年が明けてすぐに、ヨシオは日比谷優子の父親、日比谷敬一に会った。かつての彼の妻、順子について、お会いした上で話を聞きたい、というヨシオの希望を優子が取り次いだ。日比谷敬一からヨシオ宛てに葉書で速達が届いた。会うことの出来る日と時間、そして場所が、その葉書には書いてあった。
約束の日、水曜日、約束の時間、午後六時十五分、指定された東京駅八重洲口の近くにある喫茶店に、ヨシオは出向いた。一階と中二階、そして二階と、その店内は三つの層になっていた。中二階の奥の席にひとりですわり、日比谷敬一はコーヒー・カップを片手に新聞を読んでいた。会社に勤めている人のスーツを着て、白いシャツにネクタイを締めていた。席のかたわらに黒いオーヴァーコートとマフラーが置いてあった。この人だということは、ヨシオにはすぐにわかった。
確認するヨシオに、
「はい、そうです、私が日比谷です」
と日比谷敬一は答えた。いまはまだ四十九歳であるはずの日比谷と、テーブルをはさんで差し向かいにヨシオはすわった。
「話の要点は娘から聞いています」
と、日比谷は言った。
「時間をとっていただけることに、お礼を申し上げます」
「いや、なに、勤めの帰りだから。会社はおもての道路の斜め向かいです。私のかつての妻、順子についてのお話だとか」
中肉中背という言葉がぴったり来る、ハンサムとは言いがたいが三枚目でもない、中年の日比谷敬一をヨシオは観察した。話のしやすい相手であることを、それまでの彼の口調から、ヨシオは判断した。日比谷優子がかつて自分に語った、母親に夢のなかでもいいから会いたいという願望について、ヨシオは優子の父親に語った。母親が二十六歳だったときの写真を一枚、優子が常に持ち歩いていること、九州の実家を訪ねて昔の写真をすべて複写して来たこと、遺品の手紙や葉書を頼りに母親の知人や友人に手紙を出し、母の写真を優子が求めたことなどについて、ヨシオは手短に語った。
「すべて私は知ってます。優子のもっとも好きな話題ですよ」
「さしつかえないかぎり、ご記憶のなかの順子さんについて、聞かせていただきたいのです」
「そんな話を私から聞いて、どうするんですか」
「ノートに文章で書きます」
「そして?」
「それ以上には、なんのあてもありません。優子さんには読んでいただくことになると思います」
「旧姓中原順子、二十七歳のとき私と知り合って結婚して、二十九歳であの優子を出産し、三十一歳で死去。急性心不全。ともに生活したのは五年足らず。遺品としての服、そしてさっききみの話に出て来た手紙や葉書そのほか、紙類つまり書類のようなものは、すべて優子が持ってますよ。写真などね。最後に残るのは、結局、そういうものだけだから。それ以外には、もうなにもないですよ。死去して十八年」
「ご記憶のなかには」
「いろいろありますよ。どこから語ればいいかね。遺品の話のついでに言うと、物を持ってなかった女でね。結婚して別のアパートの部屋にふたりで入ることになって、その部屋を見にいったとき、空き室だから当然のこととして、なにもなくてがらんとしてるよね。私と順子が入居したあとも、がらんとしてたよ。なにもないんだ。物が。私も物は持ってなかったし。いまでも、物は持たないよ。おたがい似てるな、とそのとき思ったのを記憶してる。狭い部屋なのだけど、物がなくてがらんとしていた。そのアパートに移る前までは、私は三畳の部屋で寝起きしてたからね」
「再婚なさったのは」
「優子が五歳のとき。家庭の道具、たとえば調理器具やほうき、塵取りなどは、古いものは捨てて新しく買っていくよね。いまはもう、順子の当時のものは、なにも残ってないよ。装身具なんて持ってなかったし。なにがあると言うんですか、あの酷い時代に。記憶だけだよ。思い出だけで充分。ここと、ここに」
そう言って日比谷敬一は自分の頭と胸とを片手で示した。
「結婚したのが一九三八年だよ。その年の春。すぐに灯火管制の規則が出来て。秋に新聞用紙の制限なんかが始まって。前の年に日中戦争が始まってるから。結婚した年の十月には、広東占領だよ」
「大変な時代ですね」
「人ごとのように言うけれどね、きみは優子とおなじ年齢だから、きみだってその大変な時代に生まれてるんだ。いまさらぐちを言うわけではないけれど、生活の余裕はまったくなかったよ。僕の才覚の問題かもしらんけれど。順子の唐津の実家には、一度もいってないんだ。それだけの余裕がなかった。余裕とは、はっきり言って、おかねです。九州までの汽車賃がなかった。お姉さんが東京へ出て来たときがあって、会ったよ。アパートに泊まってもらった。それだけだね。僕は北海道だから。そこへも、一度も連れていけなかった。この道はいつか来た道、という歌があるだろう。あの道は僕の故郷の札幌にあるんだ。順子はその道を歩きたがってたよ」
「写真ではたいへんな美人ですね」
「現実にも、そうだった。文句なしのね。いわゆる不利なアングル、というものがひとつもないんだ。少なくとも、僕の記憶するかぎりでは。輝くような美人だよ。しかし、静かに落ちついた、きちっとした人だったから、あまり目立たなかったという側面もあるね。それよりも、性格の良さだよ。外面の美しさを、それは大きく上まわっていた。ごく日常的に言うと、順子のふくれっ面というものを、僕は一度も見たことがないんだ。娘の優子は、しかし、ふくれっ面の名人だ」
「優子さんは、いつも持っている写真のなかのお母さんに、よく似ています」
「母と娘だもの。それに、完全に母親似だね。少なくとも外面は。僕にはなにひとつ似ていない。似る必要はないし、似ていなくて幸いだったが。母と娘とは言っても、二者はあきらかに別物だよ」
「主演映画の撮影が、始まっています」
「単なるスターよりも、確たる演技者になってほしいね」
「順子さんの昔の知人や友人には、いまからでも連絡は取れるでしょうか」
ヨシオの質問に日比谷敬一は首を振った。