← Library‹ 青べか物語 三十年後

十じゅう月がつ下旬げじゅんの或ある日ひ、私わたくしは二人ふたりの同伴どうはん者しゃとともに浦粕うらかす町まちへいってみた。

江東こうとう区くの高橋たかばしから出でていた通船つうせん、葛西かさい、東ひがし湾わんの両りょう汽船きせんとも、ずっと以前いぜんに運行うんこうをやめ、もっぱらバスの乗のり継つぎに切きり替かえられた、と聞きいていたから、タクシーに掛かけ合あってみると「ゆきましょう」と云いうので、安心あんしんしてでかけた。同伴どうはん者しゃの一人ひとりは私わたくしの若わかい友人ゆうじんで、某ぼう社しゃの編集へんしゅう部ぶ員いんであり、この夏なつごろ探訪たんぼう記事きじの取材しゅざいに浦うら粕かすへいったことがある。社しゃの車くるまでいったのだそうで、タクシーの運転うんてん手しゅがまごついても、彼かれが道順みちじゅんは知しっているだろうと安心あんしんしていた。

じつを云いうと私わたくしは少すくなからずためらったのである。浦うら粕かすのノートを連載れんさいし始はじめてから一いち年ねん、登場とうじょうする人ひとたちの中なかにはまだ健在けんざいな者ものも多おおいだろう。「おわりに」の章しょうでも留とめさんと出会であってへどもどしたことを記しるしたが、ことによると「青あおべか物語ものがたり」を読よんで、他人たにんのことなのに自分じぶんのことを書かかれたと誤解ごかいし、手てぐすね引ひいて待まち構かまえている、といったような人物じんぶつもいるかもしれない。そんなごたごたはごめん蒙こうむりたいし、また、浦うら粕かすという土地とちそのものが、私わたくしの記憶きおくにあるなつかしいイメージをめちゃめちゃにしてしまうかもしれない、という心配しんぱいもあった。しかし、ノートを纏まとめて発表はっぴょうしたのを機会きかいに、ぜひもういちど青あおべかの世界せかいを見みにゆきたい、という誘惑ゆうわくのほうが強つよく、ふと思おもい立たった勢いきおいに乗じょうじてでかけたのであった。

車くるまが走はしっている時間じかんを利用りようして、少すこしばかり「青あおべか物語ものがたり」について注ちゅうを加くわえたいと思おもう。第だい一いち回かいの末尾まつびに記しるしたが、この一連いちれんの物語ものがたりの中なかには、すでに幾篇いくへんか小説しょうせつ化かして発表はっぴょうしたものがあるし、これから小説しょうせつ化かする予定よていのものもあり、その旨むねを編集へんしゅう部ぶ、ならびに読者どくしゃへ断ことわっておいたのであるが、――というのは、それらを除のぞいてはこの一いち篇へんが不ふ完全かんぜんなものとなるし、小説しょうせつとして発表はっぴょうしたものと、ここに集あつめたものとは根本こんぽん的てきに違ちがっているからである。もう一ひとつ、この物語ものがたりは戦前せんぜんにいちど三田みた文学ぶんがくに載のせる筈はずであった。和木わぎ清三郎せいさぶろう氏し(現げん「新しん文明ぶんめい」編集へんしゅう長ちょう)が編集へんしゅうしていたころで、そのとき私わたくしはノートを整理せいりし、「青あおべか物語ものがたり」という題名だいめいをきめて連載れんさいの用意よういをした。結局けっきょくは或ある人事じんじ関係かんけいのため、私わたくしのほうから辞退じたいしたが、そういうことがなかったら、このノートはおそらく散逸さんいつしてしまったであろうと思おもうと、おくればせながらここで和木わぎ清三郎せいさぶろう氏しに礼れいを申上もうしあげたいのである。

タクシーは東京とうきょうを走はしりぬけ、本所ほんじょへはいり、錦糸町きんしちょうへと向むかっていた。こっちへ来きたのは戦後せんごはじめてのことで、荒地あれちや沼ぬまや田たばかりだったのが、ぜんぜん工場こうじょうや家いえでふさがっているのに驚おどろかされた。道みちも舗装ほそうされたのが縦横たてよこに通つうじてい、運転うんてん手しゅ君くんとわが友人ゆうじんで休やすみなしに論争ろんそうが取とり交かわされた。

「そっちへゆくと千葉ちばへいっちまうよ」とわが友人ゆうじんが注意ちゅういする、「こっちの道みちだよ、こっちの道みちだと思おもうな、慥たしかにこっちだったと思おもうがな」それから自信じしんをなくしたように云いう、「ちょっと訊きいてみて下ください」

わが若わかき友人ゆうじんはつねづね土地とち勘かんがいいと自任じにんしているが、あまりに土地とち勘かんがいいためだろう、いっしょに車くるまでどこかへゆくとき、しばしばとんでもない方向ほうこうへと走はしらせ、間違まちがったことがわかっても「なに平気へいきです、あれをぐるっと廻まわればちゃんとゆけますよ」などとすましている。それはそうでしょう、道みちのあるところなら廻まわり廻まわってゆけばたいてい目的もくてき地ちへ着つくことができる。私わたくしはそんなとき心こころひそかに、日本にっぽんの国土こくどの狭せまいことを感謝かんしゃするのだが、――その日ひの運転うんてん手しゅ君くんもやがて、論争ろんそうする煩はんに耐たえないことを知しり、わが友人ゆうじんの指導しどうするままに左ひだりへ曲まがり、右みぎに曲まがり、車くるまからおりて人ひとに訊きいたうえ、あと戻もどりをし、というぐあいに温和おとなしく云いうことを聞きいた。

こうして、タクシーはともかくも浦うら粕かす町まちに着ついた。根ね戸と川かわに架かかった大おおきな鉄橋てっきょうを渡わたるとき、私わたくしは車くるまを停とめてもらって、川かわの上流じょうりゅうと下流かりゅうを眺ながめやった。どっちを見みてもすっかりようすが変かわっていた。川かわ沿そいにあった草原そうげんや荒地あれちには、すっかり家いえが建たち並ならび、川かわの中央ちゅうおうにある小ちいさな妙見みょうけん島とうにも工場こうじょうの建物たてものが犇ひしめいている。――蒸気じょうき河岸がしにはコンクリートの高たかい堤防ていぼうがめぐらされ、地ち盛もりをしたために、船宿ふなやどや人家じんかは道みちから一いちメートル以上いじょうも低ひくくなってしまった。

「ああ、千本せんぼんの店みせがある」と私わたくしは云いった、「あれが長ちょうのいた船宿ふなやどの千本せんぼんだよ」

同伴どうはんした二人ふたりは「青あおべか物語ものがたり」を読よんでいたので、船宿ふなやど「千本せんぼん」と、こまっちゃくれた少年しょうねんの長ちょうを知しってい、私わたくしの感動かんどうをすなおに受うけいれてくれるようであった。まず「千本せんぼん」を訪たずねてみよう、私わたくしは車くるまを蒸気じょうき河岸かしへ廻まわらせながら、どうか長ちょうがいてくれるようにと、それがそらだのみだということを覚悟かくごしながら、心こころの中なかで熱心ねっしんに祈いのった。

「待まてよ」と私わたくしは思おもい直なおして云いった、「先さきにぼくのいた家いえを見みておこう、車くるまをそっちへやってくれないか」

車くるまを蒸気じょうき河岸かしとは反対はんたいのほうへ、ゆっくりと走はしらせた。ごったくやの「喜世きよ川」、次つぎに「澄川すみかわ」などの家いえがみつかったが、小しょう料理りょうりの看板かんばんは出でていなかった。貧まずしげな小ちいさい家いえがごたごたと並ならび、子供こどもたちの遊あそんでいる土堤どてにはあまり草くさもなかった。そして、私わたくしがあしかけ三さん年ねん余あまり住すんでいた、荒地あれちの中なかの一いち軒けん家かがみつかった。

「これかな」と私わたくしは車くるまを停とめさせて、左右さゆうを見比みくらべた、「いや、いやこれだな、こっちが空地くうちで向むこうが田圃たんぼだったが、――そうだ、この家いえだ」

家いえはもよう変かえがしてあった。西側にしがわにあった入口いりぐちが南側みなみがわになり、私わたくしが机つくえを据すえていた窓まどは塞ふさがれ、ぜんたいに黒くろくタールが塗ぬってある。「土堤どていの秋あき」の章しょうで、若者わかものが泣ないていた斜面しゃめんは低ひくくなり、生おい茂しげっていた草くさもない。左右さゆうにも家いえがぎっしり建たって、一いち軒けん家かだった頃ころの感かんじはどこにも残のこっていなかった。

「戻もどろう」と私わたくしは云いった、「車くるまを廻まわして下ください」

私わたくしたちは蒸気じょうき河岸かしへいった。車くるまを「千本せんぼん」の前まえで停とめると、店みせの前まえにいた船頭せんどうらしい若者わかものたちが、ばらばら元気げんきよくやって来きて、いらっしゃい、いらっしゃいまし、と景気けいきよく呼よびかけた。いかにもしょうばい上手じょうずな「千本せんぼん」の者ものらしいが、釣つりをするためにタクシーを乗のりつけるような客きゃくは「かも」であって、私わたくしは車くるまから出でるとすぐ、かれらに片手かたてを振ふった。

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