根戸川の下流、沖の百万坪の地はずれに、某企業家が汚物処理の大規模な工場を建てようとし、県へ許可を申請したとか、すでに許可を取ったとかいう噂が広がった。
汚物といっても例の清掃関係のもので、その処理したあとの廃棄物は根戸川から海へ放流するといわれ、それは小魚や貝類を死滅させるから、周辺の漁民ぜんたいの死活問題であると、かなり大きな騒ぎになった。――その声はしだいに広がり、強く激しい輿論をもりあげ、人の集まるところでは、必ずこの大問題が論じられた。釣舟宿「千本」の下座敷で、或る夜この件について、大勢の者がやりあった。船宿では釣客のために、ごろ寝の準備もあるし、簡単な飲み食いもできる。専属の船頭の中には住込みの者もいるので、二階も下も広く部屋がとってあり、下座敷では船頭や漁師や、ときには蒸気乗りなどが集まって、よく賑やかに飲んだり騒いだりした。――その夜も同じような顔ぶれだったろう、「千本」には長男の鉄なあこと、嫁にいったおかず、十七歳で美貌の二女おすみ、小学六年の二男の久、小学三年の長太郎。三女のしづ、あるじは和助といって、船宿経営の手腕は浦粕随一といわれたし、客筋のいいこと、常に繁昌していることも事実であった。
「こりゃあなんだ、その、あれだ」と漁師の一人が云った、「まるで業病かかさ持ちの女を嫁に取るみてえなもんだ、こっちはちっともいいおもいをしねえで、血の腐った子や孫ができる、そんなものはおめえまっぴらだ」
「かさ持ちってなんだ」と脇で聞いていた長が云った。
「寝ちまいな」と和助が投網を繕いながら云った、「鉄もおしづも寝ちまったぞ」
「とけえ(都会?)のやつらがてめえでひり出した物あてめえで始末をするがいいだ」と中年の船頭が云った、「やつらのひり出した物をおんだらが押っつけられる義理はねえ、おらたちだって自分の始末は自分でつけてるだ、なせ」
「そのけえしゃ(会社?)のやつらあせんであぎ(千代萩?)のさけえごぜんみてえなもんだ」五十年配の船頭が、「なあ」と倉なあこに云った、「県の許可あ取ったなんてえらそうな威しをかけて、おらたちに毒饅頭を食わせようってえだ、おんだらを千松にしようとしてけつかるだよ」
「ちゃん」と長がまた訊いた、「せんまつってなんだ」
「寝ちまえってえにな」と和助が云った、「そんなこたあ子供の聞くもんじゃあねえだ」
「そりゃあげでえ(外題?)ちげえだ」とやはり五十がらみの漁師が云った、「毒饅頭をくわされたなあ加藤清正だべえ、ありゃあおめえ徳川方の計略だあ」
「じゃあ」と先の船頭が訊き返した、「せんであぎで千松のくわされたなあなんだ」
「ありゃあ執権の計略だべえ、執権ともなればなんか上等な干菓子なんかだべえさ」
いやそうでない、このまえ歌左衛門の芝居で見たときには三方の上へ饅頭が盛ってあった。そりゃあ田舎芝居だからだ。田舎芝居とはいっても市村歌左衛門は「田舎団十郎」といわれるくらいの名優だ、いつかみちとせをやったときにはちゃんと屋台で蕎麦を食ってみせたではないか、饅頭でないのに饅頭でまにあわせるような客をなめた芝居をするわけはない。そうだな、とべつの誰かが云った。このまえ国定忠治をやったときにも、――こうして、問題は「田舎団十郎」の良心的な名演技のほうへそれてゆき、みんながその話に熱中した。これは一例にすぎないが、缶詰工場でも、役場の待合所でも、根戸川亭でも、堀南の洋食屋「四丁目」でも、漁師や船頭だけではなく、住民がちょっと四五人も集まれば集まったところで、すぐに浦粕の死活問題が論議された。
こうした気運がしだいにふくれあがって、やがて、町民大会を開催せよ、という声になり、第一回が「梅の湯」でひらかれた。午後六時からというので、私は五時半ころにでかけていった。浴場の広い流し場へうすべりを敷いたのが聴衆席であり、浴槽に蓋をし、その上へさらに板を並べ、古テーブルを置いたのが演壇であった。下足番などはない、各自が自分の履物を持ってあがるのであり、用意のいい人は座蒲団も持って来ていた。――演壇のうしろの羽目板には、「汚物処理場設置反対大演説大会」というビラに続いて、演説者の名を書いたビラがずらっと並んでいた。その中には応援弁士として、県や市の議員の名もみえたように思うが、慥かではないし、またここではその必要もない。というのが、演説は実際には誰一人としてやれなかったからだ。
定刻まえに、会場は殆んど満員になった。ぎっしり詰った聴衆のあいだを、いつも寄席の「浦粕亭」に出ている中売りの女が、巧みに「えーおせんにラムネ、南京豆にキャラメル」と売り歩き、それが大いに繁昌していた。子供たちは人の肩を踏んづけてとびまわり、殴られて泣きだし、人びとは煎餅を喰べ、ラムネ玉の音をさせながら饒舌りあい、はなれて坐った者同士が、かなきり声で呼びあったりしていた。気がついてみると、演壇の脇、つまり湯屋の番頭の出入りするところに、巡査が三人来て立っていた。三人とも帽子の顎紐をかけ、手には白い手袋をはめていた。それは東京などで政府反対の演説会があるとき、臨検の警官がみせる身拵えで、私はなにかあるなと直感した。けれども町の人たちはそのものものしさに気づかないようすで、ラムネ玉の音をさせ、煎餅をかじる音をさせ、高ごえで饒舌りあっていた。
六時二十分になって、司会者が演壇へあがった。足場が不安定なので、テーブルの前まで、いかにも危なそうなさぐり足で歩いた。
「へっぴり腰だぞ……」と誰かが呼びかけた、「おっかあを……んじゃあるめえし、しっかり腰を伸ばしてええべや」
高くて広い浴場の空間が、ばかげた哄笑でわれ返るような反響を起こした。