明くる朝まだ暗いうちに、伊兵衛は古い蓑笠を借り、釣り竿と魚籠を持って宿を出た。城下町のほうへ三丁ばかりいったところに、間馬川という川があり、この近所での鮎の釣り場といわれていた。
彼も宿の主人に教えられて、二度ばかりでかけ、小さなのを五六尾あげたことがあるが、その朝はどうやら釣りが目的ではなく、宿から逃げだすためにでかけたようであった。
彼はへこたれて、しょげた顔で、ときどきさも堪らないというように首を振り、溜息をついた。橋を渡ってすぐ左へ、堤の上を二丁ばかりもゆくと、岸に灌木の茂ったところがある。まえに来た場所であるが、そこでちょっと立停って、またふらふら歩きだし、堤を下りて松林の中へ入っていった。
「はあ、もう七年になるんだ、はあ」
林の中は松の若葉が匂っていた。笠へ大粒の雨垂れがぱらぱらと落ちた。
「おれは構わないとして、おたよは、どんな気持でいるか、ということだろう、それを、うまいようなことを云って、誓いをやぶって、賭け試合などして、……はあ、つづめたところ、自分が飲みたかったのでしょう、そうでしょう、舌なめずりをしてでかけたじゃないか、いそいそと嬉しそうに、ひやっ」
伊兵衛は首を縮め、ぎゅっと眼をつむった。
三沢の家は松平壱岐守に仕えて、代々二百五十石を取っていた。父は兵庫助といい、彼はその一人息子で、幼い頃ひどく躯が弱かったため、宗観寺という禅寺へ預けられた。住職の玄和という人にたいそう愛され、大きくなってからもずっと往来が絶えなかった。
躯と同じように性質も弱気で、ひっこみ思案の、泣いてばかりいる子だったが、和尚の巧みな教育のおかげだろう、十四五になるとすっかり変って、躯も健康になり、気質も明るく積極的になった。
――石中に火あり、打たずんば出でず。
これが玄和の口癖であったが、伊兵衛はこの言葉を守り本尊のようにしていた。学問でも武芸でも、困難なところへぶつかるとこれをじっと考える。石の中に火がある、打たなければ出ない、どのように打つか、さあ、どう打ったら石中の火を発することができるか、さあ……こんなぐあいにくふうするのである。すると(万事とはいかないが)たいていのばあい打開の途がついた。
学問は朱子、陽明、老子にまで及び、武芸は刀法から、槍、薙刀、弓、柔術、棒、馬術、水練とものにして、しかもみんな類のないところまで上達した。
では伊兵衛はぐんぐん出世したろうか。
否、まったく逆であった。彼はそのために主家を浪人しなければならなかった。
理由は二つあるようだ。一つは彼の腕前が桁外れになったこと、もう一つは彼の気質である。摘要すると、剣術でも柔術でも、極めて無作為であって無類に強い。二十一二歳の頃にはその道の師範ですら相手にならなくなったが、格別に珍奇な手法を弄するわけではなく、ごく簡単に、まさかと思うほどあっけなく勝負がついてしまう。
――石中の火を打ち出す一点。
つまり彼がその「一点」をみいだしたとき、勝敗が定まるというのである。しかしそれがあまりにむぞうさであまりに単純明快であるため、当の相手は、ひっこみがつかなくなるし、観ている人たちはしらけた気持になるし、彼自身はてれるという結果になった。
父の兵庫助が死に、彼は二十四歳で家督相続をした。同時に同じ家中の呉松氏から嫁を迎えたが、これがおたよであるが、間もなく母親も父のあとを追って亡くなると、にわかに彼は居辛いような気持に駆られだした。……玄和老のおかげでずいぶん積極的にはなったものの、本性までは変らないとみえ、自分の腕前が強くなるのと反比例して、性質はいよいよものやさしく、謙遜柔和になっていった。
勝って驕らないのは美徳かもしれないが、伊兵衛は勝つたびにてれたり済まながったりする。本気になって済まながり、てれるので、相手はますますひっこみがつかない。周囲の者もなんとなくさっぱりしないし、そこで彼自身は悪いことでもしたような気分になる。こういうことが重なってゆき、だんだんに気まずくなり、(直接には藩の師範たちの策動も少しはあったが)ついに自らいとまを願って退身した。
――これだけの心得があるのだ、いっそ誰も知らぬ土地へいって、新しく仕官するほうが双方のために安泰だろう。
おたよとも相談し、承諾を得て旅に出たのである。しかしいけなかった。機会はあったけれども、さて技倆だめしの試合をする、となるとふしぎにぐあいが悪い。その土地その藩の師範、または無敵と定評のある者を例のようにごく簡単に負かしてしまう。するとあまりのあっけなさにお座がしらけて、なんとなく感情がこじれたようになり、腕前は褒められるが仕官のはなしは纒まらない、という結果になった。
――こんな筈はない、これだけの実力があるのにどこが悪いのだろう。
彼は反省もし熟慮もし悩みもした。二度か三度はうまくいったこともある、だがそうなるとまたべつの故障が起こった。自分に負けて職を失う相手が気の毒になるとか、相手に泣き言を云われる(事実「どうか仕官を辞退して貰いたい、自分がいま失職すると妻子を路頭に迷わせなければならないから」と哀訴されたこともある)といったぐあいで、そうなると彼としては恐縮し閉口し、こちらからあやまって身を退く、ということになるのであった。
主家を去るときはかなりな旅費を持っていたが、三年めにはそれも無くなり、やむなく町道場などで賭け試合をするようになった。これは断然うまくいった。向うが応じて呉れさえすれば間違いなく勝つし、ときには莫大な金になることもあった。しかしやがて妻に気づかれ、泣いて諫められ、今後は絶対にしないという誓いをさせられたのである。
云うまでもない、たちまち窮迫した。
――わたくしも手内職くらい致しますから、どうかあせらずに時節をお待ちあそばせ。