笹岡から、美代子の待つ島へ、第五喜久丸というフェリーが、むかっている。ぼくは、カワサキといっしょに、そのフェリーに乗っている。
快晴だ。
うれしい。陽が強い。とても暑い。陽のなかに、上半身は裸で、ぼくは立ちつくした。海や空をながめた。
頭上の空は、まっ青だ。周辺にいくにしたがい、なぜだか白っぽく、ぼやけている。
照りつける陽が、ぼくの肌を焼く。気持いい。どんどん陽焼けするがいい。太陽で自分の肌に写しとる記念写真だ。
汗が流れ落ちる。気持がいい。
東京で体のなかに吸いこんでためていたスモッグや排気ガスが、汗になって体の外に流されていくみたいだ。
海は、べたなぎだ。波が、ほとんどない。風も、感じられない。フェリーのスピードはとてもゆっくりしている。エンジンの振動が、船体から両脚に伝わってくる。
目に映じるすべてのものが、明かるくて強い陽光のなかにある。幸せな気分だ。これ以上の幸せはないのだと確信して、ぼくは、フェリーの行手の海を見つめていた。
八月のはじめ。夏のまっさかりに入った瀬戸の海を、ぼくはいま小さな島にむかっている。
結局、八月のなかばに休みをとることは、できなかった。
輸送員の先輩たちが、お盆にあわせ、その前後に休みをとる。年齢で言えばぼくは中堅以上なのだが、それでも、年上のしかもキャリアのながい、沢田のような先輩が何人かいて、彼らが休みの日をさきに決定する。八月のはじめにしか、ぼくの休みはとれないことになった。
電話をかけてくれた美代子にそれを伝えると、それでは私もあなたに合わせる、と言う。べつにどうしても盆踊りに帰らなければいけないわけではないから。美代子は、そう言っていた。
何度か電話をかけたりかけてもらったりして、瀬戸内海いきの計画を立てた。
一日さきに彼女が西宮から島へ帰り、次の日の午後、ぼくがフェリーで笠岡から渡っていく。それを美代子がむかえてくれる。そういう段取りになった。
フェリーは、午後の早い時間だった。
笠岡の、国道2号線からすぐの、小さな港からフェリーに乗った。車は一台もいず、大きなオートバイはぼくのカワサキだけ。ほかに、島の人だろう、ホンダのベンリイのおじさんがいた。おばさんや女子高生、それに、島へ泊まりがけで海水浴にいく人たちで、フェリーは、なんとなく満員の感じがあった。
白く塗った、小さなフェリーだ。
船体の中央にブリッジがあり、そこに操舵室が乗っている。ブリッジの後方は、濃いグリーンの天蓋でおおった駐車スペース。そして、そこから階段があり、小さな船室にあがっていける。駐車スペースには、車がないかわりに、コークが満載してあった。
真夏の空の下を、いろんな船がいきかう。まっ白な診療船とすれちがった。高速艇が抜いていく。赤さびだらけの、廃船のようなタンカーが、意外なスピードでフェリーの行手を横切っていく。
漁船が、いくつも、沖に出ている。スピードボートが、海のうえをバウンドしながら、ふっ飛んでいく。
潮の香りが、いい。陽の光と共に、できるだけたくさん、ぼくはそれを体のなかにとりこもうとした。
行手に、島がいくつもある。ひとつにつながって陸のように見える。
陽に焼けた、ごま塩頭の甲板員が、ぼくがいこうとしている島はどれなのか教えてくれた。
ブリッジの、熱く焼けた鉄板にもたれて、ぼくは、その島を見つめた。
オートバイで東京からツーリングに出ると、目的地に近づいてきたとき、かならず、期待に胸がときめく。いまも、そんなときめきの時間だ。
いつも以上に、胸が高鳴る。夏のさかりだし、しかも海のうえで、熱い太陽が、かっと照っているからだ。それに、島では、美代子が待ってくれている。
アパートで写真を見ても、あの信州の峠道で出会ったときのことを思いおこしても、美代子の顔や雰囲気が、うまくよみがえってこない。
どんな女性だっただろう。
国道2号線をカワサキで走りながら、ぼくはむしょうに美代子に会いたくなった。
彼女の島へ、いま、ぼくは、むかっている。これから四日間、ぼくは彼女といっしょに、陽のなかですごす。
フェリーは、ゆっくりと島に近づく。山が、濃い緑色だ。遠くからだと、それしか、わからない。
やがて、海に沿って建っている家なみが、はっきり見えはじめた。黒いかわらの、古風な四角い家がならんでいる。黒いかわらに、陽が当たっている。
海岸が見える。ベージュ色に輝いている。人が、思いのほかすくない。海の家の、赤や青のペイント。ビーチパラソルの、はなやかな色が、ひとつ、ふたつ。とても素朴な海岸のようだ。緑の山が、海岸のすぐうしろまで、せまっている。夏の陽ざしをいっぱいに浴びつつ、時の流れからとりのこされたように、山と海岸と家なみが、海のむこうに、静かに、横たわっている。
フェリーは、向きを変えつつあった。
海岸からすこし沖合いに出たところに、岩をいくつも積みあげたような岩山がある。その岩山にむかって進み、さらに左へ、進路を変えていった。
海岸は、岩山のむこうに、見えなくなった。
入れちがいに、港が目に入った。防波堤のむこうから、白い高速艇が出てきた。フェリーとすれちがうころには、へさきで蹴り立てる白い波を左右にほうりあげ、フル・スロットルになっていた。
左側に、岬がせまった。丈の低い樹が、岬の小高い山いちめんに生えていて、海と接するところは、無数の岩だ。その岬に、へこんだところがあり、かわいらしい砂浜をとりかこんで、家が数軒、見えた。
港は、丸い入江のようだ。その入口の両側から、防波堤がのびている。片方の防波堤の突端には、濃いえんじ色の煉瓦でつくった、小さな夢のような灯台が立っている。
まっすぐに、フェリーは、二本の防波堤のあいだにむかって、進んでいった。汽笛を、みじかく一度、鳴らした。