← Library‹ 彼のオートバイ、彼女の島 5

今日きょうは、いやな日ひだ。

一いち週間しゅうかんの夏休なつやすみをとっていたバイトさきのおなじ職場しょくばの先輩せんぱい、沢田さわだ秀政ひでまさが、今日きょうから仕事しごとに出でてくる。だから、いやな日ひ。

ぼくは、午後ごごからの出社しゅっしゃだ。

カワサキで会社かいしゃへいき、車溜くるまだまりに入いれ、同僚どうりょうたちの溜たまりである地下ちか一いち階かいの部屋へやへいった。

昼食ちゅうしょくのすぐあとなので、部屋へやのなかには、顔かおぶれがそろっていた。

「よう、ベートーベン」

「英国えいこく紳士しんし、登場とうじょう!」

と、何なん人にんかが、声こえをかけてよこす。

英国えいこく紳士しんしとは、ぼくがOHVのバーチカル・ツインに乗のっているからだ。イギリス系けいの、いかにもオートバイらしいクラシカルなエンジンと別べつ体たいミッションなのだ。本国ほんごくのイギリスにも、もうこんなオートバイは、ない。

真しん四角しかくの、殺風景さっぷうけいな部屋へやだ。天井てんじょうはダークなグリーンで、鉄板てっぱんの壁かべはクリーム色いろに塗ぬってあるのだが、きたない黄色きいろにすすけている。

ふたつの壁かべいっぱいにスチールのロッカーがある。あいた壁かべには、仕事しごとでよく出向でむく先さきの電話でんわ番号ばんごうや、同僚どうりょうたちの自宅じたくの番号ばんごうが、大おおきく書かいてはり出だしてある。

この通信つうしん社しゃの記者きしゃがニューヨークから持もって帰かえったというポルノ雑誌ざっしの大おおきなポスターが、そのとなりにテープでとめてある。はじめての人ひとは、これを見みると、みんなおどろく。

大おおきな四角しかくいテーブルのまわりに、全員ぜんいんがすわっていた。

コークの空あきカンや、弁当べんとうの容器ようき、スポーツ新聞しんぶん、マンガなどが、散ちらばっている。

オートバイのロードレースのクラブに所属しょぞくしている数すう人にんの男おとこたちを中心ちゅうしんに、ロードレースの話はなしが展開てんかいしていた。

しばらくして、出社しゅっしゃしてきた沢田さわだ秀政ひでまさを、ぼくは、視界しかいのはじにとらえた。

テーブルの隅すみのほうにすわった沢田さわだは、ぼくを見みて、立たちあがった。テーブルをまわって、ゆっくり、彼かれは歩あるいていく。ぼくは気きづかないふりをしていた。

もういっぽうの壁かべに、ホンダ・GL1000LTDゴールドウイングの、横よこに長ながい巨大きょだいなポスターが貼はってある。それまで貼はってあったこまかなピンナップなどをすべてとりはらい、ゴールドウイングのポスターだけを貼はったのだ。

燃料ねんりょうタンクとサイド・カバー、それにラジエター・カバーの黄色きいろが、この部屋へやの壁かべの色いろとよく似にている。

しばらくそのポスターをながめてから、ぼくは、ゆっくり、振ふりかえった。部屋へやの入口いりぐちちかくに、沢田さわだが突つっ立たっていた。

沢田さわだの鋭するどい視線しせんが、ぼくの目めをとらえた。

こい! という意味いみをこめて、沢田さわだがぼくに顎あごをしゃくった。そして、半開はんびらきのドアから、外そとへ出でていった。席せきを立たったぼくは、そのあとにしたがった。

沢田さわだの大おおきな体からだが、薄暗うすぐらい廊下ろうかを、のっそりと歩あるいていく。角かどを曲まがる。

何なん本ほんもの廊下ろうかが、おたがいに交差こうさしあいながら、いろんな方向ほうこうにのびている。曲まがり角かどが、いくつもある。

ぼくたちオートバイの原稿げんこう輸送ゆそう員いんが臨時りんじに泊とまるときに使つかう仮眠かみん室しつにつながった廊下ろうかに出でた。沢田さわだは、足あしをとめた。肩かたをいからせ、太ふとい両脚りょうあしをふんばり、ふりかえった。

沢田さわだから数すう歩ほはなれて、ぼくは、立たちどまった。

「いいからもっとこっちへこい」

ドスのきいた低ひくい声こえだ。

さらに二に歩ほ、ぼくは、沢田さわだに近ちかよった。

沢田さわだは、ぼくとおなじくらいの背丈せたけだ。だが、体からだのつくりが極端きょくたんにごっついため、ぼくよりずっと大おおきく感かんじられ、威圧いあつ的てきだ。

丸まるい大おおきなイガグリ頭あたま。肉にくの分厚ぶあつい、ジャガイモのような顔かお。鼻はなが、みごとにひしゃげていて、不敵ふてきな両りょうの頬ほおに張はり出だしている。口くちは横よこに大おおきく、顎あごが万力まんりきのようだ。鼻はなの下したに、ちょびひげがある。首くびは、まるで丸太まるただ。

いつも、レイバンのサングラスをかけている。今日きょうは、グレーの丸首まるくびのスエット・シャツに、アメ横よこで買かったという迷彩めいさいの戦闘せんとうズボン、それに、モトクロスのブーツ。半袖はんそでから突つき出でている両腕りょううでが、特大とくだいのソーセージみたいだ。

あのかわいい冬美ふゆみに、こんないかつい兄あにがいるとは。

「おい。橋本はしもとの馬鹿ばか」

「はい」

「なにが、はいだ。ふざけるな。浅間あさまへは、いったかよ」

「いきました」

「いつ」

「四よん日か前まえ、かな」

「考かんがえたか」

「考かんがえました」

「どうなんだ」

「やっぱり、冬美ふゆみとは、別わかれます」

「気軽きがるに呼よびすてにするな」

「冬美ふゆみさん」

「別べつれりゃあいいってもんじゃないんだぞ」

「わかってます」

「なにが、わかってんだ」

ぼくは、黙だまった。黙だまるよりほか、ない。

「ただの、やり得えじゃねえか」

これにも、こたえようがない。

このふた月がつちかく、沢田さわだは、このひと言ことで、ぼくを責せめてきた。

「浅間あさまで、なにを考かんがえた」

「冬美ふゆみさんのことです」

「どうするんだ」

「だから、結局けっきょく、別わかれるしかないんです」

「なにが、だからだよ。生せい意気いきな口くちをきくな」

「はい」

「なにが、はいだ」

沢田さわだは、ぼくのすべてが、気きに入はいらないらしい。

「どうすればいいんですか」

このひと言ことを、何なん度ど、ぼくは沢田さわだに喋しゃべったか知しれない。

「どうするつもりなんだ」

「ぼくと冬美ふゆみさんと、ふたりでこうなったことですから」

「うるせえやあ。おまえが口説くどいたからだ。処女しょじょってものは、男おとこに口説くどかれないかぎり、やたらに乗のっけたりはしないもんだ」

ぼくは、また、黙だまった。

「どうなんだよう」

ぼくは、なにもこたえられない。追おいつめられたと言いえば、たしかにそう言いえる。

沢田さわだは、一いち歩ほ、ぼくに近ちかよった。

片手かたてにさげていた黒くろい皮かわのオートバイ・ジャンパーのポケットから、沢田さわだは一いち枚まいの紙かみきれを取とり出だした。

ぼくの鼻はなさきにつきつけ、

「よく読よんどけ」

と、言いった。

「決闘けっとうだ。日時にちじと場所ばしょが、書かいてある。逃にげたら、殺ころすぞ」

ぼくは、紙かみを見みた。リコピーだ。地図ちずに、文字もじがちょっとそえてある。

沢田さわだの右腕みぎうでが、一閃いっせんした。

あっ、と気きづいたときには、もうおそい。沢田さわだの、ばか大おおきいこぶしを、ぼくは、顎あごの先端せんたんに、まともにくらった。

両足りょうあしの下したから廊下ろうかがいきなり飛とび去さったみたいに、ぼくは、あおむけにひっくりかえった。恥はずかしいほど、あっけない。

背中せなかから廊下ろうかに叩たたきつけられた。肺はいのなかから空気くうきがなくなる。口くちをぱくぱくさせるのだが、呼吸こきゅうできない。体たいぜんたいにしびれが走はしっていて、言いうことをきかない。頭あたまのなかが、ガーンと鳴なっている。顎あごのさきの鋭するどい痛いたみが、鈍痛どんつうとなって脳のうミソのあちこちに散ちらばっていく。

ぼくをその場ばに残のこして、沢田さわだは、歩あゆみ去さった。しばらく、ぼくは立たてなかった。

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