この小説が一九九六年に単行本で刊行されたときにジャケットに使った写真を、今回のこの文庫本でもジャケットに使うことが出来た。まったく同一の写真ではないが、おなじ被写体をおなじように撮ったものだ。僕はこの写真を気に入っている。一九五〇年代のおそらく前半、アメリカのごく一般的な雑誌に掲載されたファッション写真から、僕が五十ミリのマクロ・レンズを使って複写した。
掲載されていたのは全身像だった。当時のアメリカで最先端だったはずの女性ファッションを身につけてポーズをとった、ひとりのモデルの全身像だ。その写真を僕は一眼レフのファインダー視野でいろんなふうにトリミングしながら、複写遊びをした。白黒の印刷物の複写に僕はカラーのリバーサル・フィルムを使う。たくさん撮ったなかでいちばん良かったのが、今回もジャケットに使ったこの写真だ。なぜこの写真がいちばん良かったのか。このように作り上げられた若い女性の足もとという光景は、普遍に到達していると言っていいほどの出来ばえのいくつかの要素によって、構成されているからだ。
見るからに歩きにくそうな靴、そしてスカートではないか、なぜこれが普遍なのか、という意見もあるだろう。普遍という言葉の、ここで僕が使うにあたっての意味を、僕は説明しておかなくてはいけない。架空の物語のなかに、一定の役割をあたえられて登場し、その役割どおりに機能する女性の登場人物を、この一葉の写真から、僕は少なくとも何人かは作り出すことが出来る、というような意味で僕は普遍という言葉を使っている。
『東京青年』というこの小説の内容を、他の小説とおなじく、僕はゼロから考えて作った。まったくなにもないところに、ある日ふと、考えていくための小さな足場がひとつ、生まれる。物語の背景となる時代を、三、四十年ほど以前の東京に設定しよう、というような思いつきが、小さな足場作りの発端となった。一九九六年を背景にして小説を書くことなど、とても馬鹿馬鹿しくて出来ない、と思ったからだ。この思いはいまでも続いている。
主人公となるべき青年は、一九五七年には十七歳、そして一九六〇年には二十歳というふうに、思いつきはやがていま少し具体的になっていく。年号と年齢がうまく重なり、照合するのがたやすい。この青年がさらに二十二歳、二十三歳となっていくあたりまでを背景にしよう、などと思う。東京オリンピックのちょっと手前までだ。一九五七年には十七歳の少年、そして一九六〇年には二十歳の青年という、ひとまずただそれだけではあるけれど、ひとりの男性が僕の頭のなかの小さな足場の上に立った。
ジャケットの写真を複写したのは、ちょうどその頃だったと思う。いちばん気にいった足もとの写真をプリントしてみた。表紙に使える、とはさすがにそのときはまだ思わなかったが、節子、直子、夏子、優子、そして順子という五人の女性たちを、この足もとの写真から僕は作り出した。
十七歳の少年であれ、それから三年後の二十歳の青年であれ、あの時代のひとりの若い男性にとって、容姿において膝から下がこれほどの出来ばえである女性は、当然のこととしてまず年上ではないか。少しだけ年上である節子と夏子を僕はまず作り、続いて二十歳以上も年上の直子を引き出したのち、高校の同級生であるおなじ年齢の優子を、そして時代的にはかなりさかのぼるけれども、優子の母親である順子も、おなじ一葉の写真から、少なくとも彼女たちの基本は、発想した。
十七歳から二十二、三歳までの期間に、ひとりの東京青年が五人の女性を引き受けるのは、いくらフィクションとは言え無理がある。折りにふれてなおも写真を眺めると、やがてこの五人の女性の割り振りが見えてきた。節子は途中で退場する。主人公の親友として冬彦という男性を作り、夏子は彼の相手役とする。女優になる優子は、彼らふたりからほぼ等しい距離をとって、やや脇にいる。そして順子は、いまはすでにこの世にはいない人だ。
こうして四人がそれぞれの場所を得たあとに、直子が残った。残ったとはつまり、彼女の役がもっとも大きい、ということにほかならない。彼女をいちばん年上の女性にすればいい。この写真の女性は直子である、と思いながらさらに写真を観察していくと、やがてひとつ思いつく。このスカートにこのハイヒールで彼女がいつも歩くのは、板張りのフロアが好ましいのではないか、というアイディアだ。このアイディアを延長させていくと、彼女が店長である板張りのフロアの喫茶店、という場所が浮かんでくる。
『東京青年』という物語のすべてがこの写真のなかにある、とまでは言い切れないものの、かなりのところまでがこの写真にあらかじめ内蔵されていた、とは言っていい。じつに不思議な写真だ。手に取って眺めていると、あるときふと僕の頭のなかにアイディアを転送してくれる、魔法のような記憶媒体なのではないか。
片岡義男