三日後。日曜日。暑い日だ。
四泊の信州ソロ・ツーリングから帰って二日目。夜の十時すぎに、ぼくは、東京・神田の錦町を、カワサキで走っていた。アルバイトの仕事を終って、社を出てきたばかりだった。
ぼくは、ある大きな通信社で、オートバイによる原稿や記事の輸送員をやっている。
勤務時間が連続九時間を割らなければ、一日の勤務として認められる。いつも一時間は残業がおしまいにくっつくので、一日の勤務は、十時間になる。
シフト制の勤務は、朝の八時から、スタートする。八時から午後六時まで、これが第一シフト、以下、九時から七時、十時から八時、十一時から九時、十二時から十時と、スタートが一時間ずつずれながら、シフトしていく。
週に一度は、泊まりがある。泊まりのときは、午後一時からスタートして、翌朝の八時まで、二勤務分の時間をこなす。
全日本急送という会社が原稿輸送員を雇い、その通信社に下請けのようなかたちで、送りこんでいるのだ。アルバイトといっても、ぼくはその会社の、正規の社員だ。音楽大学に籍を置いているので、つい甘えて、アルバイトと言ってしまう。
竹橋から、共立講堂のわきをとおる広い一方通行の道に入った。まっすぐいけば、神田駅のちかくで国電のガードをくぐる。
九段から、ぼくのカワサキの右側にぴたりとついた一台の車がいた。
いまのスカイラインの、白い2ドアだ。2000GTかなにかだろう。乗っているのは、色の薄いサングラスをかけた学生ふうの若い男と、その連れの女のこだ。
竹橋のほうにまわりこんでいくぼくに、くっついてくる。
日曜の夜もこの時間になると、人通りはなく、車もまばらだ。
白いスカイラインは、ぼくの右に寄ってきたまま、スピードを合わせて、ついてくる。
竹橋をすぎ、共立講堂にさしかかるころから、スカイラインは、さらに幅寄せをしてきた。カワサキに車体が触れそうだ。
ぼくは、長くひっぱって、ホーンを鳴らした。
運転している男は、知らん顔だ。
交差点をこえるとき、スカイラインは、左折するような動きを見せて、ぼくのほうへ寄ってくる。
ぼくは、すこし左へ逃げた。
できたスペースのなかへスカイラインは入ってきて、そのまま、交差点を渡っていく。
助手席の女のこの顔が、ちらと見えた。なにか言いながら、にやにや笑っている。
ぼくは、またホーンを鳴らし、スピードを落とした。
スカイラインも、速度を落とす。そして、さらに左へ寄ってくる。
ぼくは、左のガードレールとスカイラインとのあいだに、ぴったりとはさまれてしまった。
「この野郎」
と、ぼくは、心のなかで静かに言った。
スカイラインの若い男は、聞こえないふりをしている。幼稚ないやがらせだ。
オートバイで東京を走っていると、よく、こういうことがある。意味もなく幅寄せしたり、二叉路の手前で右から急に追い抜いて、すれすれに左折したり、自家用の乗用車に多い。オートバイのほうは接触して転倒し、ライダーはとんでもないとこの骨をへし折ったりする。
錦町の交差点でぼくは左に倒してアクセルを開けた。左にはらみ、みじかい弧を描いて、スカイラインの前に出た。
できるだけスカイラインとの距離をつめつつ、交差点を渡りきった。うしろで、スカイラインは、ホーンを鳴らしている。
ぼくは、スピードを落とす。突っかけられたらもろに転倒だ。
ギアを抜き、猛烈な空ぶかしをしてやった。
かん高い爆音が、路面に叩きつけられ、はねかえる。
ぼくは、ミラーを、じっと見ていた。
爆音におどろいて、思わずブレーキを踏んだのだろう。スカイラインが、がくんとつんのめる。
そのタイミングをはずさず、すこし距離をあけて、ぼくはカワサキをとめた。飛び降りると同時に、サイド・スタンドを出し、大急ぎでヘルメットを脱ぎ、ミラーにかけた。カワサキの前をまわり、道路の中央ちかくに、ぼくは走り出た。
スカイラインはカワサキにバンパーを触れさせそうになって、とまった。
走り寄って、ぼくは、運転席のドアを蹴とばした。自家用車を運転している男を外へひっぱり出すには、これがいちばんいい。
案の定、サングラスの若い男は、血相をかえてサイド・ブレーキをひっぱっている。勢いよくドアを開け、出てこようとした。
そのドアに、ぼくは、体当たりしてやった。男は、ドアフレームに左腕をはさまれ、シートに崩れるようにひっくりかえった。
ドアを開け、男の左腕をつかみ、ひきずり出した。男の体は、妙にふにゃっとやわらかい。泣き出しそうな顔からサングラスをひっつかんではずし、シートにほうり出した。
つかんだ左腕をねじりあげ、助手席の女のこに、ぼくはすご味をきかせた。
「このミッキー・マウスを愛してるなら、じっとしてろ」
スカイラインのキーを抜き、ぼくの米軍払い下げの野戦用ジャケットのポケットに落とした。
蹴とばしてドアをしめ、男の左腕をねじあげたまま、スカイラインのうしろに歩かせた。
うまいことに、車は一台もとおらない。
男は、抵抗してくる。力まかせに突き放した。よろけるところを、ハーネス・ブーツの先端で、蹴とばした。
わき腹に命中した。ぐへっ! という、へんな声を男はあげた。このブーツで蹴られたら、こたえる。思わずしゃがみこんだ男を、うしろからわきの下を支えて抱きあげ、ガードレールにもたれかけさせた。
両脚をかつぎあげ、ガードレールのむこうの歩道に彼をでんぐりがえらせた。レールをとびこえたぼくは、もう一度、男の腰を蹴った。
立ちあがろうとするところへ、足ばらいをかけた。面白いように、ストンと、転がった。
両足をつかって、男の顔をすこし、いためつけてやった。男は、泣き出した。
「生意気なことをするからだ」
ぼくも、呼吸がすこし乱れている。
はなれて静かにしていると、男は手をついて立ちあがろうとする。横へまわり、左足を大きくぶんまわし、蹴りあげた。腹のまんなかに、ブーツは、めりこんだ。
うーっ! と息をつめ、体をエビのようにふたつに折り、ゆっくりと歩道のうえを転がる。
空車のタクシーがつづけて二台、青信号をふっ飛んでいった。
ビルの正面の、鉄のシャッターの前まで転がっていき、男は、吐いた。