五月の晴れた日、大学の近くにヨシオは一軒の喫茶店を見つけた。正門から歩いて七、八分、住宅地が始まる静かなあたりに、その喫茶店はあった。店から先は小さな丘の重なり合う複雑な地形だ。そのぜんたいが、奥に向けて住宅地となっていた。歩道のある道に面した角地に前庭があり、少し引っ込んで建っている店の玄関へ、歩道からまっすぐにアプローチがあった。アプローチのかたわらに、支柱に支えられて小さな看板が立っていた。コーヒーのおいしい店、喫茶店エイヴォン、と看板には書いてあった。片仮名のエイヴォンの下に、英文字が添えてあった。
いい店かもしれない、とヨシオは思った。だから彼はその店に入った。アプローチからポーチへ四段の階段を上がり、ドアを開いてなかに入った。玄関ホールのようなスペースから二段だけ上がって、店の中心となっている板張りのフロアが、ほどよい広さで横たわっていた。そのスペースの中央には長方形の大きなテーブルがあり、いくつもの椅子が囲んでいた。その向こうが横に長くカウンターで、カウンターのなかが調理場だった。背後は壁いちめんに棚となっていた。
長方形のテーブルの左側に、奥へ向けてさらにスペースがあった。そのスペースの両側にいくつかのテーブルと椅子があり、突き当りまでいくとその壁に沿って横に一列の席が作ってあった。いくつかの小さなテーブルと椅子が、その席と向き合っていた。店に入ってすぐ左にある柱を左へまわり込むと、二段だけ低くなったスペースが奥に向けて縦長にあった。ぜんたいのスペースを見渡したヨシオは、左の奥へ入っていった。そして壁を背にしてふたり用の椅子にすわった。
ウエイトレスがすぐに水を持って来た。姿のいい美人だった。この美人は鑑賞に値する、とヨシオは思った。手渡された小さな手書きのメニューに、胡瓜のサンドイッチがあるのをヨシオは見た。コーヒーには括弧してそのなかにフレンチと但し書きしてあった。コーヒーと胡瓜のサンドイッチを、ヨシオは注文した。
魅力的に濃いコーヒーは、端正に小さめのカップで出て来た。胡瓜のサンドイッチは思いきって大きな皿に、かなりの量があった。かたわらにはポテトチップスがひとつかみ添えてあった。コーヒーの出来ばえは完璧に近く、胡瓜のサンドイッチは正解だった。ポテトチップスはどちらにも良く調和した。大学の周辺に何軒もある喫茶店のなかで、エイヴォンというその店は、ヨシオにとってもっとも好ましい、したがっていきつけの店となった。
二度めにいったときには、その店に彼は二時間近くいた。コーヒーは二杯飲んだ。ホノルルの高木節子に宛てて彼はそこで手紙を書いた。月に二度は、彼は彼女に手紙を書いていた。航空便用の薄いレター・ペーパーにいつも五枚、彼は万年筆を使ってびっしりと書いた。せっかくの手紙だから、受け取る節子としては五枚は読みたいだろう、と彼は思った。だからレター・ペーパーに五枚だ。えんじ色のパーカー51のデミ・サイズに、ブルー・ブラックのインキを彼は使った。
すでに何通もの手紙を節子に宛てて書いたヨシオは、手紙とはストーリーである、という結論に到達していた。節子がハワイへいったあとの自分の身辺についてなんとなく書き綴るのではなく、主題をきちんときめた上で、それにふさわしい起承転結のなかで、一編のストーリーとして手紙を仕上げることを彼は心がけた。いろんなことを考えては、それを断片のままノートブックに書いていき、やがてひとつのプロットへとつなげ直していく。修正や加筆をしてぜんたいを整え、これでいいとなったら万年筆でレター・ペーパーに書く。
もっとも気にいった喫茶店であるエイヴォンというその店にいくとき、ヨシオはいつもひとりだった。気にいったその店は自分ひとりだけの時間のものにしておきたい、と彼は思った。本を読んだりただぼうっとしていたり、あれやこれや思いつくことをノートブックに書いたりして過ごした。
店は午前十一時から午後六時までだった。店主とおぼしき三十代後半の女性と、若い美人のウエイトレスのふたりが、店の人だ。ウエイトレスは、外見の出来ばえは素晴らしいと言っていい、大変な美人だった。午前十一時から店に出て、午後はそのときどきの自分の都合に合わせて適当に切り上げているようだと、ヨシオは観察した。
美人を見ているのが好きなヨシオにとって、その喫茶店へいくことは、彼女を鑑賞することでもあった。きわめて精巧に出来たロボットとして彼女を受けとめるともっとも面白い、というひとまずの結論に彼は早い時期に到達した。彼女はほとんどいつも、おなじ表情をしていた。表情は固く、仏頂面と言ってもいいニュアンスもあった。身のこなしは一定のプログラムに沿っておこなわれ、そこから逸脱することがないように思えた。美人であることは間違いないのだが、彼女には固有の雰囲気が希薄だった。外見の美しさは確かに存在するが、そこから外に向けて発揮されて来るはずの魅力というものが、ほとんどなかった。彼女をどう受けとめればいいのか、多くの客が当惑しているのではないか、とヨシオは想像した。
彼女について、彼はノートブックに書いた。高木節子について書いたことと比較をしていくと、興味深いものがあるのを、彼は発見した。高木節子からは、彼女が内部に持っている魅力が、惜しげもなく、常に全開で発揮されていた。発散されて来る魅力はきわめて豊富であり、雰囲気は尽きることなく、それに触れていると飽きることはなかった。もし節子がハワイへ移らなければ、いま頃は彼女のそのような魅力のなかへ、自分は完全にからめ取られているのではないか、とヨシオは思った。