← Library‹ 雨あがる 三

明あくる朝あさまだ暗くらいうちに、伊兵衛いへえは古ふるい蓑笠みのかさを借かり、釣つり竿ざおと魚籠びくを持もって宿やどを出でた。城下じょうか町ちょうのほうへ三さん丁ちょうばかりいったところに、間ま馬うま川かわという川かわがあり、この近所きんじょでの鮎あゆの釣つり場ばといわれていた。

彼かれも宿やどの主人しゅじんに教おしえられて、二に度どばかりでかけ、小ちいさなのを五ご六ろく尾びあげたことがあるが、その朝あさはどうやら釣つりが目的もくてきではなく、宿やどから逃にげだすためにでかけたようであった。

彼かれはへこたれて、しょげた顔かおで、ときどきさも堪たまらないというように首くびを振ふり、溜息ためいきをついた。橋はしを渡わたってすぐ左ひだりへ、堤つつみの上うえを二に丁ちょうばかりもゆくと、岸きしに灌木かんぼくの茂しげったところがある。まえに来きた場所ばしょであるが、そこでちょっと立停たちどまって、またふらふら歩あるきだし、堤つつみを下おりて松林まつばやしの中なかへ入はいっていった。

「はあ、もう七なな年ねんになるんだ、はあ」

林はやしの中なかは松まつの若葉わかばが匂におっていた。笠かさへ大粒おおつぶの雨垂あまだれがぱらぱらと落おちた。

「おれは構かまわないとして、おたよは、どんな気持きもちでいるか、ということだろう、それを、うまいようなことを云いって、誓ちかいをやぶって、賭かけ試合しあいなどして、……はあ、つづめたところ、自分じぶんが飲のみたかったのでしょう、そうでしょう、舌したなめずりをしてでかけたじゃないか、いそいそと嬉うれしそうに、ひやっ」

伊兵衛いへえは首くびを縮ちぢめ、ぎゅっと眼めをつむった。

三沢みさわの家いえは松平まつだいら壱岐守いきのかみに仕つかえて、代々だいだい二百にひゃく五十ごじゅう石こくを取とっていた。父ちちは兵庫ひょうご助すけといい、彼かれはその一人息子ひとりむすこで、幼おさない頃ころひどく躯むくろが弱よわかったため、宗そう観かん寺じという禅寺ぜんでらへ預あずけられた。住職じゅうしょくの玄和げんわという人ひとにたいそう愛あいされ、大おおきくなってからもずっと往来おうらいが絶たえなかった。

躯むくろと同おなじように性質せいしつも弱気よわきで、ひっこみ思案しあんの、泣ないてばかりいる子こだったが、和尚おしょうの巧たくみな教育きょういくのおかげだろう、十じゅう四よん五ごになるとすっかり変かわって、躯むくろも健康けんこうになり、気質きしつも明あかるく積極せっきょく的てきになった。

――石中せきちゅうに火ひあり、打うたずんば出いでず。

これが玄和げんわの口癖くちぐせであったが、伊兵衛いへえはこの言葉ことばを守まもり本尊ほんぞんのようにしていた。学問がくもんでも武芸ぶげいでも、困難こんなんなところへぶつかるとこれをじっと考かんがえる。石いしの中なかに火ひがある、打うたなければ出でない、どのように打うつか、さあ、どう打うったら石中せきちゅうの火ひを発はっすることができるか、さあ……こんなぐあいにくふうするのである。すると(万事ばんじとはいかないが)たいていのばあい打開だかいの途とがついた。

学問がくもんは朱子しゅし、陽明ようめい、老子ろうしにまで及および、武芸ぶげいは刀法とうほうから、槍やり、薙刀なぎなた、弓ゆみ、柔術じゅうじゅつ、棒ぼう、馬術ばじゅつ、水練すいれんとものにして、しかもみんな類るいのないところまで上達じょうたつした。

では伊兵衛いへえはぐんぐん出世しゅっせしたろうか。

否いな、まったく逆ぎゃくであった。彼かれはそのために主家しゅかを浪人ろうにんしなければならなかった。

理由りゆうは二ふたつあるようだ。一ひとつは彼かれの腕前うでまえが桁外けたはずれになったこと、もう一ひとつは彼かれの気質きしつである。摘要てきようすると、剣術けんじゅつでも柔術じゅうじゅつでも、極きわめて無む作為さくいであって無類むるいに強つよい。二十にじゅう一いち二に歳さいの頃ころにはその道みちの師範しはんですら相手あいてにならなくなったが、格別かくべつに珍奇ちんきな手法しゅほうを弄ろうするわけではなく、ごく簡単かんたんに、まさかと思おもうほどあっけなく勝負しょうぶがついてしまう。

――石中せきちゅうの火ひを打うち出だす一いち点てん。

つまり彼かれがその「一いち点てん」をみいだしたとき、勝敗しょうはいが定さだまるというのである。しかしそれがあまりにむぞうさであまりに単純たんじゅん明快めいかいであるため、当とうの相手あいては、ひっこみがつかなくなるし、観みている人ひとたちはしらけた気持きもちになるし、彼かれ自身じしんはてれるという結果けっかになった。

父ちちの兵庫ひょうご助すけが死しに、彼かれは二十にじゅう四よん歳さいで家督かとく相続そうぞくをした。同時どうじに同おなじ家中かちゅうの呉松くれまつ氏しから嫁よめを迎むかえたが、これがおたよであるが、間まもなく母親ははおやも父ちちのあとを追おって亡なくなると、にわかに彼かれは居い辛づらいような気持きもちに駆かられだした。……玄和げんわ老ろうのおかげでずいぶん積極せっきょく的てきにはなったものの、本性ほんしょうまでは変かわらないとみえ、自分じぶんの腕前うでまえが強つよくなるのと反はん比例ひれいして、性質せいしつはいよいよものやさしく、謙遜けんそん柔和にゅうわになっていった。

勝かって驕おごらないのは美徳びとくかもしれないが、伊兵衛いへえは勝かつたびにてれたり済すまながったりする。本気ほんきになって済すまながり、てれるので、相手あいてはますますひっこみがつかない。周囲しゅういの者ものもなんとなくさっぱりしないし、そこで彼かれ自身じしんは悪わるいことでもしたような気分きぶんになる。こういうことが重かさなってゆき、だんだんに気きまずくなり、(直接ちょくせつには藩はんの師範しはんたちの策動さくどうも少すこしはあったが)ついに自みずからいとまを願ねがって退身たいしんした。

――これだけの心得こころえがあるのだ、いっそ誰だれも知しらぬ土地とちへいって、新あたらしく仕官しかんするほうが双方そうほうのために安泰あんたいだろう。

おたよとも相談そうだんし、承諾しょうだくを得えて旅たびに出でたのである。しかしいけなかった。機会きかいはあったけれども、さて技倆ぎりょうだめしの試合しあいをする、となるとふしぎにぐあいが悪わるい。その土地とちその藩はんの師範しはん、または無敵むてきと定評ていひょうのある者ものを例れいのようにごく簡単かんたんに負まかしてしまう。するとあまりのあっけなさにお座ざがしらけて、なんとなく感情かんじょうがこじれたようになり、腕前うでまえは褒ほめられるが仕官しかんのはなしは纒まとまらない、という結果けっかになった。

――こんな筈はずはない、これだけの実力じつりょくがあるのにどこが悪わるいのだろう。

彼かれは反省はんせいもし熟慮じゅくりょもし悩なやみもした。二に度どか三さん度どはうまくいったこともある、だがそうなるとまたべつの故障こしょうが起おこった。自分じぶんに負まけて職しょくを失うしなう相手あいてが気きの毒どくになるとか、相手あいてに泣なき言ごとを云いわれる(事実じじつ「どうか仕官しかんを辞退じたいして貰もらいたい、自分じぶんがいま失職しっしょくすると妻子さいしを路頭ろとうに迷まよわせなければならないから」と哀訴あいそされたこともある)といったぐあいで、そうなると彼かれとしては恐縮きょうしゅくし閉口へいこうし、こちらからあやまって身みを退しりぞく、ということになるのであった。

主家しゅかを去さるときはかなりな旅費りょひを持もっていたが、三さん年ねんめにはそれも無なくなり、やむなく町まち道場どうじょうなどで賭かけ試合しあいをするようになった。これは断然だんぜんうまくいった。向むこうが応おうじて呉くれさえすれば間違まちがいなく勝かつし、ときには莫大ばくだいな金かねになることもあった。しかしやがて妻つまに気きづかれ、泣ないて諫いさめられ、今後こんごは絶対ぜったいにしないという誓ちかいをさせられたのである。

云いうまでもない、たちまち窮迫きゅうはくした。

――わたくしも手て内職ないしょくくらい致いたしますから、どうかあせらずに時節じせつをお待まちあそばせ。

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