「髪にポマードつけるの、やめなさいよ」
と、ミーヨが言う。
「やめられない」
「ベトベトで、さわれないんだもの、そのリーゼント。ヘルメットのなかも、よごれるでしょ」
「ヘルメットは、どうせ、よごれる。それに、定期的に買いかえるし」
「ナナハンの免許、いつ受けさせてくれるの?」
「まだ」
「いつごろ?」
「春さきかな」
「そんな」
「もっとおそくしたって、いいんだ」
「早く、取りたい」
「いまでも、取る気なら取れる」
「だったら、取っちゃおうよ」
「駄目だ」
「なぜ?」
「なぜというほどの理由はないんだ。あわてなくてもいい。夏のツーリングに、間に合えば」
「ふうん」
「それより、いまは、練習。やることは、いっぱいある。
「そうね。おカネもためなければいけないし」
「そう。おカネ」
「いくらですって?」
「さあ。たまるだけでいい」
「なにに使うの」
「島へいく」
「えっ?」
「島。どこか、南の。しばらく住みたい」
「明かるい明日のための貯金って、そのことだったの」
「うん」
「いま、いくら、たまってるの?」
「一〇万くらい」
「たいへんだ」
「うん」
「なぜ、島なの」
「広いから」
「島が」
「そう」
「私の島は、広くなかったでしょ。あんなにちっぽけ」
「まわりが海だから、広いんだ」
ミーヨは、微笑した。
「まわりの海も含めて、島は広いと言うのね」
「そうだ」
「なぜ広いといいの」
「なぜって。たまには広さを補給しないと。それに、島はぼくを日常から切り離してくれる」
「ふんふん」
「切り離さないと、正確につかめない」
「そうね」
「そうなんだ」
もう四日も、雨がつづいている。
今日は、久しぶりに休みが取れた日曜日だ。雨でなければ、日曜に出勤しなければならない男の肩代わりをして稼いでいるはずだが、雨だから、それはやめにした。
日曜日の昼さがり。外は雨だ。
第二ゆたか荘の、ぼくの部屋。
ミーヨは、ぼくのベッドに体を横たえ、片ひじをつき、掌で頬を支えている。
ぼくは、ベッドにむかいあった壁に背をもたせかけて畳にすわり、両脚を投げ出している。
壁じゅう、いたるところに、ミーヨの服が、さがっている。女性の部屋のようだ。ミーヨは、ぼくの部屋に、すっかり居ついてしまった。
一週間ほどまえ、西宮から荷物が届いた。西宮で住んでいた、すみれアパートに置きっぱなしにしておいた荷物だ。
あわせて、ミーヨの友人がひとり、上京してきた。ミーヨとおなじ年に会社に入ったという、とても普通な感じのする女のこだった。アパートまでやってきて、うさんくさそうにぼくの顔を見てばかりいた。
部屋代と食費を、ミーヨと半々に負担することにした。彼女は土曜と日曜が休みなので、その二日間は、手料理があてにできる。しかし、なぜだか、チャーハンばかりつくる。今朝も、そうだった。チャーハンとしては、けっこういける。
ミーヨの給料は、ぼくが目いっぱい働いて取る額より、ちょっとすくない。
関西に本社のある大きな繊維会社が、ブルージーンズの部門を新設し、さらに、サブ・ディヴィジョンのようなかたちで、ジーンズを主体にした子供服のブランドをつくり、製作と販売に乗り出している。その部門の本拠は、東京だ。上司にねばり強くかけあい、東京転勤を実現させたのだという。
「簡単に聞えるかもしれないけど、たいへんだった」
と、ミーヨは、いつだったか、言っていた。
「ジーンズを中心にした子供服のね、マーケット・リサーチとか消費者ニーズの開発とか、嗜好調査とか、そんなことをやるし、デザインにも、からむのよ。みなさまのお買いもの文化の一端をになってるわけ」
ミーヨは、保母になるための学校を出たのだそうだ。
「ナナハンの免許って、どのくらいむずかしいの?」
「むずかしくないさ。大事なのは、基本だよ。適性もからむし、経験も大切だ」
「なんだ、ぜんぶじゃない」
「中型の試験で、一本橋があっただろう」
「あった」
「あれに、ナナハンだと、時間制限がついたりする」
「倒れたのを起こすのもあるんでしょ」
「ある。コツだよ、あれは。車体に対する、慣れと」
「教えて」
「教える。知ってることは、みんな教える」
ミーヨはいま、小川敬一から借りたままのヤマハRD250に乗っている。ぼくのカワサキとならんで、下の駐車場に置いてある。
キャンプへいったほかに、日帰りのツーリングに三度、出た。もっといきたいのだが、ぼくは働くから、休みが取れない。
「350くらいのを、買おうかな」
「なぜ?」
「大きいのになれるため」
「必要ない。250を乗りこなすのが、ほんと言って、オートバイ乗りのひとつの目標なんだ。250がこなせたら、ナナハンの試験なんて、すぐ受かる」
「むずかしいって言うじゃない」
「受ける人たちの程度が低いんだ。押し歩きの8の字で外側に倒れたりするんだもの」
「250と750では、重さは確実にちがうでしょ」
「取りまわしを練習したらいいんだ。ぼくのカワサキで」
「走るのは?」
「貸しコース」
「教習所?」
「うん。日曜日に」
「仕事は?」
「泊まりのシフトにしてもらえばいい」
「シフトはわりと自由なのね」
「だから、ボーナスがないんだよ。よその会社は、シフト制が厳しくて、たくさん稼ごうと思っても自由にならない」
ぼくは手をのばし、壁に寄せたテーブルのうえのFMのスイッチを入れた。ダイアルが合っているから、スイッチをオンにすると同時に、音が飛び出す。
「では、お聴きいただきましょう」
と、中年の男のDJが、言っていた。
「アランフェス協奏曲」
イエペスではないけれど、腕の立つクラシックのギタリストが、弾きはじめた。
「ギターとオーケストラだ」
と、ぼくは言った。
しばらく、ぼくたちは、黙って聴いていた。
やがて、ミーヨが、言った。
「コオ。学校は、どうするの」
「落第」
「なぜ」
ミーヨは、なぜ、ときくのが、口ぐせだ。
「学校って、どうにでもごまかせるから。退屈だよ」
「音楽も?」
ぼくは、うなずいた。
「ごまかしのきかない音楽だってあるでしょう」
「だろうな」
「まだ見つけてないのね」
「見つけてない」
「それまでは、ずっと落第するの?」
「再来年くらいには、卒業しよう」
「小川さんは、作曲に一生懸命みたい」