← Library‹ 彼のオートバイ、彼女の島 6

歯はが痛いたい。下顎したあごの、左ひだりのほうの二、三にさん本ほんが、浮ういている。沢田さわだに殴なぐられたせいだ。あの明あくる日ひから、痛いたい。

夜よるの十じゅう一いち時じすぎ、東京とうきょうの晴海通はるみどおり、歌舞伎座かぶきざの前まえ。車くるまの数かずが、すくなくなっている。朝あさから降ふっていた雨あめは、いま、霧雨きりさめになって、残のこっている。路面ろめんが濡ぬれて黒くろく、車くるまの屋根やねがあちこちでライトに光ひかる。

カワサキで、ぼくは、勝鬨かちどき橋はしにむかっている。皮かわのつなぎに、ハーネス・ブーツ。グラブ、そして、シールドをおろしたヘルメット。ぼくは、フルフェースのヘルメットは、使つかわない。風かぜが顔かおにこないから。

十じゅう一いち時じ半はんに、有明ありあけへいかなくてはならない。沢田さわだ秀政ひでまさに申もうし込こまれた、決闘けっとうのためだ。

どんな決闘けっとうなのだろう。

真剣しんけんにあれこれ想像そうぞうすると、気分きぶんは急速きゅうそくにダウンし、不安ふあんになってくる。

静しずかに、ぼくは、勝鬨かちどき橋はしをこえた。

まっすぐに月島つきしまを突つっ切きって朝潮あさしお運河うんがをこえ、晴海はるみ。公団こうだんアパートや倉庫そうこ、それにさまざまな四角しかくいビルが、霧雨きりさめの夜よるの空間くうかんを、おりかさなるようにふさいでいる。

晴海はるみのまんなかで左折させつ。ふいに、潮しおのにおいがした。

晴海はるみ線せんを渡わたると、行手ゆくてに、そして両側りょうがわに、石川島いしかわじまの工場こうじょうだ。とんでもないところへ迷まよいこんだような錯覚さっかくが、一瞬いっしゅん、ある。

貨物かもつ船せんを三さん度ど渡わたると、東雲しののめ橋はしだ。この時間じかん、このあたりの道路どうろは、がらんとしている。工場こうじょうの建物たてものの間あいだに、いきなり、小ちいさな貨物かもつ船せんが見みえたりする。なにを見みても、気分きぶんはひき立たたない。

東雲しののめを有明ありあけへ右折うせつした。左側ひだりがわがゴルフ場じょうになっている、長ながいまっすぐな道路どうろの行いきどまり近ちかくが、指定していされた集合しゅうごう場所ばしょだ。

荒あれた暗くらい原はらっぱのむこうに運河うんががあり、水みずのなかへ崩くずれ落おちそうな感かんじで、工場こうじょうがせまっている。数かず多おおいライトによって、工場こうじょうのぜんたいが、闇やみのなかにうかがえる。煙突えんとつを先端せんたんまで闇やみのなかにたどると、夜空よぞらよりも黒くろい煙けむりを分厚ぶあつく吐はき出だしていた。

道路どうろの突つき当あたりに近ちかい左側ひだりがわに、ライトバンが一いち台だい、とまっていた。そのうしろに、オートバイが二に台だい。そのうちの一いち台だいは、沢田さわだのCB750だ。二、三にさん人にんの男おとこが、そのまわりに立たっていた。街灯がいとうのなかに、ぼうっと浮うかんで見みえた。

スピードを落おとし、歩道ほどうに寄より、すこしはなれて、とまった。

男おとこたちのひとりが、もっと近ちかよれ、と合図あいずをしていた。ぼくは、合図あいずにしたがった。

歩道ほどうに片足かたあしついてカワサキをとめたぼくに、男おとこは、きいてよこす。

「橋本はしもとか?」

見みたことのない顔かおだ。

「はい」

「降おりて、こっちへこい」

ライトバンのわきへ、ぼくは歩あるいた。

カー・ステレオで、子こ気味きみのよいハードなロックが、抑おさえた音量おんりょうで鳴なっていた。埋立うめたて地ちの夜よると、そこに降ふる霧雨きりさめのなかに、その音楽おんがくはよく溶とけこんでいた。

ライトバンの運転うんてん席せきから、沢田さわだが出でてきた。車くるまの前まえをまわり、歩道ほどうにあがってきた。夜よるでも、あの濃こい色いろのサングラスだ。

沢田さわだのほかは、みんな、知しらない顔かおだ。

「すこし早はやいけど、すぐにはじめる」

と、見知みしらぬ男おとこのひとりが言いった。

「この道路どうろに、センター・ラインがあるだろう。橋本はしもとは、むこうがわ、沢田さわだは、こっち。三さん〇れい〇れいメートルはなれて向むきあい、ホーンを鳴ならすから、それを合図あいずに、スタート。おたがい、センター・ラインすれすれに走はしってきて、すれちがいざま、木刀ぼくとうで、相手あいてを叩たたきき落おとす。いいな。要領ようりょうはわかるだろ」

説明せつめいに、沢田さわだとぼくは、同時どうじにうなずいた。

「叩たたき落おとされたほうが、負まけ。どんなことになっても、いっさい、文句もんくを言いわない。いいな?」

また、うなずく。

「よし。宣言せんげんしてくれ。立会たちあい人にんは、この俺おれだ」

「落おちたら負まけ。どんなことになっても、文句もんくは言いわない」

と、沢田さわだが言いった。

おなじ文句もんくを、ぼくも、くりかえした。

「上出来じょうでき」

ほかの男おとこが、ライトバンから、ふた振ふりの木刀ぼくとうを持もち出だしてきた。袋ふくろにおさめてある。

「位置いちについてくれ。木刀ぼくとうは、あとから、持もっていってやる」

「それから、言いっとくけど、オートバイごと突つっかかっちゃ、いけないぞ。あくまでも、すれちがいざまに、木刀ぼくとうで相手あいてを突つくなり叩たたくなりするんだ。ヘッド・ランプは消けしとけ」

沢田さわだが、CB750にまたがった。すぐに始動しどうさせ、道路どうろの突つき当あたりにむかって、ゆっくり走はしった。

「おまえは、あっち」

言いわれるままにカワサキにまたがり、道幅みちはばいっぱいにUターンし、三さん〇れい〇れいメートルほど走はしった。とまって、振ふりかえった。もっとむこう、と男おとこたちが合図あいずをしている。

さらに五ご〇れいメートル、ぼくは走はしった。再ふたたびUターンし、センター・ラインのすぐわきにカワサキをつけた。

男おとこがひとり、木刀ぼくとうを持もって、沢田さわだのほうへ走はしっていく。

ぼくのほうにも、走はしってきた。木刀ぼくとうを無言むごんでぼくに渡わたし、なにも言いわずに、走はしってひきかえした。

ライトバンの前まえから道路どうろに出でてきた男おとこが、両腕りょううでを大おおきくあげた。沢田さわだとぼくのほうを、交互こうごに見みた。

木刀ぼくとうとアクセル・グリップを右手みぎてでいっしょに持もち、ぼくは合図あいずを待まった。有明ありあけに着つくなり、あっと言いうまにこうなってしまったので、どうしていいのかわからない。

わからないまま、男おとこの両腕りょううでが、振ふりおろされた。ライトバンのホーンが鳴なった。

道路どうろのむこうで、CB750の排気はいき音おんが轟とどろいた。

無我むが夢中むちゅう、木刀ぼくとうといっしょに握にぎったアクセルをぼくは開ひらいた。ふらつくのを立たてなおし、加速かそくし、三さん速そくまであげた。

むこうから、センター・ラインすれすれに、左手ひだりてに木刀ぼくとうをふりかざし、沢田さわだがふっ飛とんでくる。

アクセルから右手みぎてをはなし、木刀ぼくとうをつかみなおし、右腕みぎうでを大おおきく左ひだりにのばした。

それ以外いがいになにもできず、

「あっ!」

という悲鳴ひめいのようなかけ声ごえと共ともに、沢田さわだとすれちがった。

胸むねに、衝撃しょうげきがあった。だが、オートバイから落おちるほどではない。前輪ぜんりんが、かすかに左右さゆうに振ふれただけだ。

ぼくが握にぎって差さし出だしていた木刀ぼくとうには、カーンというショックがあった。沢田さわだのヘルメットに当あたったのだ。ぼくの右腕みぎうでが、木刀ぼくとうごとうしろになびいた。CB750の排気はいき音おんが、遠とおのいていく。

木刀ぼくとうを顎あごの下したにはさみ、ぼくはアクセルをもどした。そうしておいて気持きもちを落着おちつかせてから、道幅みちはばをいっぱいに使つかい、Uターンした。

沢田さわだは、すでにターンをおえ、両足りょうあしをつき、空吹からぶかしをくりかえしている。

ライトバンの前まえの男おとこが、また両腕りょううでを上うえに上あげた。

木刀ぼくとうを、ぼくは太腿ふともものうえに横よこたえた。シートのうえで位置いちをきめなおし、空吹からぶかしをした。

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