← Library‹ 彼のオートバイ、彼女の島 17

冬ふゆの青天せいてんの日ひは、空そらがうっすらと青あおい。陽ひざしは、充分じゅうぶんに明あかるいけれども、弱よわい。風かぜが、容赦ようしゃなく冷つめたい。富士ふじに近ちかく、すこし標高ひょうこうがあるので、空気くうきが希薄きはくに感かんじられる。大おおきく胸むねに吸すいこむと、その澄すんだ冷つめたさで、体からだの内部ないぶが洗あらわれていくようだ。

レーシング・マシーンの乾かわいた金属きんぞく的てきな排気はいき音おんが、澄すんだ空気くうきのなかを、突つき抜ぬけてくる。ヨーロッパのレーサーたちに人気にんきのある、日本にっぽんの497CC、正せい方形ほうけい四よん気筒きとうのマシーンだ。最終さいしゅうコーナーをまわり、六ろく速そくめがけて加速かそくしつつ、直線ちょくせんコースに突つっこんでくる。一いち速そくで時速じそく一いち三さん〇れいキロも出でてしまうロードレーサーだ。

グランド・スタンド前まえの長ながいストレートへ、弾丸だんがんのように、飛とんでくる。タンクのうえに上体じょうたいを倒たおしているライダーの頭あたまに、カウリングが、かぶさるようについている。カウリングの透明とうめいな部分ぶぶんから下したは、赤あかと青あお、そして白しろに、鮮あざやかに塗ぬり分わけられ、ギア・ボックスの下部かぶまできれいに流ながれておおいつくしている。明あかるい陽ひのなかで、くっきりと、光ひかり輝かがやく。最高さいこうスピードは時速じそく二に七なな〇れいキロだという。おそらくそれに近ちかいスピードなのだろう、マシーンは、赤あか、白しろ、青あおに塗ぬり分わけた矢やのように、ピットの端はしに立たっているぼくの前まえを、疾走しっそうして去さった。あのマシーンでしかもこのくらいのスピードになると、走はしる、という概念がいねんを超こえてしまっている。遠とおい夢ゆめのなかで見みた幻まぼろしの光ひかりのように、第だい一いちコーナーに吸すいこまれていった。

マシーンは、スピードウエイをさらに二に周しゅうした。そして、ピットに入はいってきて、とまった。みんなが、マシーンのまわりに集あつまっていく。

ライダーが、マシーンから降おりた。ヘルメットを取とった。沢田さわだ秀政ひでまさだ。ぼくとの決闘けっとうのあと、ふた月がつの入院にゅういん生活せいかつを送おくり、休職きゅうしょくついでに休やすみをさらに長ながくし、栄光えいこうロードレース・クラブの仕事しごとに、この数すうヶ月かげつ、専念せんねんしてきたという。

ヘルメットをかむったミーヨが、ロードレーサーにまたがった。新あたらしくあつらえたロードレース用ようの薄うすい皮かわつなぎに身みをかため、手袋てぶくろやブーツも、新あたらしい本格ほんかく的てきなものだ。

ステップのペダルの位置いちをたしかめて足あしを乗のせ、三さん〇れいリットル以上いじょうも入はいる大おおきなタンクのうえに腹はらばいになるようにして、グリップを握にぎった。

数すう人にんの男おとこたちが、ミーヨのまたがったマシーンを支ささえている。沢田さわだが、いろんな注意ちゅういをあたえている。六ろく速そくだけれど、シフトのパターンは、市販しはん車しゃとは、まるっきりちがう。アクセルの開あけかたやブレーキングなど、こまかな注意ちゅういをあたえてから、

「では、走はしってみるか?」

と、沢田さわだが言いった。

うなずくミーヨを、ぼくは、うしろから見みていた。

両側りょうがわから車体しゃたいを支ささえている男おとこたちが、マシーンを押おした。エンジンはライダー自身じしんが押おしがけで始動しどうさせるのだが、ミーヨには無理むりなので、またがって位置いちをきめてから、人ひとに押おしてもらっている。

ほんの二に、三さんメートル押おしただけで、エンジンはすぐかかった。クラッチをつなぐと、なめらかに滑すべり出だす。アクセルの開閉かいへいにつれて、パララン、パラランと、信しんじられないほどに軽かるい排気はいき音おんが、冷つめたい空気くうきのなかに広ひろがっていく。すぐに、ミーヨは、回転かいてんをあげはじめた。パアーンという突つき抜ぬけた音おとと共ともに、教おしえられたとおりのラインをとって、第だい一いちコーナーに入はいっていった。

コースをひとまわりしてくるマシーンの排気はいき音おんが、ぎくしゃくせずに、なめらかに遠とおくから聞きこえつづける。まったくの素人しろうとにしてはとてもいいタイムで、ミーヨは最終さいしゅうコーナーを抜ぬけ、直線ちょくせんに入はいってきた。そのまま、グランド・スタンドの前まえを走はしり抜ぬける。

「なかなかいいよ。きれいに乗のってる」

沢田さわだが仲間なかまの男おとこに喋しゃべっているのが、ぼくの耳みみに届とどいた。

今日きょうは、栄光えいこうロードレース・クラブの、サーキットでのミーティングだ。祭日さいじつの、なにもレースのないスピードウエイのコースを時間じかんで借かり切きり、人気にんきの高たかいあのロードレーサーの試乗しじょうをさせてもらっている。会社かいしゃの、支部しぶの連中れんちゅうも全員ぜんいん、来きている。よかったら来こいと誘さそいをうけたぼくは、ミーヨをつれ、朝あさ早はやくに、カワサキとヤマハで、このスピードウエイに来きた。

来くるとすぐに、ピットで沢田さわだに出でっくわした。おそらく沢田さわだに会あえるだろうという期待きたいもあり、ぼくはここへ来きたのだ。

ぼくを見みて、沢田さわだは、顎あごをあげ、

「おう」

とだけ言いった。

ミーヨを紹介しょうかいすると、彼女かのじょには、

「やあ」

と言いい、あのいかつい顔かおでにこにこしていた。

沢田さわだに許ゆるされた三さん周しゅうをおえ、ミーヨは、ピットに入はいってきた。男おとこたちにマシーンを押おさえてもらい、シートにまたがったままヘルメットを脱ぬぎ、素晴すばらしい笑顔えがおを男おとこたちに見みせた。緊張きんちょうで血ちの気けのひいた顔かおに、頬ほおだけが、ぽっと赤あかい。

「三さん速そくでフロントが浮うくの!」

「九きゅう〇れい〇れい〇れいくらい、まわってるんだ」

沢田さわだが教おしえた。

「加速かそくからなにから、ものすごくなめらかなのね。五ご〇れい〇れい〇れい以下いかだとタコの針はりが動うごかないの。びっくり、びっくり」

フレームやサスペンションの出来できぐあいについて、沢田さわだは、シートにミーヨをまたがらせたまま、説明せつめいして聞きかせた。

このコースをあのロードレーサーで三さん周しゅうできるなら、一いち万まん円えんくらい払はらってもいいというオートバイ・クレージーはたくさんいるはずだ。ぼくだって、そうだ。だが、沢田さわだは、ミーヨには試乗しじょうを簡単かんたんに許ゆるしたのに、ぼくには、乗のってみるか、とも言いってくれない。適当てきとうに沢田さわだのまわりをうろついてみるのだが、声こえをかけてくれそうな気配けはいはない。ぼくを無視むししている。

しかたなく、ぼくは、ぼくのカワサキで、バンクをふくめたロング・コースを、走はしってみた。何なん度どやっても、この三さん〇れい度どに路面ろめんのかたむいたバンクを走はしることができない。今度こんどこそはと思おもうのだが、そのたびに、いちばん低ひくいところを走はしってしまう。ヘア・ピンではパニックにおちいるし、ラップ・タイムはまともにタイムと呼よべたものではない。

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