そんなさなかの、ある夜のことです。千葉県の銚子にちかいSという漁師町に、ふしぎなことがおこりました。
午前三時ごろ、朝のはやい漁師たちも、まだおきない、真夜中に、海のほうでおそろしい音がしたのです。
町の人は、みんな目をさましましたが、なんの音だかわかりませんでした。軍艦にのって戦争にいったことのある老人は、大きな砲弾が海におちて爆発した音に、にているといいました。しかしいまごろ、こんなところへ砲弾をうちこんでくるわけがありません。
朝になって、船をだしてみますと、海岸から一キロほどいった海面が、一面に赤黒くにごっていることがわかりました。そのへんに、なにか大きなものが、おちたにちがいありません。しかし、ふかい海ですから、なにがおちたか、きゅうに、しらべることもできません。大きないん石でもおちたのではないかということで、うやむやにおわってしまいました。
別所次郎君はS町の漁師の子で、小学校六年生でした。おとうさんや、にいさんは、朝の四時ごろには、もう船にのって漁にでかけるので、次郎君も早起きです。朝早く、町からすこしはなれたところにある、岩山の上へいって、朝日ののぼるのを見るのがだいすきでした。あのおそろしい音のしたあくる朝も、次郎君は、その岩山の上に立って、太平洋の水平線をみつめていました。
水平線には、雲がながくたなびいて、それがまっかにそまっています。太陽が、いま、のぼろうとしているのです。
雲のあいだから、もえるような金色の太陽がのぞきました。そして、みるみる大きなまるい姿をあらわしてきます。あたりが、にわかにあかるくなってきました。
頭のうえには、Rすい星が、まだぼんやりと、ひかっていました。さっきまでは、はっきり見えていたのが、太陽の光にけされて、だんだん、うすらいでいくのです。
岩山のきゅうながけの下をのぞいてみると、ドドドン、ドドドンと波がうちよせて、白いあわをたてています。
ふと気がつくと、岩山の下のほうが、なにかモヤモヤとうごいているようにおもわれました。
「へんだなあ、岩がうごくはずがないが。」
とおもって、よく見ると、それは、たくさんのカニが、岩はだをのぼってくるのでした。大きいのや、小さいのや、何十ぴきというカニが、むらがって、のぼってくるのです。
次郎君は、こんなにたくさんのカニを見たのは、はじめてでした。ウジャウジャと、八本の足をうごかして、のぼってくるのを見ていると、なにかわるいことのまえぶれのようで、おそろしくなってきます。
カニどもは、もう岩山の上まで、のぼりついてきました。そして、次郎君の立っている足のほうへ、ゾロゾロとはいよってくるのです。
そのときです。
次郎君は、岩山の下の海面に、へんなものを見ました。たくさんのカニは、やっぱり、なにかのまえぶれだったのです。そのものは、あわだつ海面からヌーッと、青黒い姿をあらわしました。
それは大きな海ガメのこうらのように見えました。青銅色をした海ガメです。
それが、だんだんあらわれてくると、青黒いこうらの下に、ピカピカ光る、二つのまるいものが見えました。黄色く電灯のようにひかっているのです。あっ、目です。怪物の二つの目です。
次郎君は「キャッ。」といってかけだしました。岩山からとびおりて、ちかくの森の中へ、いちもくさんに、にげこみました。それが、うちにかえる近道だったからです。
そのとき、怪物は、水面から全身をあらわしていました。頭は巨大なカニの形をしています。そこに二つの目がひかっているのです。頭の下に胸のようなものがあって、そこからカニのはさみににた、二本の腕が、ニューッとでています。そして、二本の足があって立ってあるくらしいのです。全身青黒くて、青銅でできているようなかんじです。
怪物はおそろしい速さで、岩山の上にのぼりつきました。そして、次郎君が森の中へにげこんでいくのをみつけると、パッと四つんばいになって、そのあとをおいました。その速いこと。巨大なカニが、えものをおっかけるのと、そっくりです。
次郎君は、森の中へにげこみながら、うしろをふりむきました。あっ、怪物がおそろしい速さで、ちかづいてきます。
もうだめだとおもいました。気がとおくなりそうです。足がうごかなくなって、グタグタと、ひざをついてしまいました。
「アナタ、ニンゲンデスカ。」
へんてこな声が、耳のそばで、きこえました。「あなた人間ですか。」ときいているのです。怪物がものをいったのです。それにしても、「人間ですか。」なんて、なんというへんな聞きかたでしょう。
つむっていた目を、おもいきってひらいてみると、すぐ目の前に、あのいやらしい青黒いカニのおばけが、立ちはだかっていました。
おそろしい目が黄色くひかっていますが、べつに、くいついてくるようすもなく、「人間ですか。」なんて、まぬけたことをいっているので、いくらか安心しました。
「アナタ、ニンゲンデスカ。」
カニのおばけは、また、おなじことをくりかえしました。ばかばかしくても、こたえないわけにはいきません。
「そうです。人間です。」
次郎君は、勇気をだして、大きな声で、こたえました。
「ココハ、チキュウノ、ニホンデスカ。」
地球の日本ですか、ときくのです。これもへんな聞きかたです。
「そうです。日本です。」
「トウキョウデスカ。」
「ちがいます。東京は、ずっととおくです。」
すると、カニのおばけは、どこからか、一枚の銀色にひかった紙のようなものを、とりだしました。胸のへんに、そういうものを、いれておく場所があるのでしょう。
その紙には、日本の地図が書いてありました。地図には、こまかい字のようなものが、いっぱい、書きいれてあるのですが、一度も見たことのない字ですから、次郎君には、さっぱりわかりません。
「ココハ、ドコデスカ。」
カニの怪物は、地図を次郎君の目の前にさしだして、たずねました。
次郎君は、あいてが、おとなしいことがわかったので、安心して、地図をよく見て、銚子のところを、ゆびさしてみせました。
「チョウシデスカ。トウキョウハ、ココデスカ。」