私が晩めしのあと、独りで酒を啜っていると、窓の障子を外からあけて「喜世川」の栄子が覗いた。
「障子に先生の影が映ってたのよ」と栄子が云った、「あら景気がいいじゃない、あがらしてもらうよ」
私は隠しそこねた一升壜に向って顔をしかめてみせた。それは高品さんから貰ったものであった。まったく酒の飲めない高品さんが、どこかからなにかの祝いで、一升壜を三本おくられ、二本は炉端の客用にしたが、一本を私に呉れたのであった。私もそのころはまだ初心級で、一度に二合とは飲めないくせに、飲みたくなったときには一合買いをする、という経済状態だったから、一升壜が手許にあるということは、その豊かさと幸福感の心理的効果だけでも計り知れないものがあった。そこへ栄子があらわれたのである。「喜世川」というのは小料理屋で、これは幾たびも記したようにごったくやと呼ばれ、料理や酒よりも、女中たちによる特殊サービスを本業としている店であり、栄子もその一人であったが、典型的な一人というほうがよりわかりやすいと思う。――彼女は表からあがって来ると、小さな安物の茶箪笥をあけたり、そのあいだ休みなしに饒舌り続けながら、たちまちのうちに膳拵えをしてしまった。私は机に向って、自分で釣った鯊の煮浸しの小皿を脇に、本を読みながら飲んでいたのであるが、こうなっては栄子にさからってもむだと思い、その折りたたみの古ぼけた膳の前へ坐り直した。栄子は「冷のほうがあとまできいていい」と云い、一升壜からじかに湯呑へ酒を注いだ。私はそれを見て、自分の燗徳利だけは確保しなければならないと決意し、それを自分の前へしっかりと据えた。
栄子は景気の悪い日が半月も続くことを嘆き、これは世間の男どもに甲斐性がないためであると罵り、こうみえてもあたしは江戸っ子であると、山形か福島あたりの訛りで云った。私がここで福島か山形あたりの訛りだというのは、「喜世川」にいる他の二人の女性から聞いたので、私自身にはどこの訛りかまったく不明であったが、栄子の云うように「東京のまん中の神田っ子」の言葉でないことだけは慥かであった。
「あたし心中したことがあるのよ、先生」と栄子は云った、「飲ましてね」
もう何杯も飲んでいるのである。私が質問すると、栄子は湯呑のふちを舐めた。厚いうえに信じがたいほど長い舌であった。
「嘘じゃないよ、松の家のかあさんに訊いてみなさい、あたしが松の家にいたときのことだからよく知ってるよ」と栄子は云った、「その話をすっからさ、根戸川亭からなにか取ろうよ、ねえ、景気つけちゃおうよ先生」
私が答えると栄子は舌打ちをし、下唇を突き出しながら湯呑へ酒を注いだ。
「どっこも不景気なんだね、やんなっちゃう、こんなだといっそまた心中したくなっちゃうわ」と栄子は云った、「岸がんと心中したのもちょうどこんなてえな不景気の続いたときだよ、話しちゃおうか、え、先生」
こういう場合には私は無関心をよそおうことにしている。この種の女性たちはいちように嘘言癖をもっていて、その身の上話の九分九厘までは作りごとであり、読んだ小説か母もの映画のバリエイションときまっていた。ところが、こちらで興味を示さず、聞きたくないふうをよそおっていると、約三〇パーセントぐらいの割合で、本当の身の上を語りだすことがあった。
私は気乗りのしない口ぶりで質問し、栄子は肩をゆさぶった。
「先生もわかりきったこと訊くわね、このとおりあたいは生きてるよ」と栄子は云った、「飲ましてね」
私は黙って自分の酒を啜った。
「あたいぱあっとしたことが好きなのよ」と栄子は云った、「めしだって鬼の牙みたいにぱりっと炊いたのをさ、沢庵かなんかでざくざく茶漬にして掻っこむのが好きさ、やわっこいめしだのおじやなんぞ大っ嫌いさ、だからぱあっと心中しちゃう気になったのよ」
私はまた冷やかに訊いた。
「ああそのことか、ふふう」と栄子は鼻へぬける妙な笑いかたをした、「わかってるじゃないの、あたいこうしてここに生きてるんだもの、死ぬっくらい心中しちゃったら生きてられやしないでしょ、しっかりしてよ先生」
私はしっかりして、口をつぐんだ。
栄子は話しだした。――その出来事は五年まえの十月だったという。相手の男は岸がんと呼ばれ、華やかな病気専門の売薬で名高い「峰岸屋なにがし」という店の外交員であった。岸がんの「岸」は本舗の峰岸の一字であり、がんちゃんというのが男の名であるが、がんとはどういう字を書くのか、また「がん太郎」であるか「がん造」であるのか、栄子はまったく知らなかった。――あとで私がその点を糺すと、栄子はうるさそうに云った。
「心中するんだからって、名前を知ってなくっちゃならないってもんじゃないでしょ、寄留届をするんじゃなしさ、つまんないとこへ水を差さないでよ」
岸がんとは半年ほどの馴染だったという。年は二十八だと云っているが、栄子の見たところでは三十二歳より下ではなかった。逞しく陽焼けのした、にがみばしったいい男であり、栄子の馴染ときまったときには、浦粕じゅうのごったくやの女たちみんなが、嫉妬のあまりやけくそみたようになったそうである。――岸がんは赤いオートバイでやって来た。店名を派手に白抜きで書いた車で、「ガスをひるときの音がすてきだった」と栄子は云った。排気音のことをさすらしい、私はあぶなく笑いそうになり、酒にむせたようなふりをしてごまかした。
岸がんは金使いが上手だった。来るとまずしょうばいを片づけ、堀東のおでん屋で酒を飲み、そこから栄子を呼ぶ。「松の家」は堀南だが、歩いて五分とはかからない。ごったくやの習慣として、よその店から女を呼ぶと一時間なにがしかの玉代を取られるが、女にとっては一種の誇りになる。つまり、玉代を払っても早く逢いたいほど深い仲だ、と思われるのだそうで、岸がんはそういう女の気持をよく知っていた、ということであった。