← Library‹ 彼のオートバイ、彼女の島 9

ほかにもうひとつ、大おおきな、ちゃんとした応接おうせつ間かんがあるにちがいない。

ぼくがいまひとりで原稿げんこうを待まっているこの部屋へやは、略式りゃくしきの応接おうせつ間かんだ。

くつろげるようにカラー・テレビが置おいてあるし、週刊しゅうかん誌しや漫画まんがのつまった書棚しょだなもある。和服わふくを着きたおとなしいお手伝てつだいのおばさんが、ひっきりなしになにか持もってきてくれる。

はじめは、お茶ちゃだった。次つぎに果物くだものが出でて、それから紅茶こうちゃとクッキー。その次つぎが、オレンジ・ジュース。そして、コーヒーとブルーベリー・タルト。

ついさっきまたやってきて、

「おビールは召めしあがりますか?」

と、きいてくれた。

ぼくは原稿げんこうをもらったら、オートバイで大だい至急しきゅう、社しゃに帰かえらなくてはいけない。ビールなんて、駄目だめだ。

かれこれ二に時間じかん、ぼくはこの略式りゃくしきの応接おうせつ間かんにすわっている。

ここは、有名ゆうめいな時代じだい小説しょうせつ作家さっかの自宅じたくだ。

しっかりした造つくりの、和風わふうの大だい邸宅ていたくだ。しんとして、とても静しずかだ。真ま夜中よなかのせいでもあるのだろうけれど、なんの物音ものおとも聞きこえてこない。

いきなり、ドアに、ノックの音おとがした。ぼうっとしていたぼくは、びっくりした。

「どうぞ」

と、ぼくがこたえると、ドアが開ひらいた。お手伝てつだいさんだ。深々ふかぶかと礼れいをし、

「先生せんせいは、ご執筆しっぴつがながびいていらっしゃいます。先生せんせいからおうかがいしてこいと言いわれたのですが、剣道けんどうはおできになりますでしょうか」

「いいえ。できません」

「さようでございますか」

と、また礼れいをし、一歩いっぽさがった。

「では、どうぞ、こちらへおとおりくださいませ」

ドアの外そとの、よく磨みがきこまれた広ひろい廊下ろうかを手てで示しめす。

「どうぞ、こちらでございます」

ぼくは、お手伝てつだいさんのあとについて、歩あるいていった。つるつるの板いたに靴下くつしたがすべり、歩あるきにくい。スリッパは、さっき脱ぬいだままだ。

廊下ろうかを何なん度ども曲まがり、庭にわに面めんしてガラス戸とがつづいているところを抜ぬけ、渡わたり廊下ろうかでつながった離はなれのような部屋へやの前まえに出でた。

広ひろい板いたの間まがあり、そのむこうに、障子しょうじをはめた入口いりぐちがある。障子しょうじの両側りょうがわには、甲冑かっちゅうがひとそろいずつ、置おいてある。

「おいでいただきました」

と、障子しょうじの前まえで、お手伝てつだいさんが言いった。

「お入はいりなさい」

陽気ようきな声こえが、障子しょうじのむこうから、聞きこえた。

お手伝てつだいさんが障子しょうじをあけてくれた。

どうぞ、と彼女かのじょは、目めでぼくに伝つたえる。ぼくは、なかに入はいった。冷房れいぼうがきいている。

広ひろい畳敷たたみじきの、落着おちつける部屋へやだ。中央ちゅうおうに大おおきなすわり机づくえがあり、先生せんせいは和服わふく姿すがたで、その机つくえのむこうにいる。資料しりょうなのだろう、古風こふうな本ほんが、きれいな畳たたみのうえに散乱さんらんしている。

お手伝てつだいさんが障子しょうじをしめた。どうしていいのかわからないので、ぼくは、突つっ立たっていた。

先生せんせいが顔かおをあげ、ぼくをじっと見みる。

「うーむ。二十にじゅう四よん歳さい、育そだちは東京とうきょうに近ちかい、神奈川かながわか静岡しずおかか」

「神奈川かながわです」

先生せんせいは、うなずく。

「年ねんは?」

「当あたりました」

「よろしい」

白しろいもののまじったオールバック。鼻はなの頭あたまが赤あかい。酒さけとのつきあいは、ながそうだ。無精むせいひげ。銀ぎんぶちの眼鏡めがねの奥おくで、二に重じゅうまぶたの目めが意外いがいにやさしい。厚あつい唇くちびるに、微笑びしょうがうかんでいる。

「じつは、頼たのみごとがある」

「はい」

「靴下くつしたを脱ぬいでくれたまえ」

「は」

「庭にわへ出でてほしい。私わたくしといっしょに」

先生せんせいは、立たちあがった。背丈せたけはぼくとおなじくらい。くすんだ色いろの、しわのよった和服わふくだ。

床とこの間まのようなところへいき、立たてかけてあった二に本ほんの日本にっぽん刀とうをつかんだ。

「こっちだ」

ガラスのはまった障子しょうじをあけると、廊下ろうか。その廊下ろうかのガラス戸との外そとが、中庭なかにわだった。きれいな芝生しばふに、白銀はくぎん灯とうが光ひかりを注そそいでいる。飛とび石いしが、カーブを描えがいて築山つきやまのむこうに消きえている。池いけや植うえ込こみが見みえる。

日本にっぽん刀とうの鞘さやを二に本ほんとも払はらった。光ひかりをうけて、冷つめたく銀色ぎんいろに、ぎらりと光ひかる。真剣しんけんだろうか。不ふ気味きみな光ひかりかただ。

「白刃しらはだ。人ひとが斬きれる」

と、先生せんせいが言いった。

ぼくに歩あゆみより、一いち本ほんを差さし出だす。

「構かまえてみたまえ」

両手りょうてにずしりと重おもい。

「自分じぶんの脚あしを切きらないように、しっかりと、持もちたまえ」

喋しゃべりかたに妙みょうな抑揚よくようがあり、それが愛嬌あいきょうとなっている。

「こっちへ」

と、芝生しばふのまんなかへ、ぼくをつれ出だした。

ぼくとのあいだにすこし距離きょりをとり、

「私わたくしを斬きるつもりで、構かまえてみたまえ」

と、先生せんせいは言いった。

重おもい真剣しんけんを、ぼくは、ちゃんばらのように構かまえた。

白刃はくじんを右手みぎてにだらりと下さげたまま、先生せんせいは、ぼくをじっと見みる。眼鏡めがねの奥おくの目めを光ひからせ、しばらく先生せんせいはぼくを見みつづけた。

「よろしい。撃うちこみたまえ」

「は?」

「ぼくを斬きってよい。斬きりなさい」

「どうすればいいのですか」

「こうだ」

先生せんせいの両足りょうあしが芝生しばふを蹴けった。白刃はくじんが夜よるの中なかに一閃いっせんした。ガチッ、と音おとがし、先生せんせいがぼくの目めの前まえにきていた。ぼくの構かまえた真剣しんけんに先生せんせいの剣けんがすり合あっている。ぼくの頭あたまをふたつに割わる寸前すんぜんで、先生せんせいは剣けんをとめたのだ。

「こうだ」

さっと、ひと飛とびして、先生せんせいは、さきほどの位置いちにさがった。おどろくべき身みの軽かるさだ。

「さあ。来きたまえ」

白刃はくじんを握にぎった右腕みぎうでを、先生せんせいは再ふたたび、だらりと下さげた。

ぼくは、構かまえなおした。重おもいので、腕うでがすぐにさがってくる。両足りょうあしを踏ふんばり、先生せんせいがやったように、ぱっと前まえに出でた。

すっと、先生せんせいがうしろへひく。

「もっとはげしく来こい!」

なんのことだかわからないまま、ぼくは夢中むちゅうになって、

「やっ!」

と叫さけび、右みぎから左ひだりへ真剣しんけんをバットのように振ふりまわし、前まえへ出でた。重おもさに体からだがひきずられる。

先生せんせいの体からだが沈しずみ、

「えやあっ!」

ものすごい気合きあいと共ともに、ぼくのわきをすり抜ぬけ、ふっ飛とんでいった。

「いまのように、さあ、来きたまえ」

構かまえなおしたぼくは、こんどは、槍やりのように、突ついていった。

ひらりと左ひだりに飛とびざま、先生せんせいは斜ななめに斬きりさげてよこした。びゅっ、と風かぜを切きる音おとがした。ぼくの顔かおのすぐ近ちかくだ。

「もう一いち度ど、来きたまえ。いまの調子ちょうしだ」

ぼくは、突然とつぜん、こわくなった。

だが、こわいですよ、と言いうそのひと言ことが、声こえになって出でてこない。

真剣しんけんを両手りょうてで必死ひっしに握にぎりしめ、両足りょうあしを踏ふんばって芝生しばふのうえに突つっ立たったままでいることしか、できなかった。

「来きなさい」

その声こえにたぐり寄よせられ、ぼくは走はしるように前まえへ出でた。

先生せんせいも、ぼくにむかって、飛とんでくる。上体じょうたいを右みぎいっぱいにうしろへねじり、両手りょうてで持もった真剣しんけんを背中せなかのうしろにまわしている。

Click a word · hold for the whole sentence 0%