西宮の白石美代子から、二度目の手紙がすぐに届いた。
『私も退屈なの』
という書き出しの手紙だった。
『なんとなく感じてはいたのだけど、お手紙を読んで、はっきりしたみたい。退屈なのね。毎日の生活は、いちおうきまっていて、きちんとそれをやっていけば、それはそれでいいんだろうけれど、そのかわりに、いま自分のいるところから、ずっと先まで見えてしまうみたい。どうしたらいい?』
こんな調子で、便せん三枚に、書いてある。
会社は三日つづけて休みなので、ぼくは久しぶりに学校へ来てみた。
夏休みのまっさいちゅうなのだが、語学の単位を落としつづけてきた連中のための夏期講習が七月いっぱいはあるし、卒業提出の作曲をするために学校へ出てきている四年生も多い。ぼくだって、四年生だ。
学校のちかくの、民芸ふうなコーヒー・ショップで、ぼくは、白石美代子あての返事を書こうとしていた。
うまく書けない。『私も退屈なの。どうしたらいい?』というような手紙に、どんな返事を書いたらいいというのか。
窓の外を見た。いい天気だ。暑い。かっと陽が照りつけ、夏らしい。
熱い陽ざしは、素敵だ。陽ざしのなかにいると、たいていのことは、忘れてしまえる。あるいは、ほとんどのことが、許せてしまえる。自分を取りまく空間の質が、ちがってくるから。
陽が照らなくなると、日常の現実のディテールが、ひとつひとつ意味ありげにくっきりとしてきて、それぞれに重さを主張しはじめる。
強い、明るい陽が照っているあいだは、そんなことはない。
『手紙は苦手だな』
と、青いサインペンで、ぼくは、便せんに書いた。
『気がむいたら、電話を。電話で喋ったほうが、よく伝わるよ』
ぼくのアパートの部屋の電話番号を書き加えたら、それで返信はできあがりだった。
すでに切手の貼ってある封筒に入れ、封をした。あて名を書いた。おなじ女のこから二度つづけて手紙をもらったのは、白石美代子がはじめてだなと、ぼくは、ふと思った。
会社では、夏の休暇が一週間、とれる。だが、輸送員のローテーションを二十四時間休みなしで組む必要上、たいていの輸送員は、一週間をふたつに分けて、休まなくてはならない。ぼくも、そうだ。今日からの三日間が、夏の休暇の最初の部分にあたる。
貴重な休みなのに、コーヒー・ショップでこんなふうにぼうっとしているなんてもったいない、と思いながら、さらにぼくは、ぼうっとしていた。ひょっとして、友人の誰かが、あらわれるかもしれない。
店に何冊も置いてあるマンガを見ていると、おなじ作曲科の男が、三人そろって、あらわれた。栗木に桃田、そして大垣という男だ。
ぼくを見つけ、ドカドカとやってき、座布団の敷いてある小さな椅子にすわった。
しばらく雑談していると、やがて、女のこがひとり、入ってきた。五線ノートを何冊もかかえている。中原麻里という女のこだ。彼女も、作曲科だ。いつも白いセリカGTに乗っている。沢田冬美とのドライブのためにぼくが借りたことのある、あのセリカだ。
ほかの三人は、彼女に気づかない。麻里もぼくたちのほうを見ないまま、すこしはなれた席についた。ウエートレスに注文を告げ、煙草を取り出し、一本抜いて、火をつけた。
煙を吐き出しながら店のなかを見渡し、彼女はぼくたちに気づいた。
手をあげてにこっと笑い、煙草を唇にくわえたまま、五線ノートをかかえ、ぼくたちの席へきた。となりの席から椅子を持ってきて腰をおろし、
「新宿でさあ――」
と言いかけるところを、
「新宿でどうしたんだ。目を三つにしてもらったのか」
と、栗木が茶化す。それをうけて桃田が、次のようにつけ加える。
「三つでようやく人なみにものが見えるだろう」
麻里の目は、細い。といっても、ほんのちょっとなのだが。
ほっそりした、青白い顔を、まんなかから分けてカールさせた髪が、両側からとりかこんでいる。体も、すんなりと細い。胸なんか、ふくらみがあるのかないのか、ぜんぜんわからない。快活な、拍子ぬけのするほどにさっぱりした女のこだ。
「待ってたんだよ、麻里」
と、今度は大垣だ。
「あたしを?」
「おまえでも、男に待たれることがあるんだ」
「あなた、男なの?」
「おまえは、なになんだ」
「それでも女のつもりかよ」
「カンナだわ」
「カンナ?」
「そうよ。大工道具のカンナ」
「なぜ?」
「男の身を削るもん」
と、麻里は、身ぶりを加えた。
「よく言うよ」
三人の男が、そろって笑った。
「その薄い腰で」
「助平ねえ」
「でもさあ、男をほろぼすのは、以外にこういう女なんだ。なあ、橋本」
「こいつあ、知らないよ。オートバイにまたがってばっかりだから」
ウエートレスが、麻里の注文したものを持ってきた。アイス・ウインナだ。広口のずんぐりしたグラスにアイス・コーヒーを入れ、コーヒーのうえにクリームが厚く白い層をつくっている。
「ああ、飲みたかったんだ、これ」
グラスを持ち、麻里は口をつけた。
「白いヒゲができるよ」
グラスをかたむけると、クリームの下から、アイス・コーヒーが口のなかに入ってくる。こぼさずに飲もうとすると、鼻の下にクリームが白く八の字ひげのようにくっつく。
みんなは、それを見て笑った。まるで幼稚園だ。
麻里は、サンダルの先でぼくのブーツのヒールを軽く蹴ってよこした。
「どうしてるのよ、コオ、最近は」
「どうもしてない」
「ライブラリーでパブロ・カザルスを聴いてたの。弾きながら、うーんって、何度もうなるのね。感動的」
しばらくして、みんなで店を出た。伝票は麻里が払った。
小さな駐車場に、白いセリカのGTがとまっていた。ぼくたち五人は、乗りこんだ。うしろの三人は、きゅうくつだ。麻里が運転した。
「五人も乗ると、ハンドルの感じが、ぜんぜんちがう」
やがてクーラーが、きいてきた。
どこへというあてはなく、都心にむかって走った。街道をいきながら、郵便ポストをみつけたぼくは、セリカをとめてもらい、白石美代子への返事を投函した。
走りながらいろんな雑談が四人のあいだを飛びかった。ぼくは、おおむね、黙っていた。