福山俊樹に会うべきではないか、と日比谷昭彦は思った。下北沢のあの喫茶店にはいつでもいける、という思いは思いだけであり、現実には福山が希望したように、ふらっと立ち寄ることを自分はあれから一度もしていない、と日比谷は反省した。中野玲子がくれた五枚の写真のコピーを福山に送った。その返礼に、この写真は自分なりに考えていくためのきっかけになりそうだ、と福山はファクシミリで伝えてきた。福山はいったいどんなことを考えたか。
山口県宇部市から日比谷が東京へ戻った日は火曜日だった。日比谷は福山の喫茶店に電話をかけた。福山は店にいた。会って話をしたいという希望を伝えた日比谷に、
「明日はいかがですか」
と、福山は言った。
「水曜日」
「はい」
「店は定休の日でしたね」
「そうです。もしおいでいただけるのでしたら、店でお待ちしています。どこかほかの場所がよろしければ、僕はどこへでも出向きます」
福山の提案を受けて、日比谷は定休日の店へいくことにした。午後の適当な時間を選んだ。
「お待ちしてます」
と福山は言った。
次の日、水曜日、約束した時間どおりに、日比谷は福山の喫茶店へいった。本日は定休です、と書いた札がドアにかかっていた。しかしそのドアは開いた。日比谷はなかに入った。カウンターの照明だけが灯っていた。そして福山俊樹はひとりでカウンターのなかにいた。生真面目な表情で福山は日比谷に礼をし、長方形の大きなテーブルの手前の角を片手で示した。
「いまエスプレッソをお作りします」
と、福山は言った。
「ダブルで」
日比谷は注文をつけ、福山はうなずいた。長方形のテーブルの、福山が示した角の右側の椅子に、日比谷はすわった。エスプレッソ・マシーンで一杯のエスプレッソを作るのは、ごく簡単な作業だ。無駄のいっさいない動きでその作業を滑らかにこなしていく福山を、日比谷は見守った。
「夏も峠を越しましたね」
福山は言った。
「どんな夏でしたか」
なかば冗談として、日比谷はそう聞いた。
「後藤美代子の夏でした」
と、福山は答えた。
「日比谷さんが写真を送ってくださってから、ずっと彼女のことを考えていました。美人OLなんて言葉を僕はあの週刊誌の記事のなかで遣いましたけれど、絶対に単なる美人OLではないですね、後藤さんは。それではいったい彼女はなになのかということをめぐって、考えごとばかりしていた夏でした」
「夏はもう少し残ってますよ」
日比谷の言葉に福山はうなずき、微笑した。そして、
「だから僕はもっと考えます」
と答えた。エスプレッソはダブルで完成した。受け皿に載せてカウンターに置き、福山は外へ出て来た。カウンターのエスプレッソを日比谷の手もとへ運び、テーブルの角をはさんで椅子にすわった。
「取材は進んでますか」
福山は言った。
高村恵子が展開してみせた推論を、日比谷は福山に語ってみたいと思った。しかし、語りたいという気持ちを彼は抑制した。宇部の美術館で矢沢千秋の個展を見て来たことについて、日比谷はあったとおりすべてを語った。高校三年生のときに美代子が矢沢のためにモデルを務め、二十代になってからも何度かモデルになったことを、日比谷は福山に語った。
「僕が最初に取材したとき、中野玲子さんという同級生から、美代子さんの写真を見せてもらいました」
と、福山は言った。
「福山さんの取材ノートに、写真を拝見、と書いてあったのがそれですね」
「いくら頼んでも、写真を貸してくれないんですよ。ここで見るだけにしてくれと言い張って。だから、拝見としか書きようがなかったのです」
そう言って福山は苦笑した。
「写真で拝見したかぎりでは、後藤美代子さんはじつに美しい人です。あれだけ美しければ絵にも描きたくなりますね。日比谷さんがコピーを送ってくださった写真は、初めて見るものです。中野さんが私に見せてくれたのは、行方不明になった時期に近い、その年の三月から四月にかけて中野さんが撮影した、スナップ・ショット三枚でした」
福山はそうつけ加えた。取材の結果として浮かんで来た美代子の性格の輪郭、彼女の自宅や両親のこと、そして自分のアシスタントとして取材をしてくれている高村恵子について、日比谷は語った。週刊誌のあの二ページの記事のために取材をしただけの福山にくらべて、日比谷はすでにはるかに多くのことを知っていた。自分たちのあいだに存在するその段差を、日比谷は軽い障害物のように意識した。世間話の域を出ないなら、段差は邪魔にはならない。しかし、それ以上に踏み込んだ話をするには、福山は知らなさ過ぎる、と日比谷は思った。その思いをいっきに帳消しにするようなことを、福山はなにげなく言った。
「中野玲子さんは、かなりのところまで知ってますよ」
日比谷はしばらく無言でいた。どのように答えればいいのか、とっさには判断がつかなかったからだ。福山がこのように言うときの、その根拠について質問すべきだ、という正しい方向を日比谷はやがて見つけた。
「そこまで言い切るからには、後藤美代子さんの行方不明事件の本質が、福山さんにはかなりのところまで見えているわけだ」
日比谷の言いかたに、福山はうれしそうな表情となった。何度かうなずき、微笑をさらに深め、ひとまず次のように言った。
「といういまの日比谷さんの言いかたは、中野玲子さんがかなりのところまで知っているということを、日比谷さんも認めた言いかたになりますよ」
「僕はなにも認めてはいない」
日比谷の反応に福山は笑った。
「では僕が考えたことを喋ります」
と、福山は言った。そして次のように続けた。