昼食を終えた日比谷昭彦は、電車に乗って仕事場へいった。準備室にあるファクシミリは受信した紙を自動的に切るタイプではない。受信した紙は巻紙をほどいたように、ファクシミリが置いてある台へ、そしてそこからフロアに向けて、垂れ下がる。十メートルを超える長さの受信紙がファクシミリからフロアへと落ちているのを、日比谷は拾い上げた。
何人もの人たちからのさまざまな用件のなかに、加藤早苗という女性からの受信があった。後藤美代子がかつて勤務していた新聞社の、調査部で同僚だったひとりだ。日比谷が村田という調査部の男性から話を聞いたとき、村田は後藤美代子と同僚として過ごした三人の女性たちを日比谷に会わせた。加藤早苗はそのうちのひとりだ。
『村田とともに過日お目にかかりました加藤と申します。お留守のようですので、ファクシミリにて失礼をいたします』
かたどおりの挨拶に続けて、加藤早苗は次のように書いていた。
『あれ以来というもの、後藤さんについて考えることが多く、それはなにか思い出すべきことがあるからだろうと思っておりましたところ、ひとつ思い出したことがございますので、お伝えしたく思います。お役に立てる内容かどうか、私にはまったくわかりませんが、お手空きの折りに調査部へ電話をいただければ、幸いでございます。私が席におりませんでしたら、電話に出た者におことづけをお願いいたします。私から日比谷様に連絡を取らせていただきます』
後藤美代子についての資料がすべて入っているファイルのなかから、日比谷は調査部の村田の名刺を取り出した。そしてそこへ電話をかけた。加藤早苗は席にいた。留守中に受信したファクシミリへの礼を日比谷は述べた。出向いて直接に話をうかがってもいいし、電話で語ることが可能なら電話で受けてもいい、と日比谷は言った。すぐに私からかけなおしますので、しばらくお待ちいただけますか、と彼女は言った。仕事場の電話番号を日比谷は彼女に伝えなおした。そして電話を切り、その場で待った。すぐに電話のブザーが鳴った。日比谷は受話器を取り上げた。
「お手数をおかけして申し訳ありません」
と、加藤早苗は電話の向こうで言った。調査部の部屋を出て、どこか別な場所から電話をかけなおしているのだ、と日比谷は見当をつけた。電話で充分に伝えることの出来る内容だと彼女は言い、次のように切り出した。
「後藤さんはフランス語がたいへんに堪能だった、という事実を思い出しました。私が直接に確認したことではなく、間接的に聞いたことなのですが、まず間違いのない事実です」
「フランス語に堪能だったのですか」
「はい」
「僕は知りませんでした」
「私たち調査部の者は、趣味でもなんでもいいのですが、他の人たちが体験していないようなこと、あるいは人よりも少しは余計に知っていることに関して、公開し合うのです。そのことならあの人に調査を頼むといい、という最初のとっかかりを、可能なかぎり多くしておきたいからです」
「よくわかります」
「後藤さんがフランス語に堪能だということは私は知りませんでしたし、他の人たちも知らなかったと思います」
「つまり後藤さんは、自分のフランス語の能力について、公開していなかったのですね」
「そうだと思います。公開は職務上の義務ではありませんし、自分ではまったくたいしたことないと思っていれば、なにも言わずにいることはあると思います」
「そうでしょうね」
と相槌を打った日比谷に、加藤早苗はフランス映画の題名をひとつ、言った。
「一九六〇年代前半の作品です。当時、日本でも公開されました。ご存じですか」
「題名は知っています。有名ですね。しかし、僕は見ていません」
「この映画のなかで描かれている人間関係の配置と、台詞のやりとりの一部分に関して、確認を求める依頼が学芸部の記者から入ったのです。ヴィデオは本国ではかつて発売されたのですがいまはなくて、日本では出ていないのです。とりあえず資料に頼るほかないのですが、たとえば公開当時にシナリオが翻訳されて日本の映画雑誌に掲載されたというようなことはなかったのです。かつて配給を扱った会社がいまも東京にあり、連絡してみたところ、まったくの偶然だったのですが、ニュー・プリントでふたたび公開される予定が出来たばかりのところだったのです。プリントはすでにその配給会社に届いていて、字幕を作成するために原文のシナリオをフランス側に請求している段階でした。後藤さんはその会社の試写室で試写してもらい、記者が依頼してきた調査内容に完璧に応えたのです。普通はそこで一件落着するのです。シナリオも字幕もなしに後藤さんが依頼を完全にこなしたことは、誰にもわからないままになるのです」
そこまで喋って加藤早苗はひと区切りとした。感情の抑揚を感じさせない、平坦に鎮静された喋りかたには、妙な説得力があった。
「たいへん興味深いお話です」
と、日比谷は反応した。それに促されて、彼女は続きを次のように語った。
「記事を書いたあとでその記者も試写してもらって見たのです。そのときもまだ字幕は入っていなくて、いっさいなにもわからなくて困った、とその記者から調査部に電話がありました。後藤さんはそのとき席にいず、私が電話に応対しました。調査部の女性はすごいねえ、あんなに複雑な映画が字幕なしでわかる人がいるんだねえ、と記者はしきりに驚いていました。フランス語がきわめて堪能でないと、あそこまではわからないはずだ、と記者は言っていました。後藤さんが手に入れた資料は、公開された当時に日本の映画雑誌に掲載された紹介記事くらいのものです。あとで私が後藤さんに訊いてみたら、いま私が申し上げたようないきさつを教えてくれたのです。フランス語は高校と短大で勉強したと言ってました。高校のフランス語は自由選択科目だったけれど、必修科目の単位としても補填出来るので、かなり厳しく教えられたということでした」
「短大と合わせて五年間ですね。五年あれば、かなりのところまで勉強出来ますよ」
そう言った日比谷に、加藤早苗は答えた。