たぶん九月だったと思う、私は「青べか」を漕いで、堀を東の浜へ出た。その浜にはまえに書いた海水浴場があるし、海へ出るまでの浅い水路はごかいを捕る場所になっていた。ごかいはもちろん魚を釣るのに使う餌で、浅瀬の砂の中に棲んでい、月に五回、「砂を抜けて海へ出る」という。そのためごかいというそうであるが、学問的に正しいかどうかは知らない。それは夜半に始まるので、漁師や釣舟屋の船頭たちは、口のひろい長さ一メートル半くらいの木綿の袋を持っていて、穴からぬけて海へ出ようとするごかいをその中へ流れ込むように仕掛けるのであった。
私が初めて東の浜へ出たのは、ごかい捕りとは関係がない。その浜には芦の畑があり、魚がよく釣れると聞いたからである。芦の畑などというと不審に思われるかもしれないが、実際に水際の広い地域に、幹の太さや葉の色などで個性をあらわした芦が、――たぶんそれぞれの用途によって区別されるのであろう。――稲や麦を作るように、規則正しく分類して育てられ、晩秋から冬にかけて順に刈り取られるのであった。その芦畑のあたりは、冬になると水鳥類のよい猟場になり、芦の茂っているうちは、縦横に通じている水路が魚の寄り場になる、といわれていた。
私は「青べか」を水路の一つへ漕ぎ入れ、例のとおり漠然とした勘によって釣糸をおろした。どれだけ収穫があったか、それとも一尾も釣れなかったか、私のノートにはなにも書いてない。それよりも水路を釣り廻っているうちに、私は十七号の廃船と、幸山船長にめぐり会ったのである。いつそんなところにいったかわからないが、人の呼びかけ声に振り返って見ると、十メートルほどうしろの芦の中に、白く塗った一艘の蒸気船がもやってあり、そのとものところに、一人の痩せた老人の立っているのが見えた。
「そんなとこじゃ釣れねえだよ」と老人は特徴のあるしゃがれ声で云った、「こっちへ来せえま、この船の上から釣ればいいだ」
私はへどもどとなにか答えながら、その老人のようすを観察した。
そこは水路のゆき止りで、向うに松並木のある岸が見え、船はそちらを舳先にしてもやってあり、底が浅いため、岸に繋いだほうが高く、ぜんたいが艫のほうへかしいでいた。老人の年はわからない、痩せたひょろ長い躯に、両前ボタンの古ぼけた制服を着、かぶっている帽子には錆びて黒ずんだモールと、徽章が付いていた。通船の船長の正装であるが、上着から下は裸で、皺くちゃになった渋色のパンツが見えていた。顔は汐やけがして黒く、頬も眼もくぼんでいるが、顎は逞しく張っており、眩しそうに寄せた眉毛は灰色であった。
老人は私と話したいようすを示したが、私はなんとなくおちつかず、――というのは、そんな芦畑の中に古い通船があることも、その船にそんな老人がいることも、少なからず非現実なような感じがしたからであるが、――またこの次に来よう、という意味の返事をして、まもなく「青べか」を漕ぎ戻した。
それから二三日経った或る夜、高品さんの家の炉端でその老人の話をした。
「ああ幸山船長ですよ」と高品さんが穏やかに笑いながら云った、「息子もちゃんとしているし、嫁にいった娘もいるんですがね、ああやって独りぐらしをしているんです、人嫌いでね、おかしなじいさんですよ」
幸山船長は東湾汽船に四十年の余も勤めた。十三か四で見習いになり、それから水夫、エンジナー、船長になったが、四十余年のあいだ一度も事故を起こさなかったし、その勤めぶりも模範的だったので、会社から幾たびか表彰された。停年になったが、幸山さんは船からおりることを拒絶し、そのまま五年も舵輪を放さなかった。
ここでちょっとブル船長のことを記しておこう。ブルさんと仇名される波木井船長は、東湾汽船の三十六号船の船長だが、停年が過ぎたのに頑として船をおりない。彼は脂肉をぞんざいに寄せ集めたように肥えていて、歩くと躯じゅうの肉がだぶだぶ波打って揺れる。それもいちようにではなく、胸のところはこちらへ、腹や腿の肉はこちらへというぐあいで、見ているのが恥ずかしくなるほど歩きにくそうであり、また必要のない限り殆んど歩くことはなかった。顔もたっぷりと肥えてい、瞼が垂れさがっているため、眼は糸のように細く、視力も極度に衰えていた。顎のところには厚い肉が襞をなしてたたまり、首を曲げるとその肉襞がぐりぐりと動いた。――ブルさんとはその風貌ぜんたいをさした仇名であるが、あまり似すぎているため、却って興ざめなくらいであった。そのブル船長の視力は、二十メートル先もよく見えないというくらいだから、自分の眼では舵輪を操ることができない。そこで水夫の留さんが舳先に構えていて、「おも舵」とか「ゴーヘー」とか「とり舵」とか「ゴースタン」などと、大きく手を振りながら叫び、それによって船長は舵輪を廻し、エンジナーへの合図の鐘を鳴らすのであった。多少頭が温かいといわれている留さんには、それがなによりも誇りがましい任務だったろう、彼は酒に酔ったりすると、しばしば得意げにこう云ったものである。
――おらあがいねえば三十六号はやみだ。
それでもなお船をおりないブルさんのように、幸山船長も頑強にねばった。そうして、幾たびかめの辞職勧告に、多額の退職金が示されると、幸山船長は「金は要らないが十七号を呉れるなら退職する」と答えた。