優子の母親が若い頃に銅像のモデルを務めたこと、そしていまも神戸の女子短大の、正門を入ったところに立っているその銅像に優子が感激の対面をしたことなど、日比谷優子とその母親の物語のすべてを、優子が所属する映画会社の宣伝部が知るところとなった。優子自身が自分の担当者に語って聞かせたからだ。島村冬彦からもらってある写真も、彼女は担当者に見せた。担当者は優子と母親の物語に興味を持った。映画雑誌の秋の特別増刊号として、その物語だけで一冊を作ることを、その担当者は映画雑誌を発行している出版社に提案した。その提案は受け入れられた。そのような内容で、秋の特別増刊号を作ることが、六月のうちに正式に決定した。
人々の夏服がすっかり秋の服に替わる頃、日比谷優子の主演する新作が封切られることになっていた。増刊号はそれに合わせた企画として成立した。宣伝部の優子の担当者は島村冬彦に連絡をつけ、増刊号への写真の提供を依頼した。編集部の担当者に紹介された島村は、自分とヨシオが中心になって増刊号を作ることを提案した。写真は島村が提供し、文章はヨシオが書く、という共同作業だ。提案は難なく承諾された。結果としては、島村とヨシオが、一冊の増刊のすべてを作成することになった。
冬彦は写真の選択を開始した。選び出した数多くの写真を、アパートメントの部屋でヨシオとともに繰り返し検討した。選び抜くはじから、冬彦はプリントしなおした。トリミングして良くなるものは、すべてそうした。増刊号のページ数に合わせて、使用する写真とその数がほぼ決定した。いちばん初めのページに使う写真を、冬彦は優子をモデルにして、あらたに撮影した。
公演のベンチにすわって脚を組んでいる優子が、いつも持ち歩いている手帳を太腿の上で開き、はさんである母親の写真を見ているところを、彼女の右肩のすぐうしろからのぞき下ろす角度で、アップに撮った写真となった。スカートの裾。その下にある膝の、かたちのいい若さ。そこからまっすぐにのびていく向こうずね、そして足に履いている白いパンプス。そこまでが写真の画面のなかにあった。パンプスのぼけ具合が絶妙だった。
「作りすぎかなあ」
大きく引き伸ばしたその写真を部屋の壁に押しピンで留めて、冬彦は何度も思案した。
「優子は気にいってる」
「だったらそれでいいよ」
「ヨシオの意見は?」
「いい場面だよ。しかも、終わった場面ではない。これとおなじような場面を、生きているかぎりこれから何度も、優子は現実に繰り返すのだから」
最初のページにはその写真を使うことにきめ、時間順に配列したすべての写真を、冬彦はヨシオに預けた。それをひとりで何度も見ては、ヨシオは日比谷優子とその母親の物語を、ノートブックのなかに組み立てていった。冬彦による写真の選択と、ヨシオによるストーリーの組み立てに、六月が費やされた。七月に入って、ヨシオは書き始めた。アパートメントの部屋にこもることが多くなった。エイヴォンでも書いた。
「なにを書いてるの。真剣な顔して」
直子が興味を持った。
組み立てたストーリーのとおりに、ヨシオはすべてを直子に語って聞かせた。
「それは本当の話なの?」
というのが、直子の最初の反応だった。
「本当です」
「面白いわ。銅像の写真を見せて。お母さんの写真も。それから、優子さんに会わせて」
ストーリーの最初から最後まで、ヨシオはひとまずノートブックに書いた。それを推敲したあと、原稿用紙に清書した。原稿用紙というものを、彼は下北沢の文具店で初めて買った。何人もの著名な作家たちに愛用されている原稿用紙なのだと、店の人は彼に言った。清書を始める前に、彼はホノルルの高木節子に、万年筆を買って送ってくれるよう頼んだ。愛用して来たのとおなじ万年筆を彼は指定した。指定のとおりに、航空便ですぐに万年筆は届いた。箱のなかに二本、入っていた。『ひとつは私です。どちらかしら?』と、添えた手紙に節子は書いていた。
ヨシオの原稿が仕上がる頃、映画雑誌の編集部から、冬彦はレイアウト用紙を大量にもらって来た。
「レイアウトも引き受けることにした」
と、冬彦は言った。
そしてすぐにその作業にとりかかった。原稿を書き終えたヨシオも、写真と文章をレイアウト用紙に割りつける作業に加わった。ふたりとも一日じゅうアパートメントの部屋を出ない日が、何日も続いた。そしてレイアウトは完成した。雑誌の編集部までふたりで持っていき、中年の女性の担当編集者に渡した。狭い応接室で、彼女は時間をかけて綿密にレイアウトを検討した。修正や訂正を要求されることはほとんどなく、表紙から最後のページにいたるまで、ふたりの意図はほぼそのまま生かされることとなった。
八月に入って校正刷りが出た。それを見て返却すると、冬彦とヨシオの仕事は、そこですべて終わりとなった。昨年とおなじく、直子は八月いっぱいを京都で過ごす予定だった。校正が終わってからの八月の残りを、ヨシオは冬彦や夏子とともに、葉山の彼らの家で過ごした。夏はすぐに終わった。
九月の第四週に、その増刊号は出来あがった。見本が何冊か午後遅くになってから完成し、そのうちの二冊を持って冬彦はアパートメントに帰って来た。ヨシオは部屋にいた。ヨシオの部屋で、ふたりはそれぞれに、増刊号の出来ばえを検討した。仕上がりかたにふたりはひとまず満足した。
「これが僕たちのデビューなんだ」
と、冬彦が言った。
「そうだね」
「ふたり同時に、おなじ本で」
「おなじひとりの女性をめぐって」
「こうなるとは、思ってもみなかった」
「僕もだ」
「ヨシオが書いた中原順子さんには、僕は節子さんを強く感じた」
と、冬彦は言った。
「まさか」
「ほんとだよ」
「僕は可能なかぎり、中原順子さんを書いたつもりだ」
「つもりと仕上がりとでは、違うことが多いだろう」
「そうか」
と、そのときはそのひと言だけを、ヨシオは答えた。そしてひとりになってから、彼は考えた。