊一しゅんいち君くんたちの小ちいさいときには、この池いけのそばへ行いってはいけないと、きびしくいいつけていました。ひじょうにどろ深ふかいのではまったら、どろの中なかへ沈しずんでしまうからです。よくいう「底そこなし沼ぬま」なのです。

俊一しゅんいち君くんは、三さん年ねん生せいぐらいまでは、この池いけがこわくてしようがありませんでした。俊一しゅんいち君くんのうちのじいやが、「あの池いけには主ぬしがすんでいる。」といっておどかしたからです。ひとりで池いけのそばへいくと、目めも鼻はなもない、のっぺらぼうの海うみぼうずみたいなやつが、青あおくよどんだ水みずの中なかから、ヌーッと出でてくるような気きがしたのです。

しかし、俊一しゅんいち君くんは、一いち年ねんぐらいまえから、そんなことを、こわがらないようになっていました。俊一しゅんいち君くんは学校がっこうのよくできる、かしこい少年しょうねんでしたから、もうおばけがいるなんて、ばかばかしいことを考かんがえなくなったのです。それで、へいきで、池いけのまわりを歩あるけるようになっていました。

その日ひは、どんよりとくもった、いんきな天気てんきでした。まだ三さん時じごろなのに、そのへんは夕方ゆうがたのようにうす暗ぐらいのです。大おおきな木きが、森もりのように茂しげっているので、光ひかりがよくささないからでもあります。

俊一しゅんいち君くんは池いけのそばに立たって、ぼんやりと、青あおくよどんだ水みずの上うえを見みていました。風かぜがないので、水みずは一いち枚まいの大おおきな青あおガラスのように、じっとしているのです。

そうしているうちに、なんだかへんな気持きもちになってきました。なぜだかわかりませんが、世界せかいじゅうで、じぶんが、たったひとりぼっちになってしまったような、さびしいさびしい気きがしたのです。

すると、そのとき、池いけの水みずが、ゆらゆらとゆれました。

「コイがはねたのかしら。」

俊一しゅんいち君くんは、そう思おもって水みずのうごいた場所ばしょを見みつめました。この池いけには大おおきなコイが、なんびきもすんでいたからです。

じっと見みていると、なんだか大おおきなものが、水みずの底そこから浮うきあがってくるように感かんじられました。コイではありません。もっとずっと大おおきなものです。池いけいっぱいの大おおきなものです。

俊一しゅんいち君くんは、くらくらっとめまいがしました。あんまり、へんだったからです。まるで池いけの底そこが、ぐーっと、もちあがってくるように見みえたからです。

水みずが青あおくにごっているので、よくは見みえません。でも、その大おおきなものが、スーッと浮うきあがってくるにつれて、だんだんはっきりしてきました。

俊一しゅんいち君くんは、いまわしい悪魔あくまを見みているのではないかと、うたがいました。それは、じつに、とほうもないものでした。ゆらぐ水みずの中なかをすかして見みるので、たしかにそうだとはいいきれませんが、それはべらぼうに大おおきな、ほとんど池いけいっぱいの人間にんげんの顔かおのように見みえました。

俊一しゅんいち君くんは、もう動うごけなくなってしまいました。からだが石いしのようにかたくなり、足あしがしびれてしまって、どうすることもできないのです。心臓しんぞうのドキドキする音おとが、じぶんの耳みみに、聞きこえるほどです。

見みまいとしても、目めがそのほうに、くぎづけになって、見みないわけにはいきません。それは、やっぱり、人間にんげんの顔かお、いや、悪魔あくまの顔かおでした。池いけいっぱいの巨大きょだいな悪魔あくまの顔かおが、水面すいめんに浮うきあがってきたのです。

そいつは、水みずの中なかで、一いちメートルもある大おおきな目めを、ギョロギョロさせていました。畳たたみ一いち畳じょうもある巨大きょだいな口くちの、まっかなくちびるのあいだから、牙きばのような二に本ほんの歯はが、ニューッとのぞいていました。

顔かおだけでも、こんなに大おおきいのですから、こいつの胴体どうたいはどんなにでっかいか、思おもっただけでも気きがへんになりそうです。その胴体どうたいが、池いけのどろの中なかに深ふかくしずんでいて、頭あたまだけが顔かおを上うえにむけて、浮うきあがってきたのかもしれません。

いくら、こわさに身みがすくんだからといって、このまま、ぐずぐずしていたら、どんなことが起おこるかわかりません。巨人きょじんの顔かおが水みずの中なかから出でたら、どうでしょう。俊一しゅんいち君くんのからだの百ひゃく倍ばいもあるような、恐おそろしくでっかい顔かおです。そいつが池いけの上うえいっぱいに、ヌーッと出でて、ぱっくり口くちをひらいたら、俊一しゅんいち君くんなんか、ひとのみです。

俊一しゅんいち君くんは、逃にげるなら、いまだと思おもい、下したっ腹ぱらに力ちからを入いれて、「なにくそっ!」と、がんばりました。すると、いままで動うごかなかったからだが、動うごきだしたではありませんか。

それからは、もう無我夢中むがむちゅうでした。死しにものぐるいで走はしったのです。まるで、ころがるように走はしったのです。

俊一しゅんいち君くんが走はしりだすといっしょに、恐おそろしい音おとが聞きこえてきました。

「ウワン、ウワン、ウワン、ウワン、ウワン、ウワン……。」

俊一しゅんいち君くんは知しりませんでしたが、読者どくしゃ諸君しょくんにはおなじみの、あのニコライ堂どうのかねのような音おとでした。巨人きょじんはもう池いけの上うえに顔かおを出だしたのでしょう。でなければ、水みずの中なかでは笑わらうことができません。

そのとき、俊一しゅんいち君くんのおとうさんの花崎はなさき検事けんじは、洋室ようしつの書斎しょさいで本ほんを読よんでいましたが、検事けんじの耳みみにも、あのぶきみな音おとが聞きこえてきたのです。花崎はなさきさんは、びっくりして、いすから立たちあがると、窓まどをひらいて外そとをながめました。

すると、庭にわのほうから、まっさおになった俊一しゅんいち君くんが、かけてくるのが見みえました。なにか恐おそろしいものに、追おっかけられてでもいるように、死しにものぐるいで走はしってくるのです。

「おい、俊一しゅんいち、どうしたんだ。なにかあったのか!」

声こえをかけますと、俊一しゅんいち君くんは、おとうさんの顔かおを見みて、助たすけをもとめるように、いっそう足あしをはやめて、窓まどの下したにかけつけ、両手りょうてをひろげて、窓まどわくにとびつこうとしました。

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