五月に高木節子はハワイに移住した。彼女がひとりで住んでいたアパートメントの部屋を、そのままヨシオが引き継いで住むことになった。自宅からすぐ近くの、彼にとっての別室だ。独立に向けての助走路のなかに見つけた、最初の拠点のような部屋だ。
冬彦がしばしばその部屋を訪ねるようになり、彼もその部屋を気にいった。どれかひとつ部屋は空かないだろうか、と冬彦はヨシオに聞いた。八つある部屋のどれもが、いまは埋まっていた。五月にひとつ空く予定だった。予定はのびて、六月にその部屋は空いた。冬彦がその部屋を借りることになった。厚いヴェルヴェットのカーテンを自宅から持って来て居間の半分近くを仕切り、そこを暗室にした。部屋代やフィルムを買うおかねのためにアルバイトをしなくてはならないと冬彦は言い、写真に関係した技術系のアルバイトを探し始めた。
七月なかば、まだ梅雨は始まっていない曇った日の午後、伊東夏子はアパートメントの冬彦の部屋へ来た。冬彦の部屋での、最初の撮影をおこなうことになっていた。夏の薄いスカートに半袖のシャツという、なんの変哲もない服装の夏子を、二階への階段やキチンの奥の食事のためのスペースで、冬彦は写真に撮った。
二階の寝室へ上がり、そこでも撮影した。寝室には冬彦のベッドがあった。窓にヘッドボードを寄せてシングル・ベッドがあり、ドアのある壁に接して、ベンチともテーブルともつかない横に長い台があった。作りつけのクロゼットを別にすると、寝室の家具はいまのところそれだけだ。ベッドにすわったりなかば横たわったり、さまざまなポースをとる夏子を、冬彦はひとしきり撮った。そして、
「ヌードは撮らないの?」
と、夏子は聞いた。
「撮りたいです」
冬彦は答えた。
「私のヌード」
「撮りたいと思っています」
「裸はいつ撮ってもらえるのかなあ、と思ってたのよ。いま撮って」
「撮ります」
スカートのポケットから夏子はハンカチを取り出した。縁がレースになっている白いハンカチを広げ、左右の頬、そして額などを、彼女は軽くおさえた。ベッドの縁にすわって冬彦と向き合った彼女は、自分のかたわらにハンカチを置いた。そしてシャツのボタンを上からはずしていった。
「脱いでいくところから撮って」
窓から入って来る光は、見た目よりもはるかに明るかった。ボタンをすべてはずし、裾をスカートのなかから引き出していく夏子を、冬彦はその光のなかで写真に撮った。シャツを脱いで上半身はブラジャーだけとなった。スカートの脇のジパーを下げ、一瞬だけ腰を上げてその下からスカートを抜き取り、両膝を越えて彼女はスカートを足もとへ落とした。
冬彦が自分に向けて構えている写真機のレンズを、夏子は見た。写真に撮るときわめて純度の高い謎となるはずの、淡く美しい微笑を彼女は浮かべた。背中に両手をまわし、フックをはずし、彼女はブラジャーを取った。フロアの上にあるシャツとスカートの上に、ブラジャーも落とした。彼女を斜めに見上げる位置に膝をつき、冬彦は夏子を撮った。フロアに腹ばいになってさらに撮り、立ち上がってショーツを脱ぐ彼女の一連の動作も、低い位置から彼はフィルムに収めた。
裸になった夏子は、ベッドから立ち上がった。窓へ歩き、その前に立った。開いてある窓の枠に両手を軽く置き、まっすぐに立って彼女は外を見た。うしろ姿を、冬彦は撮影した。胸と腹との中間あたりの高さの窓枠に、夏子は両肘を載せた。裸の上体は窓枠に対して少しだけ前かがみとなった。片方の脚から緊張を抜いてポーズをわずかに変えると、裸の夏子のうしろ姿の物語は、まったく別のものになった。そのような様子も彼は逃さなかった。上体をひねり、夏子は彼を振り返って微笑した。台を寄せてある壁に体をつけて、斜め横からその夏子の全身を、冬彦は撮った。写真機に入っていた何本めかのフィルムは、そこで終わりになった。彼はフィルムを巻き取った。
夏子は窓から彼のかたわらへ来た。彼の腕を取って、ベッドへ導き、そのかたわらで彼と向き合って立った。
「私はこんなに裸なのよ」
夏子は言った。
「あなたも裸になって」
そう言って彼女は彼のシャツのボタンをはずし始めた。ボタンをすべてはずし、シャツのなかに両手を差し込み、彼の肩から背中へと両手を滑らせていき、シャツを脱がせた。シャツはフロアに落ち、夏子の脱いだ服となかば重なり合った。
「脱いで」
夏子は彼のチノ・パンツを示した。彼はベルトのバックルをゆるめ、チノ・パンツを脱いだ。トランクス一枚になった彼のかたわらで、夏子はベッドの縁にすわった。隣りにすわった彼を、夏子は横から抱いた。ベッドの縁にすわったまま、ふたりは抱き合った。抱いた彼を自分に向けて引き寄せつつ、夏子は自分の上体をベッドに向けて倒した。ふたりともベッドの縁からフロアに向けて両脚を残したまま、シーツの上に横たわった。
「ベッドに脚を上げて」
抱いている彼に夏子は囁いた。両脚をベッドに上げて、彼は横たわった。その彼に全身を接し、夏子も裸の体をのばした。ふたりは抱き合い、口づけをした。しばらく続けてから、夏子は唇をかすかに浮かせた。自分の唇を彼の唇と触れ合わせたまま、
「初めて?」
と、夏子は聞いた。
「そうです」
「私もよ」
ふたたび口づけの時間が続いた。さきほどとおなじように少しだけ唇を離し、
「私たちは、こうなるべきなのよ」
と、夏子は言った。
「あなたもそう思う?」
「思います」
「ヌードの次は、これを心配してたのよ。いつなのかなあ、と思って。写真は撮っても、これはないのかしらと思うと、不安だったの。でも、もう心配しなくていいのね」
「はい」
としか、いまの冬彦には答えられなかった。
夏子は彼を自分の上に導いた。両脚を開いてそのあいだに彼を迎え、腹から胸にかけての美しい造形の容積の上に、彼を受けとめた。おたがいに相手を抱きなおし、ふたりは口づけを交わした。口づけのままに夏子は右手で彼の肩から背中を撫で、その手は腰へ降りていき、トランクスの縁からそのなかへ手を滑り込ませた。
「脱ぎましょう」