← Library‹ 青べか物語 経済原理

私わたくしが沖おきの百ひゃく万まん坪つぼを歩あるいていると、三みつ𣱿いりの水路すいろで少年しょうねんたちが魚さかなをしゃくっていた。近ちかよって覗のぞいてみたところ、バケツの中なかに鮒ふなが十じゅう二に三さん尾びもいた。ひらたという川蝦かわえびや、やなぎ鮠ばやもいたが、鮒ふなのほうが多おおく、それも三さん寸すんくらいの手てごろな、――というのは私わたくしが喰たべるのに、という意味いみであるが、――形かたちのものであった。私わたくしはちょっとふところを考かんがえてから、おもむろに少年しょうねんの一人ひとりに話はなしかけた。するとかれらは号令ごうれいでもかけられたように、水みずの中なかでしゃくっていた者ものも、バケツの番ばんをしていた者ものも、魚さかなを追おい出だすために杭くいや藻もの蔭かげを突つついていた者ものも、いちどきに私わたくしのほうへ振ふり返かえった。

「蒸気じょうき河岸がしの先生せんせいだ」と一人ひとりが他ほかの者ものに囁ささやき、それから洟はなを横撫よこなでにして私わたくしを見みあげた、「――なんてっただえ」

その鮒ふなを売うってもらえないか、という意味いみのことを私わたくしは繰返くりかえした。かれらの顔かおになにか共通きょうつうのものがはしり、さっと緊張きんちょうにとらえられるのが認みとめられた。そのとき私わたくしは「しまった」と思おもった。なにがどう「しまった」のか不明ふめいのまま、ひじょうな失策しっさくをした、ということを直感ちょっかんしたのであった。

少年しょうねんたちは顔かおを見み交かわした。

「売うんか」と一人ひとりが他ほかの者ものに云いった、「蒸気じょうき河岸かしの先生せんせいだぞ、な、売うんか」

少年しょうねんたちは唾つばをのみ、水洟みずばなを啜すすり、バケツの側そばにいた一人ひとりは片足かたあしの拇指おやゆびで片足かたあしのふくら脛はぎを掻かいた。「いやじゃねえけどよ」と一人ひとりはバケツへ手てを入いれて一いち尾びの鮒ふなをつかみあげ、金色きんいろに鱗うろこの光ひかるその獲物えものをさも惜おしそうに、また自慢じまんそうに、そして私わたくしの購買こうばい欲よくを唆そそるように、惚ほれ惚ぼれと眺ながめながら云いった、「こんなえっけえ金かね鮒ふなはめったに捕とれねえからな」

「ンだンだ、みせえま」次つぎの一人ひとりも一いち尾びつかまえ、私わたくしのほうへ差出さしだしながら云いった、「鯉こいっこくれえあんべえがえ」

さらに一人ひとり、さらにまた一人ひとりと、六ろく人にんいる少年しょうねんたちが全部ぜんぶ、暗黙あんもくのうちに共同きょうどう戦線せんせんを張はって、私わたくしを懐柔かいじゅうし、征服せいふくしようとした。かれらの眼めは狡猾こうかつな光ひかりを放はなち、その表情ひょうじょうには闘争とうそう的てきな貪欲どんよくさがあらわれた。

私わたくしは決けっして誇張こちょうしているのではない、これは浦粕うらかすという土地とちの気風きふうなのだ。いつだったか、――むろんそのときより以前いぜんのことであるが、私わたくしは蒸気じょうき河岸かしの脇わきのところで、これと似にたような経験けいけんをした。もう夕方ゆうがたのことだったろう、河岸かしの道傍みちばたで漁師りょうしたちが四五しご人にん、蓆むしろや桶おけを並ならべて、鯉こいや雑魚ざこや貝かい類るいなどを売うっていた。それは「日銭ひぜに」を稼かせぐためのものであった。規定きていとしては、漁獲ぎょかく物ぶつはすべて組合くみあいへ納おさめ、組合くみあいで一括いっかつしてそれぞれの問屋とんやへ卸おろす仕組しくみになっていたが、ちょっと「日銭ひぜに」が欲ほしいような場合ばあいには、納入のうにゅうする責任せきにん量りょうを超過ちょうかした分ぶんだけ、立売たちうりすることが黙認もくにんされていた。そして、他たの土地とちから魚釣つりに来きて、不漁ふりょうをかこちながら帰かえる客きゃくや、単純たんじゅんな遊覧ゆうらん帰かえりの客きゃくたちがあると、それはかなりうまい儲もうけになるのであった。――私わたくしは通とおりかかって、蛤はまぐりを売うっているのをみつけた。大おおきな、粒つぶの揃そろったみごとな蛤はまぐりで、バターいためにしたらさぞ美味うまかろうと思おもい、近ちかよっていって、それを〇まる五ごだけ売うってもらいたいと云いった。私わたくしはもう一いち年ねんちかくも住すんでおり、かれらともおよそ顔かお見知みしり程度ていどになっていたので、心こころの片隅かたすみではひとかどの土地とち者しゃであるような誇ほこりを持もっていた。そのうえ私わたくしのまえに、どこかのかみさんがやはり〇れい五ごだけ買かったところ、一斗桝いっとますくらいの桶おけ一杯いっぱい分ぶんを渡わたしたのを見みていたから、もし私わたくしにもそんなに呉くれるようなら、三さん分ぶんの一いち程度ていどだけ受取うけとることにしよう、などと、おうようなことさえ考かんがえていたのであるが、それらの予想よそうや期待きたいはあっさりとくつがえされてしまった。

「蒸気じょうき河岸かしの先生せんせいだね」とその中年ちゅうねんの漁師りょうしは私わたくしを見みあげた眼めをすぼめた、「――この蛤はまぐりを欲ほしいだかえ」

彼かれは自分じぶんの眼めにあらわれる狡猾こうかつさと、顔かおつきが貪欲どんよくになるのをごまかすために、自分じぶんがいかにも無力むりょくな、悲かなしい男おとこであるかのような表情ひょうじょうを作つくった。

「そうさな」彼かれは蛤はまぐりの一ひとつを取とって、それをじっと凝視ぎょうしした、「――売うってもいいだよ、売うるためにこうやって並ならべてるだからな、売うってもいいだが」

私わたくしは辛抱しんぼうづよく待まった。彼かれはその一ひとつの蛤はまぐりを丹念たんねんにしらべてから、やおら、すぼめた眼めで私わたくしを見みあげた。

「幾いくら欲ほしいだね」と彼かれは云いった。

私わたくしは必要ひつような額がくを答こたえた。

彼かれは梅干うめぼしを舐なめたような顔かおつきで、蛤はまぐりを六ろく個こだけ選えらび分わけた。数すうは正確せいかくにいって六ろく個こ、しかもその一ひとつ一ひとつを、まるで真珠しんじゅでもはいっていはしないかと疑うたがうように、精密せいみつに、入念にゅうねんにしらべたうえ、選えらび分わけたのであった。

「蒸気じょうき河岸かしの先生せんせいだからな」と彼かれは自分じぶんの情じょうの脆もろさに自分じぶんではらを立たてたように云いった、「――しょあんめえ、まけとくだよ」

私わたくしは少年しょうねんたちの顔かおつきの変化へんかを見みて、そのときのことを思おもいだしたのであった。

「売うんか、な」と少年しょうねんの一人ひとりがなかまに云いった、「売うんべや、な、かんぷり」

かんぷりと呼よばれた少年しょうねんは洟はなを啜すすり、上うえわ眼めづかいに私わたくしを見み、またバケツの中なかの鮒ふなたちを見みた。その少年しょうねんは船宿ふなやど「千本せんぼん」の長ちょうの同級どうきゅう生せいで、背丈せたけが小ちいさく、躯からだも痩やせているが、頭あたまだけが大おおきく、しかも鉢はちがひらいていた。かんぷりとはその木槌さいづちあたまに付つけられた仇名あだなで、つまり「かぶり」というのが訛なまったのだと思おもう。これは私わたくしの想像そうぞうにすぎない、本当ほんとうの意味いみはべつにあるのかもしれないが、とにかく、かんぷりはなかまの輿望よぼうをになって戦線せんせんの右翼うよくにたった、というふうにみえた。

「鮒ふなは十じゅう五ごいんだ」とかんぷりは云いった、「幾いくらで買かってくれっかえ、先生せんせい」

私わたくしはふところを考かんがえてから答こたえた。

「えっ」とかんぷりは眼めをみはり、きおいこんでバケツの中なかから鮒ふなをつかみあげ、――それはもっとも大おおきな一いち尾びであった、――私わたくしのほうへと突つき出だしながら云いった、「しょっからへいってみせえま、このくれえの鮒ふなは一ひとつで五ごひゃくもすんだぞ、先生せんせい」

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