夕方、私が散歩から帰って来ると、小料理屋「澄川」の娘のおせいちゃんが肩を振りながら小走りに来て、私を呼び止めた。おせいちゃんは二十歳くらいで、躯も痩せているし、ほそおもての、かなり縹緻よしであり、私たちは近所づきあいの仲であった。
「先生まだ晩ごはん喰べてないでしょ」とおせいちゃんが云った。
私はあいまいな声をだした。
「なんにもしないでよ」とおせいちゃんが云った、「今夜うんとご馳走するからね、ごはんも炊いちゃだめよ」
そして彼女は狡そうに笑って、あとで面白い話をしてあげるわと云い、くるっと身をひるがえすと、小さな肩を振りながら、蒸気河岸のほうへ去った。私はそのうしろ姿を見送りながら、「かもが捉まったな」と独りごとを呟いた。
それよりまえ、私が初めて浦粕町へスケッチにやって来たとき、――ここでちょっと断わっておきたいのだが、そのころ私は、どこかへでかけるとき、しばしば写生帳とコンテを持っていって、その土地の風景を描いたものであった。これは絵の勉強のためではなく、スケッチをすると、その土地の風景の特徴をとらえることができるからで、人物のクロッキイなどもかなり残っているが、――そういうわけで、Y新聞の演芸部の記者だった友人をさそって浦粕へやって来、沖の百万坪や町筋や、舟の並んでいる堀などをスケッチしたあと、ひるめしを喰べるために、一軒の店へはいった。
看板には「御休息とお中食、天丼、トンカツ」などと書いてあったが、座敷へとおされてみて、こいつはいけない、と私は思った。というのが、それより二週間ばかりまえに、画家の池部鈞さんから聞いた話を思いだしたのである。池部さんがまだ美校に在学ちゅうだったころ、写生旅行かなにかの帰りに、宇都宮かどこかで、汽車を待つあいだに食事をした。見かけはありふれた田舎食堂のような店だったが、すすめられて座敷へあがると、白粉臭い女たちがあらわれて、なにも注文しないのに酒だのビールだのを持って来、おのおの景気よく飲んだり喰べたりした。学生である池部さんには、それらが自分と無関係なのか、それとも関係があるのか判断がつかなかった。――なにしろ美校の学生とくると、できるだけ汚ない風態をするのが自慢だったから、どう見そこなってもふところを覘われる心配はない、と池部さんは思った。ところが勘定の段になると、白粉臭い彼女たちの飲み食いした物が、残らず池部さんのふところに噛みついたものであり、その取立てには些かの容赦もなかった、ということであった。
――田舎はおっかねえからな、とそのとき池部さんは明るく面白そうに笑って、私に注意してくれた。君もよく気をつけたほうがいいぜ。
それを思いだしたので私は、顔にも声にも屹とした感じをあらわし、ビール一本と二人の食事を注文したうえ、「それだけである」ことを繰返した。あとで考えると、それは蒸気河岸から堀について曲った左側の「栄家」という店であり、半年ほどのち、私が町へ住みついてからは彼女たちとも親しく口をきくようになった。そうなってみると、ごったくやの女と呼ばれる彼女たちが、みな神の如く無知であり単純であり、絶えず誰かに騙されて苦労していながら、その苦労からぬけだすとすぐにまた騙されるという、朴訥そのもののような女性たちであることがわかった。――けれども、そのときは、まだその間の事情が不明だったので、おさおさ警戒を怠らなかったのである。はたせるかな、と云ってもいいだろうが、私と友人が坐るとまもなく、潮やけのした逞しい躰躯の女性が三人、手に手にビールを二本ずつ持ってあらわれた。
――ちょっと待った、と私は片手をあげて云った。そこでちょっと待ってくれ。
彼女たちは廊下で立停った。
――よし、と私は云った。そこでビールを下に置いてくれ、みんなだ、いや、みんな持っているのを下に置くんだ。
彼女たちはげらげら笑い、私がなにか珍しい芸当を演じてみせるとでも思ったらしく、左右の手に持っているビール壜を、いさみ立ったような身ぶりで下に置いた。私はむろん芸当などしてみせるつもりはない、右側にいる小柄な女中に向って、君がビールを一本だけ持ってこっちへはいって来い、「君だけ」であり、ビールは「一本だけ」であり、ほかのお嬢さんもビールも絶対に不要である、と極めて明確に宣言した。
――まあこの人は、と選まれた小柄な一人が云った。そんな憎ったらしいこと云って承知しねえだぞ。
そうしてこっちへ踏み込んで来ると、私を押し倒して馬乗りになった。両手で私の手を押え、両の腿で私の胴を、そしてその腰部で私の腰部をというぐあいに、字義どおりの馬乗りであって、若い女性からそんな挑戦を受けたことのない私は、その屈辱的な姿態の恥ずかしさに狼狽し、はね返そうとしてできるだけのことをやってみた。あとで聞いたところ、彼女は十六歳だそうで、しかも五尺そこそこの短躯であるのに、信じられぬほど逞しい固太りの腕や、火のように熱い太腿の力は無類なもので、私のあらゆる反抗に対してびくともしなかった。
右のように周到な手順と力闘の労によって、私たちはようやく一本のビールと食事だけで難を逭れることができた。つまり「かも」にはならなかったのであるが、――話を元へ戻すと、「澄川」のおせいちゃんのうしろ姿を見送りながら、私はこのときのことを思いだしたのであった。
やがて根戸川亭の出前持が、三皿の料理とホワイト・ライスを届けて来た。私は良心に咎められたろうか、どう致しまして、常にさみしいふところを抱えて飢えていた私は、ごったくや如きのかもになるような男には、拍手こそしなかったが、同情するほどの気持もなかった。――三皿の料理がなんであったか記憶はないけれども、私は籠屋のおたまにその一と皿を持っていってやり、あとはきれいに独りでたいらげて、いいこころもちで眠ったように覚えている。