後藤幸吉への手紙を彼の自宅宛に、日比谷昭彦は一週間前に投函した。簡単に自己紹介した上で、五年前に週刊誌に掲載された二ページの記事を引っ越しをきっかけにして五年ぶりに読み返し、ノンフィクションの書き手として後藤美代子の失踪に興味を持っていることを、日比谷は手短に述べた。
一冊の本にまとまるかどうかはまったく未知数だが、取材だけはしてみたいのでその許可をいただけるかどうか、近いうちにお目にかかった上でお話をお伺いしたい、と日比谷は書いた。この手紙をお読みいただけた頃こちらから電話をします、と彼はかたどおりに結んだ。
その手紙を投函してから今日がちょうど一週間めだった。後藤幸吉が勤務している新聞社のすぐ近くに、午後二時過ぎのいま、日比谷昭彦は仕事に来ていた。その仕事はすでに終わった。歩道をいくと電話ブースがあった。日比谷は後藤幸吉の勤務する新聞社に電話をかけた。大代表にかけると交換手が出た。
「五年前に文化事業部にいらした後藤幸吉さんは、いまでもそちらでしょうか」
という日比谷の質問に、交換台の女性は一泊の間も置くことなく、次のように答えた。
「おなじ部署に在籍しております。おつなぎいたしましょうか」
「お願いします」
名を聞かれた日比谷は、ノンフィクション・ライターの日比谷、と答えた。電話はすぐにつながった。中年の男性の声が、
「はい、後藤です」
と言った。
「先日、ご自宅に手紙を差し上げました、日比谷昭彦と言います」
「日比谷さん。お手紙は読みました」
「仕事の場所へ電話をしまして、申し訳ありません」
「ご遠慮なく」
「他の用でたまたますぐ近くまで来ていまして、お会いできるかもしれないと思い、電話をしてみました」
「会いましょう。いらっしゃる場所は、どこですか」
日比谷は場所を後藤に伝えた。
「それはほんとにすぐ近くだ。そのままそちら側を交差点に向けて歩いていただいて、陸橋を渡ると目の前にある建物です」
「うかがってよろしいでしょうか」
「お目にかかりましょう。受付で私の名を言ってください。とおしておきます」
電話はそこで終わった。ブースを出て日比谷は交差点へ歩き、陸橋を渡った。
建物の正面の入り口からホールに入った。がらんとしたスペースのなぜか中央に、仮に設置したもののように受付のカウンターがあった。制服の警備員が三人、あちこちに立っていた。受付の女性に名を告げ、面会記録という小さな紙に名前と住所を書き、胸にクリップで止めるプラスティックの札をもらった。
「エレヴェーターを七階でお降りくださいませ。後藤がお待ち申し上げております」
背後のエレヴェーターの列を片手で示しながら、受付の女性は抑揚をつけてそう言った。この新聞社へ日比谷は仕事で何度来たかわからない。エレヴェーターを七階で降りろという指示は、常におなじだった。一般的な来訪者のための応接室が七階にあるからだろう、と日比谷は思っていた。エレヴェーターに乗り、彼は七階で降りた。中年の男性がひとり、エレヴェーター・ホールに立っていた。エレヴェーターを出た日比谷に歩み寄り、
「後藤です」
と、その男性は言った。
ふたりは挨拶を交わした。後藤は日比谷を廊下の奥へ導き、いくつもならんでいる応接室のひとつへ自分から先に入った。小さな応接室だった。丸いテーブルをあいだにはさみ、ふたりは椅子をうしろにして立った。後藤が名刺を出し、日比谷は自分の名刺と交換にそれを受け取った。後藤の肩書は五年前とおなじ副部長だった。ふたりは椅子にすわった。
「絵の展覧会の主催とか後援とか、そういうことをやる部署です。いくつかのセクションに分かれていて、セクションごとに横ならびに何人も、副部長というのがいるんです」
気どりも構えもない口調で、後藤はそう言った。
「私の来意は先日の手紙に書いたとおりです」
と、日比谷は事務的に言ってみた。後藤はうなずいた。
「取材の許可はいただけますか」
意図してもっとも端的に、日比谷はそう言った。返って来たのは、
「いいですよ」
という言葉だった。そしてその言葉に、
「許可には協力も含まれますね」
と、後藤幸吉はつけ加えた。
「そう願えれば」
「いいですよ。協力します」
態度、つまりものの考えかたのはっきりした男だ、と日比谷はひとまず判断した。
「五年前のあの週刊誌の記事を取材して書いた福山という人に、私は先日会いました。後藤さんには会うなり怒鳴りつけられた、と彼は言ってました」
後藤は深くうなずいた。中年男性の正直な苦笑を浮かべ、
「充分に後悔しています」
と、彼は言った。
「なにしろあのときは時期が悪かった。いなくなって三か月後で、いっさいなんの手がかりもないときてるから、あらゆることに腹が立ちましてね。週刊誌がなにしに来るのか、という態度で待ちかまえていて、確かに私は怒鳴りました」
「なにひとつ取材出来なかった、と福山は言っていました」
「そのとおりです」
「私には、なぜ許可していただけるのですか」
日比谷昭彦の言葉に、後藤幸吉は視線をテーブルの縁に伏せた。そしてさらにフロアへ視線を落とし、そのままの姿勢で、
「五年という歳月ですよ」
と、やや重く言った。五年という時間に歳月という言葉を合わせるから口調は重くなる、と思いながら日比谷は後藤のその言葉を受けとめた。後藤は顔を上げて日比谷を見た。そして次のように言った。
「結論から言いますとね、私たちはもはやすべて諦めてるわけです」
「はあ」
「娘に関しては、いまだになんの手がかりもないのです。かき消えて、それっきりです。初めのうちはとにかく心配でね。どこでどうしてるのかと思うと、眠れませんでした。その時期が終わると、今度は腹が立ってきまして。誰かに力ずくで連れ去られたのなら、なんというドジな娘なのか、という腹立ちです。もし自分の意志で消えたのなら、そのことについてひと言くらいあってもいいだろう、という腹立ちがその次に来ました」
「わかります」