二日後に、小川敬一から、電話があった。先日の、ちょっとした頼みというやつを聞いてほしいと言う。仕事が六時あがりの日に、オートバイでそのまま来てくれ、と小川は言っていた。
一日おいた今日、六時あがりだ。多摩川にかかる二子橋の、世田谷がわのドライブ・インで、落ち合った。
小川は、窓ぎわの席でコーヒーを飲みながら、待っていた。駐車場に、彼のCB400フォアⅡがあった。小川は、外国製の、カネのかかったつなぎとブーツに身をかためている。東京にある彼の実家は、ほかの友人の話によると、金持ちなのだということだ。
頼みとはなんなのかときいても、小川は笑ってこたえない。
「二時間ほど、俺のうしろについて、オートバイで走ってくれたら、それでいい」
窓から外をながめて、コーヒーを飲んだ。
暗くなった大山・厚木街道を、ひっきりなしに自動車が走っていく。
「作曲に関係があるとか言ってたな」
「そう。関係ある」
コーヒーのついでに、ぼくは、軽く食事をすませた。
「そろそろ、いくか」
やがて、小川が、言った。
駐車場を、彼がさきにホンダで出ていった。排気音が、とても静かだ。カワサキで、ぼくは、そのあとについた。
街道をしばらくいく。道路がふたまたに分かれる地点を左右から環状8号がつらぬいている。ふたまたの、左の道を、小川はとった。道なりにいき、高速3号線をくぐり、また、ふたまただ。小川は、左に入っていく。弦巻通りだ。
小さな交差点で、小川のCB400は、左のフラッシャーを出した。左に寄って、とまった。ぼくは、そのすぐうしろに、カワサキをとめた。
オートバイを降りた小川は、ぼくに歩み寄り、低い声で、こう言った。
「四輪を狙うんだ。車の流れがすくないときに、一台の四輪に狙いをつけ、右すれすれにかすめて追い抜きざま、四輪の右のフェンダー・ミラーを叩き折る」
「どうやって」
「でっかいモンキー・レンチを持ってきた」
と、小川は、にやっと笑う。
「叩き折ったら、飛ばすから、すぐうしろにくっついて走ってくれ。ナンバーを覚えられると困るから」
「なぜそんなことをするんだ」
「例のやつを作曲しているうちに、やってみたくなった。フェンダー・ミラーは、モンキーでひっぱたくと、すぐに折れる」
うれしそうに、小川は、笑っている。
「わかったか」
「わかった」
「折れて路面に飛んだミラーを踏むな。おまえが飛ぶよ」
小川は、自分のオートバイにもどった。
サドル・バッグからモンキー・レンチを取り出し、柄のほうからブーツに入れた。
CB400にまたがり、車の流れを見ている。夜のこの時間、ふと、車の流れが途絶えることがある。
ぼくたちの来たほうから、車の途切れた道路を乗用車が一台、走ってくる。
小川が、ぼくに合図した。
ぼくたちのわきを、濃いグリーンのコロナ・マークⅡが、走り去る。
追って、小川が飛び出した。合わせて、ぼくも出た。
小川は、CB400のアクセルを開け、マークⅡに追いすがる。静かに、滑るように、CB400は、走っていく。ぼくのカワサキは、充分に二台分の、耳にひびく乾いた排気音だ。
マークⅡのうしろに、小川がついた。左手をあげ、もっとあいだをつめろ、とぼくに合図する。
ぼくが加速するのと、小川のCBがひらりと右に倒れてマークⅡのわきに出ていくのと、同時だった。ハンドルからはなした小川の左手に、モンキー・レンチが見えた。
マークⅡの右側をすれすれに加速していき、追い抜きざま、下からすくいあげるように、小川は、フェンダー・ミラーをひっぱたいた。折れたミラーは、キラッと光り、マークⅡの左前方へ、飛んだ。
ブーツのなかにレンチを落とし、小川は、加速した。猛然たるシフトとアクセル・ワークなのだが、音は静かだ。
マークⅡが、たてつづけにホーンを鳴らす。赤いストップ・ランプが点灯する。スピードが、がくんと落ちる。
ぼくは、マークⅡの前に出た。マークⅡのドライバーから、小川はぼくがさまたげになって、見えないはずだ。あの加速では、ぼくがいなくても、CB400のナンバー・プレートを読んで覚えているゆとりは、なかったはずだ。すこしアクセルを開き気味に走りながら、ぼくは、ふりかえった。
マークⅡは左に寄ってとまり、ドライバーが外に出て、ミラーの折れた跡を見ていた。
加速して、ぼくは小川を追った。
前方の交差点を、小川は、タイミングよく青を狙い、抜けていく。
小川が右折した交差点のひとつ手前の信号で、ぼくは、とめられた。
青にかわってから、ゆっくり交差点に出て右折すると、小川がすぐさきにとまっていた。なにごともなかったように、けろっとしている。サドル・バッグにおさめたのだろう。
「ざっとあんな感じ」
うしろにとまったぼくに、ふりかえって小川は言った。
ぼくは笑ってしまった。
「ミラーは、ぽっきり折れた」
「そうさ」
「車をとめて、折れた跡を見てたよ」
「青天のへきれきさ」
「おどろいただろうな」
「一生忘れないだろう」
CB400は、走りはじめた。弦巻通りに出なおし、飛ばして駒留までいった。そこで環状7号に入り、夜の車の流れよりも早く、野沢のはずれに出た。
まっすぐな一本道へ右折した。このままいくと、駒沢公園の南端を抜ける。
公園の近くまで来て、小川のCB400は、フラッシャーを出してとまった。
「もう一発、いこう」
そう言って、小川は、ぼくの肩ごしに、遠くを見た。
「さっきのマークⅡ、警察に届けたかな」
「さあ」
「この近くで、やろう。終ったら、環8に入って、北へ逃げる。おまえのアパートで落ち合おう」
ぼくは、うなずいた。
公園の周辺を、軽く流した。
道路の左端をいく小川にくっついて、しばらく走った。
うしろから、乗用車が一台、来る。
車の流れが、いまは、すくない。それに、まっすぐ突っ走っても、次の交差点まで、かなりある。
乗用車が一台、ぼくたちを追い抜いた。黒っぽいグロリアの4ドアだ。
小川が左手をあげて合図する。と同時に、急激に滑り出すような加速をした。排気音が小さいので、見ていて薄気味が悪い。