← Library‹ 道順は彼女に訊く 第五章 写真と油絵

中野なかの玲子れいこに会あって二ふた日か後ご、玲子れいこからB5サイズの封筒ふうとうが日比谷ひびや宛あてに速達そくたつで届とどいた。仕事場しごとばで執筆しっぴつしていた彼かれは、それを受うけ取とった。折おれないように入いれたボール紙しが、封筒ふうとうぜんたいを固かたく支ささえていた。後藤ごとう美代子みよこの写真しゃしんだ、と日比谷ひびやが思おもったとおり、なかには写真しゃしんが五ご枚まい入はいっていた。小ちいさなカードに万年まんねん筆ひつで書かいたメモが添そえてあった。『美代子みよこの写真しゃしんをお届とどけします。すべて私わたくしが撮影さつえいしたものです。日比谷ひびやさんのファイルに加くわえてください』と、中野なかの玲子れいこは書かいていた。

いちばん上うえにあったのは、後藤ごとう美代子みよこの全身ぜんしんをとらえた白黒しろくろのプリントだった。マットの印画いんが紙しに柔やわらかい調子ちょうしでプリントしてあった。スポーツ・ウエアとしての下着したぎ、あるいはそれだけでスポーツ・ウエアとして成立せいりつするボトムとトップを身みにつけた美代子みよこは、細ほそいヒールのサンダルを履はいていた。

履はき込こみの深ふかい灰色はいいろのボトムに、タンクトップの裾すそを胸むねのふくらみのすぐ下したで切きり取とったような、おなじ灰色はいいろのトップだ。彼女かのじょの左右さゆうは壁かべだった。さほど幅はばのない廊下ろうかのような空間くうかんに、美代子みよこは骨盤こつばんを正立せいりつさせて腰こしをきめ、脚あしを開ひらいて仁王におう立たちしていた。レンズをまっすぐに凝視ぎょうしし、表情ひょうじょうを消けしていた。無理むりにポーズや表情ひょうじょうを作つくった結果けっかのぎこちなさのようなものを、日比谷ひびやはその写真しゃしんからいっさい感かんじなかった。

美代子みよこの右手みぎてにはピストル・クロスボウ、そして左手ひだりてにはその矢やが三さん本ほん、握にぎられていた。片方かたほうの壁かべからバウンスしたストロボの光ひかりを、美代子みよこの全身ぜんしんが受うけとめていた。壁かべは焼やき込こんで影かげに近ちかい状態じょうたいまで落おとしてあった。断面だんめんが縦長たてながの長ちょう方形ほうけいであるトンネルのなかに立たっているような効果こうかが、視覚しかく的てきに達成たっせいしてあった。

たいへん良よく出来できた若わかい女性じょせいの体からだだった。いい体からだ、と玲子れいこは言いっていた。まさにそのとおりだ、と日比谷ひびやは思おもった。見事みごとなプロポーションのなかに息いきのつまるような容積ようせき感かんが、ぜんたいの印象いんしょうにとっての源みなもとを形成けいせいしていた。彼女かのじょの体からだのあらゆるトポロジー、つまり白黒しろくろのプリントの無限むげん階調かいちょうが表現ひょうげんする曲面きょくめんのすべてに、雄弁ゆうべんでしかも静しずかな影かげが、緊迫きんぱく感かんをたたえて宿やどっていた。この影かげはただごとではない、と日比谷ひびやは思おもった。性的せいてきな魅力みりょくは当然とうぜんのこととして、それをはるかに越こえた美うつくしさとして、日比谷ひびやは受うけとめた。

二に枚まい目めの写真しゃしんは白黒しろくろのプリントのバスト・ショットだった。後藤ごとう美代子みよこの顔かおだちが良よくわかった。美代子みよこはもの静しずかでいつもきっちりと端正たんせいだった、と中野なかの玲子れいこは言いっていた。そのとおりだ。文句もんくなしの美貌びぼうは冷つめたくて同時どうじに優やさしく、固かたく跳はね返かえす力ちからと同時どうじに、どこまでも深ふかく受うけとめる許容きょよう力りょくを、日比谷ひびやに感かんじさせた。顔かおだちと表情ひょうじょうから日比谷ひびやが最終さいしゅう的てきに抽出ちゅうしゅつしたのは、美代子みよこの顔立かおだちのさまざまな細部さいぶにひそむ、異ことなったふたつの命題めいだいというものの危険きけんさだった。

下手へたにさわると怪我けがをする、というような通俗つうぞく的てきな次元じげんの危険きけんさではなかった。最初さいしょから攻撃こうげき的てきに構かまえているという、幼稚ようちな危険きけんさなどでもない。わかりにくい危険きけんさ。あるいは、わかりにくいことから生うまれて来くる危険きけんさ。この美うつくしい顔かおの内部ないぶになにがあるのか、まったくの未知みち数すうで見当けんとうもつかないことを当然とうぜんの前提ぜんていとするはずの、ある種しゅの危険きけんさ。後藤ごとう美代子みよこの写真しゃしんを見みながら、日比谷ひびや昭彦あきひこは一いち例れいとして頭あたまのなかでそのように言葉ことばを操あやつってみた。

三さん枚まい目めの写真しゃしんも白黒しろくろだった。一いち枚まい目めとおなじ下着したぎ的てきなスポーツ・ウエアを身みにつけ、クロゼットのドアらしいものに軽かるく背せを預あずけて立たっている、後藤ごとう美代子みよこの全身ぜんしん像ぞうだ。まっすぐにのばした左脚ひだりあしで体からだを支ささえ、力ちからを抜ぬいた右脚みぎあしは足首あしくびを左ひだりの足首あしくびの前まえで交差こうささせていた。腰こしに両手りょうてを当あて、後頭こうとう部ぶも背後はいごのドアにつけ、胸むねの位置いちから自分じぶんをとらえるレンズに、美代子みよこは微笑びしょうしていた。太腿ふとももの魅力みりょくに目めを取とられることを避さけ、この写真しゃしんでの後藤ごとう美代子みよこの印象いんしょうをたとえるなら、格闘かくとう技ぎの選手せんしゅだった。

四よん枚まい目めのカラー・プリントは、見みたような街角まちかどが背景はいけいになっていた。銀座ぎんざだ、と日比谷ひびやはすぐにわかった。銀座ぎんざ通とおりを京橋きょうばしに向むけて左側ひだりがわの歩道ほどうを歩あるいていき、首都しゅと高こうにさしかかる少すこし手前てまえだ。歩あるいていく美代子みよこのうしろ姿すがたのぜんたいが、その画面がめんのなかにあった。中野なかの玲子れいこはしゃがんで撮影さつえいしたはずだ、と日比谷ひびやは思おもった。撮影さつえい者しゃの視点してんは歩あるいていく美代子みよこの腰こしのあたりだ。どんなに端正たんせいに引ひき締しめてもおもてに出でてしまう、うしろ姿すがたの風情ふぜいというものがそこにあった。

五ご枚まい目めのカラー・プリントは、レストランのテーブルについている美代子みよこの、そのテーブルと手てもとを、テーブルの向むかい側がわから斜ななめにとらえたアップだった。おそらくラ・シャンブル・ノワールだろう。テーブルには食器しょっきが出でている。たたまれたナプキンがそのままある。食前しょくぜん酒しゅが出でた段階だんかいだ。その細ほそいグラスに、美代子みよこは右手みぎてを添そえていた。食前しょくぜん酒しゅは半分はんぶんほど飲のんであった。レストランの夕食ゆうしょくのテーブルにおける、差さし向むかいの人ひとが見みるはずの美代子みよこの両手りょうての魅力みりょく。中野なかの玲子れいこにこの写真しゃしんを撮とらせたのは、その魅力みりょくだったに違ちがいないと日比谷ひびやは思おもった。

何なん度ども繰くり返かえして、日比谷ひびやはその五ご枚まいの写真しゃしんを観察かんさつした。そして彼かれが得えた最終さいしゅう的てきな感慨かんがいは、被写ひしゃ体たいの美うつくしさやその魅力みりょくよりも、それをとらえる中野なかの玲子れいこの写真しゃしん的てきな感覚かんかくないしは才能さいのうに対たいしてだった。被写ひしゃ体たいとの正ただしくて緊密きんみつな呼応こおうの関係かんけいのなかに、撮影さつえい者しゃの中野なかの玲子れいこは自分じぶんを置おいていた。その玲子れいこに美代子みよこは気持きもちを許ゆるし、自分じぶんをあたえていた。自分じぶんを全開ぜんかいにし、その内部ないぶを提供ていきょうしていた。

五ご枚まいの写真しゃしんを日比谷ひびやはコピーした。三さん枚まいの白黒しろくろのプリントは普通ふつうのコピー機きで、二に倍ばいに拡大かくだいしてみた。オリジナルの印画いんが紙しプリントとはまったく異ことなった風合ふうあいの、別べつな作品さくひんのような仕上しあがりとなった。二に枚まいのカラー・プリントはカラー・コピー機きで拡大かくだい複写ふくしゃした。この二に枚まいも印画いんが紙しのプリントよりもはるかに質感しつかんの高たかいものとなった。

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