← Library‹ 彼のオートバイ、彼女の島 11

もし秋あきがどこか空そらのかなたにあり、夏なつが去さると同時どうじにすこしづつ舞まい降おりてくるものなら、今年ことしの秋あきは、切きって落おとされたような秋あきだった。

いきなり、秋あきになった。

残暑ざんしょなんて、どこにもなかった。

夏なつの終おわりに、肌寒はだざむい雨あめの日ひが、三、四さんよん日か、つづいた。例年れいねんにない涼すずしさだと、スポーツ新聞しんぶんまでが、書かいていた。

その、雨あめの日々ひびが終おわると、もう、誰だれの目めにも明あきらかに、あらゆるアングルが、秋あきだった。

太陽たいようが、遠とおく、小ちいさくなっていた。

風かぜの香かおりが、夏なつのものではなかった。肌はだに感かんじるさわやかさは、完全かんぜんに、秋あきのものだった。

空間くうかんに広ひろがりができ、透明とうめいになり、なぜだか、ふと、さびしい。

今年ことしは残暑ざんしょはないだろうと、新聞しんぶんが、冷害れいがいの報道ほうどうに、書かきそえている。

残暑ざんしょは、ぼくにとっては、とても大事だいじだ。強つよい陽ひざしのなかで、汗あせをかいている肌はだが、残暑ざんしょのなかで、秋あきにむかってすこしずつ、準備じゅんびをととのえていく。でも、今年ことしは、いきなり、秋あきだった。準備じゅんびをしているひまもない。

ある日ひ、ぼくのアパート、第だい二にゆたか荘そうの部屋へやで目覚めざめたら、秋あきだった。くどいようだけど、ほんとに、突然とつぜん、秋あきだった。

これは、とても、困こまる。なによりもまず、ぼくは、心こころの準備じゅんびが、できていなかった。時ときは日ひ一日ついたちと流ながれ去さっていくのだから、夏なつはやがて終おわり、夏なつが終おわれば、秋あきがくるにきまっている。困こまるも困こまらないも、ありはしない。しかし、ぼくは、困こまる。

夏なつという、強つよい陽ひざしの日々ひびのなかに、もっといろんなこと、いろんな体験たいけんをつめこみたかったから。

さあ、これから、というとき、夏なつはもう、青あおい空そらにその香かおりすら残のこさず、どこかへいってしまっていた。去さってしまった夏なつがすでにあまりにも遠とおく、そのせいか、むしょうになつかしい。

夏なつ、夏なつと、馬鹿ばかみたいに、夏なつのことばかり考かんがえている。

夏なつがなくなってしまって、つらい。さびしい。

カワサキにまたがり、九州きゅうしゅうの南みなみの端はしまで、太陽たいようを追おいかけていこうかと、真剣しんけんに考かんがえた。

時間じかんがとれない。でも、時間じかんがとれないという事情じじょうをすらおっぽり出だして、太陽たいようを追おおうかと思おもった。

思おもってばかりいるうちに、どんどん時間じかんがたっていく。秋あきは、容赦ようしゃなく深ふかまるいっぽうだ。

伊豆半島いずはんとうも、すっかり秋あきだ。

秋あきの日曜にちよう日ひ。明あかるい陽ひざしの、天城高原あまぎこうげん。道路どうろからすこしひっこんで建たっている大おおきなレストランの、展望てんぼうのいい野外やがいのカフェ・テラスで、ぼくたちは、いま、お昼ひるの食事しょくじをすませ、休憩きゅうけいしている。

カフェ・テラスいちめんに、砂利じゃりが敷しいてある。白しろく塗ぬった鉄製てつせいのロココ風ふうの、ガラスをのせた丸まるいテーブルに、椅子いす。陽ひが、ななめに、きれいに当あたっている。

Tシャツや、カットオフ・ジーンズの若わかい女おんなのこばかり、ぼくはながめている。

夏なつの残のこり香がを彼女かのじょたちの姿すがたのなかに見みつけては、ひとりでぼくは自分じぶんをなぐさめている。

家族かぞくづれのおっちゃんやおばちゃんは、とっくにはじまっている秋あきに早はやくも調子ちょうしを合あわせ、セーターやカーディガンを着きこんでいる。あと三さん、四よん時間じかんして陽ひがすこしかたむくと、高原こうげんでは急きゅうに肌寒はだざむくなる。

皮かわのつなぎを着きているぼくだって、もはや暑あつくはない。

今日きょう、朝あさ早はやくから、ぼくたちは、ツーリングに出でた。会社かいしゃの同僚どうりょうや先輩せんぱいたちの何なん人にんかが組織そしきしている栄光えいこうロードレース・クラブの、月例げつれいツーリング大会たいかいだ。ぼくはそのロードレース・クラブに所属しょぞくしてはいない。所属しょぞくしてはいなくても、誘さそわれたら参加さんかしなければならないという不文ふぶん律りつがある。そして、その不文ふぶん律りつは、固かたく守まもられている。

朝あさから、走はしりっぱなしだ。

ロードレース・クラブの日帰ひがえりツーリングは、飛とばすので有名ゆうめいだ。

二に年ねん前まえに箱根はこねでひとり死しんだ。昨年さくねんは富士五湖ふじごこで誰だれそれが四よんか月げつの重傷じゅうしょう、その帰かえりにトラックとからんで後輪こうりんのダブル・タイアに頭あたまをはさまれて割わられた奴やつがいて、血ちが誰だれそれのブーツまで飛とんだとか、そんな話はなしをこの一いち年ねん、ぼくもいろいろと聞きかされてきた。

その月例げつれいツーリングに、今日こんにち、ぼくは、はじめて参加さんかしている。やっと、ロードレース・クラブの責任せきにん者しゃが、「こいよ、な」のひと言ことで、誘さそってくれたのだ。

こんなに飛とばすとは、思おもわなかった。

ストレートでは、風圧ふうあつとの大だい格闘かくとう。コーナーでは、カワサキの性能せいのうとぼくの技量ぎりょうのありったけをしぼり出だすことが要求ようきゅうされる。

早はやく来きた秋あきの風かぜと光ひかりにおおわれた日曜にちようの伊豆いず半島はんとうには、行楽こうらくにくり出だしたマイ・カーというやつが、うじゃうじゃいる。

なぜこんな日曜にちよう日ひにツーリングをするのかと、このレストランに着ついたとき仲間なかまにきいたら、

「飛とばしがいがあるからさ」

というこたえが、かえってきた。

「それに、こりゃあ、ツーリングじゃねえよ。オートバイの障害しょうがい物ぶつレースさ。ツーリングだと思おもってたら、死しぬよ」

ほんとに、死しぬ思おもいで、午前ごぜん中ちゅうずっと、ぼくは、飛とばしに飛とばした。

カワサキRS650は、もともと、加速かそくがどうの、カーブがこうのというマシーンではないとぼくは思おもう。でも、そうは言いってられない。

トップをきっていく連中れんちゅうのうしろからおくれずについていくのが、ぼくにできるぎりぎりのことだ。あたまをとって飛とばせば、ぼくは会社かいしゃの原稿げんこう輸送ゆそう員いんの全員ぜんいんから一目いちもく置おかれるのだが、トップなんて、とても無理むりだ。でも、あきらめたわけではない。

夕方ゆうがたの五ご時じになったら、どこを走はしっていようと自動じどう的てきに解散かいさんすることになっている。五ご時じまでには、しばらくトップをとることくらい、できるだろう。

九きゅう〇れい〇れい円えんの「高原たかはら弁当べんとう」が腹はらの底そこに落おちつき、こなれつつある。二に杯はい飲のんだコーヒーが、こなれつつある「高原たかはら弁当べんとう」に、ほどよくしみこんでいる。

はじめは、吐はき気けがして食たべられなかった。長ちょう時間じかんにわたって飛とばしすぎ、肉体にくたい的てきにも心理しんり的てきにも緊張きんちょうの連続れんぞくだから、その結果けっかの、軽かるい吐はき気けだ。

それに、カワサキの振動しんどう。四よん〇れい〇れい〇れい回転かいてんをこえると、すさまじくなってくる。

いつもなら、この振動しんどうも、愛あいするカワサキの大おおきな魅力みりょくのひとつなのだが、今日きょうのような殺人さつじんツーリングでは、こたえる。ステップに踏ふんばっている両足りょうあしが、振動しんどうのせいで、みじかいステップの外そとへ外そとへと、滑すべっていく。力ちからをこめて踏ふんばっても、両足りょうあしは外そとへはずされていく。ぴたりと位置いちをきめてマシーンに乗のっているだけで、すでに充分じゅうぶんすぎるほどの格闘かくとうだ。

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