← Library‹ 東京青年 可能性という謎 3

年ねんが明あけてすぐに、ヨシオは日比谷ひびや優子ゆうこの父親ちちおや、日比谷ひびや敬一けいいちに会あった。かつての彼かれの妻つま、順子じゅんこについて、お会あいした上うえで話はなしを聞ききたい、というヨシオの希望きぼうを優子ゆうこが取とり次ついだ。日比谷ひびや敬一けいいちからヨシオ宛あてに葉書はがきで速達そくたつが届とどいた。会あうことの出来できる日ひと時間じかん、そして場所ばしょが、その葉書はがきには書かいてあった。

約束やくそくの日ひ、水曜すいよう日ひ、約束やくそくの時間じかん、午後ごご六ろく時じ十じゅう五ご分ふん、指定していされた東京とうきょう駅えき八重洲やえす口くちの近ちかくにある喫茶きっさ店てんに、ヨシオは出向でむいた。一いち階かいと中ちゅう二に階かい、そして二に階かいと、その店内てんないは三みつの層そうになっていた。中ちゅう二に階かいの奥おくの席せきにひとりですわり、日比谷ひびや敬一けいいちはコーヒー・カップを片手かたてに新聞しんぶんを読よんでいた。会社かいしゃに勤つとめている人ひとのスーツを着きて、白しろいシャツにネクタイを締しめていた。席せきのかたわらに黒くろいオーヴァーコートとマフラーが置おいてあった。この人ひとだということは、ヨシオにはすぐにわかった。

確認かくにんするヨシオに、

「はい、そうです、私わたくしが日比谷ひびやです」

と日比谷ひびや敬一けいいちは答こたえた。いまはまだ四十よんじゅう九きゅう歳さいであるはずの日比谷ひびやと、テーブルをはさんで差さし向むかいにヨシオはすわった。

「話はなしの要点ようてんは娘むすめから聞きいています」

と、日比谷ひびやは言いった。

「時間じかんをとっていただけることに、お礼れいを申もうし上あげます」

「いや、なに、勤つとめの帰かえりだから。会社かいしゃはおもての道路どうろの斜ななめ向むかいです。私わたくしのかつての妻つま、順子じゅんこについてのお話はなしだとか」

中肉ちゅうにく中背ちゅうぜいという言葉ことばがぴったり来くる、ハンサムとは言いいがたいが三さん枚まい目めでもない、中年ちゅうねんの日比谷ひびや敬一けいいちをヨシオは観察かんさつした。話はなしのしやすい相手あいてであることを、それまでの彼かれの口調くちょうから、ヨシオは判断はんだんした。日比谷ひびや優子ゆうこがかつて自分じぶんに語かたった、母親ははおやに夢ゆめのなかでもいいから会あいたいという願望がんぼうについて、ヨシオは優子ゆうこの父親ちちおやに語かたった。母親ははおやが二十にじゅう六ろく歳さいだったときの写真しゃしんを一いち枚まい、優子ゆうこが常つねに持もち歩あるいていること、九州きゅうしゅうの実家じっかを訪たずねて昔むかしの写真しゃしんをすべて複写ふくしゃして来きたこと、遺品いひんの手紙てがみや葉書はがきを頼たよりに母親ははおやの知人ちじんや友人ゆうじんに手紙てがみを出だし、母ははの写真しゃしんを優子ゆうこが求もとめたことなどについて、ヨシオは手短てみじかに語かたった。

「すべて私わたくしは知しってます。優子ゆうこのもっとも好すきな話題わだいですよ」

「さしつかえないかぎり、ご記憶きおくのなかの順子じゅんこさんについて、聞きかせていただきたいのです」

「そんな話はなしを私わたくしから聞きいて、どうするんですか」

「ノートに文章ぶんしょうで書かきます」

「そして?」

「それ以上いじょうには、なんのあてもありません。優子ゆうこさんには読よんでいただくことになると思おもいます」

「旧姓きゅうせい中原なかはら順子じゅんこ、二十にじゅう七なな歳さいのとき私わたくしと知しり合あって結婚けっこんして、二十にじゅう九きゅう歳さいであの優子ゆうこを出産しゅっさんし、三十さんじゅう一いち歳さいで死去しきょ。急性きゅうせい心しん不全ふぜん。ともに生活せいかつしたのは五ご年ねん足たらず。遺品いひんとしての服ふく、そしてさっききみの話はなしに出でて来きた手紙てがみや葉書はがきそのほか、紙かみ類るいつまり書類しょるいのようなものは、すべて優子ゆうこが持もってますよ。写真しゃしんなどね。最後さいごに残のこるのは、結局けっきょく、そういうものだけだから。それ以外いがいには、もうなにもないですよ。死去しきょして十じゅう八はち年ねん」

「ご記憶きおくのなかには」

「いろいろありますよ。どこから語かたればいいかね。遺品いひんの話はなしのついでに言ゆうと、物ものを持もってなかった女おんなでね。結婚けっこんして別べつのアパートの部屋へやにふたりで入はいることになって、その部屋へやを見みにいったとき、空あき室しつだから当然とうぜんのこととして、なにもなくてがらんとしてるよね。私わたくしと順子じゅんこが入居にゅうきょしたあとも、がらんとしてたよ。なにもないんだ。物ものが。私わたくしも物ものは持もってなかったし。いまでも、物ものは持もたないよ。おたがい似にてるな、とそのとき思おもったのを記憶きおくしてる。狭せまい部屋へやなのだけど、物ものがなくてがらんとしていた。そのアパートに移うつる前まえまでは、私わたくしは三さん畳じょうの部屋へやで寝起ねおきしてたからね」

「再婚さいこんなさったのは」

「優子ゆうこが五ご歳さいのとき。家庭かていの道具どうぐ、たとえば調理ちょうり器具きぐやほうき、塵取ちりとりなどは、古ふるいものは捨すてて新あたらしく買かっていくよね。いまはもう、順子じゅんこの当時とうじのものは、なにも残のこってないよ。装身そうしん具ぐなんて持もってなかったし。なにがあると言いうんですか、あの酷ひどい時代じだいに。記憶きおくだけだよ。思おもい出でだけで充分じゅうぶん。ここと、ここに」

そう言いって日比谷ひびや敬一けいいちは自分じぶんの頭あたまと胸むねとを片手かたてで示しめした。

「結婚けっこんしたのが一いち九きゅう三さん八はち年ねんだよ。その年としの春はる。すぐに灯火とうか管制かんせいの規則きそくが出来できて。秋あきに新聞しんぶん用よう紙しの制限せいげんなんかが始はじまって。前まえの年としに日中にっちゅう戦争せんそうが始はじまってるから。結婚けっこんした年としの十じゅう月がつには、広東かんとん占領せんりょうだよ」

「大変たいへんな時代じだいですね」

「人ひとごとのように言ゆうけれどね、きみは優子ゆうことおなじ年齢ねんれいだから、きみだってその大変たいへんな時代じだいに生うまれてるんだ。いまさらぐちを言いうわけではないけれど、生活せいかつの余裕よゆうはまったくなかったよ。僕ぼくの才覚さいかくの問題もんだいかもしらんけれど。順子じゅんこの唐津からつの実家じっかには、一いち度どもいってないんだ。それだけの余裕よゆうがなかった。余裕よゆうとは、はっきり言いって、おかねです。九州きゅうしゅうまでの汽車きしゃ賃ちんがなかった。お姉あねさんが東京とうきょうへ出でて来きたときがあって、会あったよ。アパートに泊とまってもらった。それだけだね。僕ぼくは北海道ほっかいどうだから。そこへも、一いち度ども連つれていけなかった。この道みちはいつか来きた道みち、という歌うたがあるだろう。あの道みちは僕ぼくの故郷こきょうの札幌さっぽろにあるんだ。順子じゅんこはその道みちを歩あるきたがってたよ」

「写真しゃしんではたいへんな美人びじんですね」

「現実げんじつにも、そうだった。文句もんくなしのね。いわゆる不利ふりなアングル、というものがひとつもないんだ。少すくなくとも、僕ぼくの記憶きおくするかぎりでは。輝かがやくような美人びじんだよ。しかし、静しずかに落おちついた、きちっとした人ひとだったから、あまり目立めだたなかったという側面そくめんもあるね。それよりも、性格せいかくの良よさだよ。外面そとづらの美うつくしさを、それは大おおきく上うわまわっていた。ごく日常にちじょう的てきに言ゆうと、順子じゅんこのふくれっ面つらというものを、僕ぼくは一いち度ども見みたことがないんだ。娘むすめの優子ゆうこは、しかし、ふくれっ面つらの名人めいじんだ」

「優子ゆうこさんは、いつも持もっている写真しゃしんのなかのお母ははさんに、よく似にています」

「母ははと娘むすめだもの。それに、完全かんぜんに母親ははおや似にだね。少すくなくとも外面げめんは。僕ぼくにはなにひとつ似にていない。似にる必要ひつようはないし、似にていなくて幸さいわいだったが。母ははと娘むすめとは言いっても、二者にしゃはあきらかに別物べつものだよ」

「主演しゅえん映画えいがの撮影さつえいが、始はじまっています」

「単たんなるスターよりも、確かくたる演技えんぎ者しゃになってほしいね」

「順子じゅんこさんの昔むかしの知人ちじんや友人ゆうじんには、いまからでも連絡れんらくは取とれるでしょうか」

ヨシオの質問しつもんに日比谷ひびや敬一けいいちは首くびを振ふった。

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