三十六号船の水夫である留さんは、年が三十四歳でお人好しで、ひどく色が黒かった。「どんな闇夜でも留さんの顔だけは黒く見える」と云われ、自分でもそれを認めていた。――三十六号の船長のブルさんは、すっかり視力が衰えているため、操舵に当っては留さんの声援に頼らなければならず、そのため留さんは「おらがいねえば三十六号はやみだ」と誇っていることは、「芦の中の一夜」に記したとおりであるが、――自分のそういう意義深い立場を誇っている留さんとしては、色が黒いなどということくらい、てんで気にしないのであった。「おらのうちはおやじの代から船乗りだったでよ」と留さんは云っていた、「色の黒いのあ血筋の正しい証拠だべえさ」
彼は霞ヶ浦の北端にある鉾田町で生れ、父も霞ヶ浦の通船に乗っていたし、彼もごく小さいときから、父といっしょに通船に乗ったということだ。――或るとき私は彦山光三(現相撲評論家)の家を訪ねて、浦粕町のことをいろいろ話していると、彦山夫人が「その留さんなら知っている」と云いだされた。よく聞くと確かに同一の人物らしい、夫人も鉾田町の生れで、留さんが少し頭のあったかいことや、色の黒いのと、ばか踊りの上手なことなど、詳しく知っておられた。これには私は相当おどろいたし、夫人も「世間は狭いものねえ」とおどろいておられた。――そのあと、私は浦粕へ帰ってから、世間は狭いものだという通念について、少しばかり検討をこころみたのち、こういうめぐりあいはむしろ「世間が広いからだ」という定義を組み立てることができた。要約すれば平行線の定理なのである。私は私の人生の座標をもち、彦山夫人には夫人の座標がある。留さんも同じことであって、おのおのはその人生の座標に即いて生きている。平行線は相交わらない、というのはユークリッドの定理だったろうか。これに対して「しかし無限大の空間においては相交わる」という非ユークリッド定理がある。つまり、世間が広大であるからこそ、それぞれの座標をもった三人がめぐりあう機会も生れる、というわけである。こんどこの話を書くに当って、平行線の定理を数社の若い記者諸君に訊いてみた。私はもともと数学には興味もなし才能もゼロなので、その定理がユークリッドのものであるかどうかさえ記憶が薄れていたからであるが、若い記者諸君の意見がみなまちまちであり、中には「ユークリッド自身が、非ユークリッド定理をきめた」と主張する新人記者もいて、やはりものは訊いてみるものだ、という感を新たにしたしだいであった。
留さんは篠咲の船着き場の近くに、漁師の物置を改造したものであるが、一戸建の家を借りていた。私はその家を知らない。篠咲は浦粕の上流にあり、歩いて一時間以上はかかるらしい。根戸川堤に面した小さな部落であるが、土堤に桜並木があり、そのためかなり人に知られているということであった。――留さんの家は、何人めかの女にせがまれて借りたのだというが、私が浦粕へいったころは、殆んど高品さんの炉端にいて、頭のあったかいところを披露しながら、炉端に集まる人たちに愛されたり笑われたりしていた。――留さんは女に脆かった。彼は給料を取ると高品夫人に預ける、高品夫人は必要経費を差引いて、残りを郵便貯金にし、その貯金帳を預かっている。ふだんの留さんはあまり金を使わない、酒席(というほどのものではないが)ではもっぱら人に酌をしたり、求められれば得意のばか踊りや、鉾田地方の唄をうたったりするので、飲み食いに金を出すことはなかった。
「だからお金は溜まるのよ」と高品夫人が私に云った、「お金は溜まるんだけれど、それが一〇〇くらいになると女ができて、それですっからかんになっちまうの、もうこんどこそ懲りたって云うでしょ、こんどこそ眼がさめたって、――それからタバコも人の吸いがらを拾うようにして溜めるんだけれど、ちょうど一〇〇くらいになるかなと思うとまた女にひっかかるの、留さんのほうでそうなるのか、女のほうで嗅ぎつけるのかわからないわ、あたしはもちろん、貯金の帳尻のことなんか云やあしないのに、ちょうどそのくらいになるときまって女ができるんだからふしぎよ」
女といってもみなしょうばいにんあがりであった。ごったくやから足を抜いたとか、むかし亀戸で売れっ子だったとか、飲み屋から追い出された、などというような経歴のもちぬしたちで、しかもおちついて世帯を持つということはなく、留さんの貯金を使いはたすと、自分からさっさと出ていってしまう、ということであった。
幾たびそんなことがあったか私は知らない。私が浦粕へ移ったときは、しきりに貯金に精をだしている期間らしく、酒は高品さんの炉端か、なかまの奢り、タバコは人の吸いがらという、倹約なところをみせていた。それが一年ほど経ってからだと思うが、高品夫人がまたそろそろ始まるじぶんよと云い出した。
「いいえ、まだそんなようすはないのよ」と夫人は私の問いに答えた、「でも貯金が一〇〇を越したの、珍しいことに今日しらべたら一二〇近くになってたのよ、そんなに溜まったのはこれが始めてよ」
そんな話をしてから幾十日か経って、高品夫人の予言が事実になった。或る日、高品家の炉端で、夫人がそのことを私に告げた。高品さん夫妻と私の三人だけで、芝栗を剥き、茶を啜りながら話していたとき、夫人がふと思いだしたような顔つきで云った。
「とうとうできちゃったわよ、もう一と月以上にもなるんですって」夫人は、訝しげな眼をする私のことを打つような手まねをした、「わかるじゃないの、留さんに女ができたのよ、それがまた大変なの」
「八兵衛っていうお女郎あがりだそうですよ」と高品さんがやわらかな調子で云った、「いや、八兵衛っていうのは女の名じゃあないんです、たしか潮来あたりの遊廓の妓たちの代名詞でしてね、鹿島香取なんかへ参詣するときに、ゆきにしべえか帰りにしべえかっていうので、合わせて八兵衛ということになったんだそうですよ」