← Library‹ 妖人ゴング 大トランクの出発

さて、その夜よるの九きゅう時じごろのことです。同おなじアパートの二に階かいに住すんでいる小説しょうせつ家かの人見良吉ひとみりょうきちが、明智あけちの応接おうせつ間あいだへはいってきました。

「明智あけち先生せんせい、ぼく、これから、ちょっと旅行りょこうしてきます。京都きょうとまで夜よる汽車きしゃです。二に―三み日かで帰かえります。小説しょうせつの種しゅさがしですよ。……おや、明智あけち先生せんせい、あなた、顔色かおいろがよくないようですが、どうかなさったのですか。」

人見ひとみさんが心配しんぱいそうにたずねました。明智あけち探偵たんていはつくえの前まえにこしかけたまま、がっかりしたような声こえで答こたえます。

「あなただから、うちあけますがね。じつは、やられたのです。マユミが消きえてしまったのです。」

「えっ、マユミさんが? いつ? どこで?」

「密閉みっぺいされた寝室しんしつの中なかから、消きえうせてしまったのです。ドアには中なかからかぎがかけてありました。窓まどは地面じめんから十じゅう五ごメートルもあるので、窓まどから出ではいりすることはできません。そのうえ、ぼくは、一いち日にち寝室しんしつのドアの見みえるところにいたのです。つまり完全かんぜんな密室みっしつです。マユミは、その密室みっしつから、煙けむりのように消きえうせたのです。」

「すると、あの怪物かいぶつは、ちゃんと、約束やくそくをまもったわけですね。」

「残念ざんねんながら、そのとおりです。」

「で、てがかりは?」

「なにもありません。しかたがないので、警察けいさつの手てをかりることにしました。警察けいさつはけさから東京とうきょう付近ふきんに、非常ひじょう線せんをはって、あの怪かい人物じんぶつをさがしています。しかし、おそらく急きゅうには、つかまらないでしょう。あいては魔法まほうつかいのようなやつですからね。」

いつもにこにこしている明智あけちが、青あおい顔かおをして、しおれかえっています。名めい探偵たんていが、こんなにがっかりしたようすを見みせたのは、あとにも先さきにも例れいのないことです。

「そりゃ、ご心配しんぱいですね。それにしても、明智あけち先生せんせい、あなたは、あの怪物かいぶつを、みくびりすぎましたよ。ちゃんと電話でんわで、予告よこくしているんですからね。すくなくとも、きょうは、昼ひるも夜よるも、マユミさんのそばに、つききりにしているほうが、よかったですね。ぼくが旅行りょこうをしなければ、なにかお手てつだいをしたいのですが、残念ざんねんです。……小林こばやし君くんはどうしました。このさい、先生せんせいと小林こばやし君くんとで、うんと活動かつどうしていただかなければなりませんからね。」

「小林こばやしも、すっかり、しょげていますよ。……小林こばやし君くん、ちょっと、ここへきたまえ。」

その声こえにおうじて、むこうのドアがひらき、小林こばやし少年しょうねんがはいってきました。いつも快活かいかつな小林こばやし君くんが、きょうは、うなだれた顔かおをあげることもできないようすです。

「小林こばやし君くん、しっかりしたまえ。きみが明智あけち先生せんせいを、はげましてくれなくちゃ、こまるじゃないか。」

人見ひとみさんに、そういわれても、小林こばやし君くんは、まだうなだれたまま、かすかに、「ええ。」と答こたえるばかりでした。

そこへ、廊下ろうかのほうのドアをノックして、アパートの玄関げんかん番ばんのじいさんが、顔かおをだしました。

「人見ひとみさん、お呼よびになった運転うんてん手しゅがきました。お荷物にもつはどこですか。」

「ああ、そうか、いまいくよ。……明智あけち先生せんせい、どうか元気げんきをだして、がんばってください。ではいってきます。」

人見ひとみさんは、かるくおじぎをして、廊下ろうかのほうへ出でていきます。明智あけち探偵たんていと小林こばやし少年しょうねんは、ドアのところまで、それを見みおくりました。

ふたりが、ひらいたままのドアの中なかに立たって、見みていますと、人見ひとみさんの部屋へやから、人見ひとみさんと自動じどう車しゃの運転うんてん手しゅが、大おおきなトランクを、ふたりがかりで、エッチラ、オッチラと、はこびだしてきました。重おもそうなトランクです。

二に―三み日かの旅行りょこうに、そんな重おもいトランクがいりようなのでしょうか。明智あけち探偵たんていも、小林こばやし少年しょうねんも、それを、うたがわねばならぬはずでした。ところが、ふしぎなことに、ふたりとも、ぼんやりした顔かおで、だまって、それを見みおくっているのです。

人見ひとみさんと運転うんてん手しゅは、トランクをはこんで、エレベーターの中なかへはいりました。そして、そのエレベーターがおりていってしまうと、明智あけち探偵たんていと小林こばやし少年しょうねんは、ドアをしめて、部屋へやにもどり、立たったまま向むかいあって、顔かおを見みあわせたのです。

ふしぎなことがおこりました。ふたりの顔かおから、あの心配しんぱいそうなかげが、スーッと消きえていって、にこやかな顔かおになったのです。そして、ふたりは、おかしくてたまらないように、笑わらいだしたではありませんか。

「ウフフフ……きみの変装へんそうはよくできたね。さっきのように、うなだれていれば、だれだって、小林こばやし君くんだと思おもうよ。」

明智あけち探偵たんていがいいますと、小林こばやし少年しょうねんとそっくりのあいてが、女おんなの声こえで答こたえました。

「わたし、顔かおをあげちゃいけないと思おもって、ずいぶん、がまんしましたわ。でも、うまく、あの人ひとを、だませましたわね。」

「あの先生せんせい、トランクの中なかに、きみのかわりに小林こばやし君くんがはいっているとも知しらず、とくいになって運はこんでいったね。いまにびっくりしても、おっつかないようなことがおこるよ。」

「でも、先生せんせい、小林こばやしさん、だいじょうぶでしょうか。わたし、なんだか心配しんぱいですわ。」

小林こばやし少年しょうねんに変装へんそうしたマユミさんが、まじめな顔かおになっていいました。

「小林こばやし君くんは、いままでに、こういう冒険ぼうけんは、いくどもやっている。いざとなると、ぼくでもかなわないほど、頭あたまのはたらく少年しょうねんだからね。だいじょうぶ、怪物かいぶつのすみかをたしかめて逃にげだしてくるよ。……人見ひとみは怪物かいぶつから電話でんわがかかってきたとき、ぼくの目めの前まえにいたのだから、かれは怪物かいぶつの手下てしたにすぎないのかもしれぬ。だから、うっかり、あいつをつかまえると、かんじんの怪物かいぶつを逃にがしてしまう心配しんぱいがある。それできみがトランクにいれられたのをさいわいに、小林こばやし君くんに身みがわりをつとめさせたのだよ。こうして、怪物かいぶつのすみかを、さぐってしまえば、あとは警察けいさつの力ちからで、ひとりのこらず、とらえることができるからね。」

明智あけち探偵たんていは、さいしょから人見ひとみという小説しょうせつ家かを、うたがっていました。それで、小林こばやし少年しょうねんに、そっと見みはりをさせておくと、マユミさんが、トランクにいれられたことがわかりましたので、小林こばやし少年しょうねんを身みがわりにする計画けいかくをたてたのです。

小林こばやし君くんは、夕ゆうがた女おんなの服ふくをきて、マユミさんとそっくりの姿すがたに、変装へんそうして三さん階かいのあき部屋へやにしのびこみ、針金はりがねをまげた道具どうぐで、トランクの錠じょうをひらき、もう麻酔ますいのさめていたマユミさんを助たすけだして、縄なわをといてやりました。

そして、かわりに、じぶんがトランクの中なかへはいり、マユミさんに、外そとから、さっきの道具どうぐで、錠じょうをおろさせたのです。トランクには、いきがつまらないように、ほうぼうに、小ちいさな穴あながあけてあるので、いくら長ながくはいっていても、命いのちにべつじょうはありません。

その夕ゆうがた、トランクにいれられたはずのマユミさんが、三さん階かいの部屋へやを出でて、明智あけち探偵たんていの部屋へやにもどったのは、そういうわけだったのです。

しかし、トランクづめになった小林こばやし君くんは、これから、どうなるでしょう? いくら冒険ぼうけんになれているといっても、あいてが、あの恐おそろしい妖あやかし人にんゴングです。もしや、いままでに、一いち度ども出であったことのないような恐おそろしいめに、あわされるのではないでしょうか。

新聞しんぶんは、この怪物かいぶつに、「妖あやかし人にんゴング」という名なをつけていました。ゴングというのはドラのことです。あのウワン、ウワン、ウワンという声こえが、まるでドラを、ゴン、ゴンとたたくように聞きこえるので、だれいうとなく、妖あやかし人にんゴングという、怪物かいぶつにふさわしい名ながついたのでした。

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