ひとりの女性が失踪する。二十五歳、独身、両親とともに住んでいた自宅から新聞社に通勤し、調査部で仕事をしていた。怜悧さを絵に描いたような印象は、そのまま彼女の内面でもあった。そしてつけ加えるなら、たいへんな美人だった。しかしぜんたいとしてはなにがどう特別でもない、自分の現実を無理なく生きていただけの、失踪しなければならない理由など、周囲の人たちにはなにひとつ思い当たらない、そのかぎりでは平凡な人だった。
ある日ある時を境に、彼女はかき消えたかのようにいなくなり、それっきりだ。いったいどこへいってしまったのか、手がかりや情報などいっさいないままに、すでに五年が経過した。推理小説ふうに考えると、何者かに殺害されたのか、それとも自分の意志で消えたのか、ということになる。殺害されるほどの間抜けではない、と彼女の両親は確信している。両親としては、無理にでもそう思うほかない。自分の意志で消えた、という救いがそこに残るからだ。
失踪した当時、そのことは小さな新聞記事になった。そしてその記事に触発されて、週刊誌が取材して二ページの記事にした。その切り抜きを、日比谷昭彦というノン・フィクション作家が、自分の資料ファイルのなかに久しぶりに見る。そしてあらためて興味をかきたてられた彼は、失踪したその女性、後藤美代子をめぐって、個人的に取材を開始する。
五年前にいなくなったきりの、どこにいてなにをしているのかなど、いっさい不明なひとりの女性を主人公にして、この小説はこんなふうにして始まっていく。新聞に連載したのだったから、実際に書き始めたときには、少なくともぜんたいのおおまかな輪郭くらいは、僕の頭のなかに出来上がっていたはずだ。それがどのような輪郭だったか、そしてその輪郭のなかにどんなことが想定してあったのか、書いた当人の僕はすっかり忘れている。いくら考えても思い出すことは出来ない。当人とはそういうものなのだろう。
消えてそれっきりの後藤美代子があとに残したいくつかの関係の上に、消えてから五年という時間をクッションのように介在させて、日比谷昭彦が開始した取材によって次々に発生していく関係が、重なっていく。新聞連載のあとで一冊の本になったものを、書いた当人の僕がいま観察していくと、ははあ、なるほど、これは関係の物語として書いてあるのだな、ということがまずわかる。
消えたければ消えなさい、好きにすればいい、という態度でいまはすべてをあきらめているという、両親の後藤幸吉と百合子の夫妻。取材者の日比谷が作る彼らとの関係のなかに、日比谷がアシスタントとして雇った高村恵子という女性が、重なっていく。恵子には日比谷との関係がすでにあり、彼を経由して、美代子の両親との関係を持ち始める。恵子は消えた美代子とおなじ年齢で、姿かたちが美代子とそっくりだ。美人で才媛であるところも、どこか美代子を思わせる。美代子の自宅にいまもそのままある美代子の部屋、そしてその部屋に残されているもの、たとえば衣服などを、恵子は取材する。その過程で彼女は後藤幸吉・百合子夫妻とすっかりなじんでしまい、その家に居候するまでになり、ついには消えた美代子の代役のような位置におさまる。
週刊誌の記事を書いた記者をとおして、美代子とはおなじ高校に通っていた頃からの親友だった、中野玲子という女性を日比谷は知ることになる。美代子をめぐるいくつかの過去の出来事を、日比谷は彼女から教えてもらう。たとえば、美術の講師としてその高校で教えていた、矢沢千秋という画家の求めに応じて、彼の描く絵のモデルを美代子がつとめたこと。その絵はいまでも高校の校長室の壁に掛けてあるのだが、美代子の両親はなにも知らない。
その後の矢沢千秋を日比谷が取材すると、画家として名をなした矢沢はすでに他界していて、郷里の美術館では彼の画業の展覧会が開かれようとしていることを知る。中野玲子がその展覧会へいくと、美代子をモデルにした絵をさらに何点か、見ることになる。取材に来た高村恵子のうしろ姿を会場で見た玲子は、美代子とあまりにも似ている様子に驚愕し、まっ青になってその場に立ちすくむ、という経験もする。恵子と玲子はこのようにして知り合い、そこからふたりの関係が始まっていく。
読者の目の前に次々にあらわれてくる関係を、説明的に列挙していくとかなりの数になる。そしてそれらはすべて、重なり合う。いまはここにいない美代子という女性について、日比谷や恵子が取材を続けていくと、美代子の過去の断片が、ひとつまたひとつと、読者に提供される。と同時に、美代子をめぐる取材を中心にして、何人かの人たちをあらたに結びつけるいくつもの関係が、発生していく。無理した工夫や突飛な展開などは、絶対に避けなくてはいけない。かつての僕はどんなふうに書いただろうかと思いながら読んでみると、抑制はきちんときいていることを発見して、僕は安心したりする。
かつて美代子を中心に形成されていたいくつかの関係、そしていまはどこにいるかすらわからない美代子をおなじく中心にして、あらたに生まれてくる、いくつもの関係。いまはいない美代子を中心的な重力のようにして、それらの関係すべてが重なり合う。そのなかで少しずつわかってくるのは、中野玲子と美代子の関係が、少なくともこのストーリーにとっては、核心的な柱として機能している様子だ。
読んでいけばおそらく誰にでもわかることだから、ここでその核心について書いてしまうと、中野玲子は美代子に対する強烈な恋愛の感情を、いまでもそのままに持続させている。そしてその感情に支えられて、美代子が消えてからの五年間、美代子がなぜ消えたかについて、玲子は考え続けた。そして失踪の発端は高校時代のなかにあり、そこからどのような経路をたどって失踪にまでいたったのか、ほぼこうに違いないと確信することの出来る輪郭を、玲子は自分の胸のなかに描ききることに成功している。
玲子が日比谷に対して最後に語らなくてはいけないのは、その輪郭についてだ。しかしその輪郭は、立証されないかぎり、推論にしかすぎない。玲子ひとりでも立証することは可能だが、そのための行為は、美代子の存在をつきとめることに、そのままつながってしまう。玲子に対する強い恋愛の感情を、その強い純度のままに保ちたければ、美代子が発揮した失踪の意志を、玲子は尊重し続けなければいけない。考えれば考えるほど、輪郭は明らかになっていく。そして、明らかになればなるほど、それについて他者に語ることを、玲子は抑制しなくてはならない。
こういうダブル・バインドのさなかで、美代子の生まれ変わりのような高村恵子に対して、玲子としてはきわめて当然のこととして、恋愛の感情を抱く。新しく発生したその恋愛は、美代子の失踪の底に横たわる、そしていまも続いているはずの、ひとりの女性との恋愛と均衡して、ちょうど釣り合ってしまう。『道順は彼女に訊く』という小説は、じつはこういう関係の物語だ。
二〇〇一年十一月五日
片岡義男