← Library‹ さぶ 五の一

玄関げんかんまでの敷石しきいしに氷こおりが張はっていて、一刻ときもまえから降ふりだした小雨こさめにも溶とけるようすがなかった。栄二えいじは傘かさをすぼめて戸袋とぶくろに立たてかけ、格子こうしをあけてはいると、上あがり端はなの六ろく帖じょうではいつもの小僧こぞうが、麻あさの袋ふくろを持もって板いたに打うちつけていた。小僧こぞうの手てはしもやけのため紫色むらさきいろにふくれ、指ゆびのところどころに血ちが滲にじんでいた。

栄二えいじが取次とりつぎを頼たのむと、小僧こぞうは立たってゆき、まもなく庄吉しょうきちという手代てだいが出でて来きた。

「先日せんじつはお騒さわがせして申もうし訳わけがありません」栄二えいじは挨拶あいさつをしてからそう云いった、「今日きょうは乱暴らんぼうなまねは決けっして致いたしませんから、旦那だんなにちょっとおめにかかりたいんです、おてまはとらせませんからって、そう申上もうしあげて下ください」

栄二えいじは土間どまへ膝ひざをついてもいいと思おもった。手代てだいは去さってゆき、小僧こぞうはまた麻袋あさぶくろを打うちにかかった。こんな火ひのけもないあがりっぱたで、天下てんかの通用つうよう金きんから僅わずかばかりの金屑きんくずをへずるために、小僧こぞう一人ひとりをこんなふうに使つかうとは、これだけの大店おおだなとして恥はずかしくないのかな、と栄二えいじは思おもった。

――しょうばいを身みにつけるんならどんなに辛つらいことでもいいだろうが、こいつはいわば御ご法度はっとにそむく罪つみじゃあねえか、あきんどなんてものはあさましいもんだな。

彼かれは心こころの中なかで唾つばを吐はいた。手代てだいが戻もどって来きて、あがれと云いい、次つぎの間まの八はち帖じょうへとおした。そして手代てだいと入いれ替かわりに、番頭ばんとうの儀兵衛ぎへえがあらわれ、用ようはなんだと、立たったままできいた。栄二えいじは旦那だんなに会あいたいと云いった。

「私わたくしはこの店みせの番頭ばんとうだよ」と儀兵衛ぎへえは爪つめ楊枝ようじで歯はをせせりながら云いった、「店みせのことはなんによらず任まかされているんだ、用ようがあるなら私わたくしが聞ききましょう」

栄二えいじはそこへ両手りょうてを突ついた、「話はなしというのはこのまえの金襴きんらんの切せつのことなんで、どうしても旦那だんなとじかに会あってうかがいてえことがあるんです」

「あれはもう済すんだことじゃないか」

「あっしのほうは済すんじゃあいません」

「あれは済すんだことだ」と云いって儀兵衛ぎへえはやかましい音おとをさせて歯はをすすった、「おまえも長ながい出入でいりだったし、まだ先さきのある躯からだだから旦那だんなも表ひょう沙汰さたにはなさらなかった、おまえも表具師ひょうぐしならおよその見当けんとうはつくだろうが、あれは百ひゃく両りょうという値あたいのついた名物めいぶつ切せつだよ、もし旦那だんなが内済ないさいにして下くださらなかったらどうなったと思おもう」

「番頭ばんとうさんまでがあっしのしたことだと思おもってるんですか」

「現げんにおまえの道具どうぐ袋ふくろにはいっていたし、みつけたのは旦那だんなだ、ほかにどう考かんがえようがあるんだね」

「だから旦那だんなに会あいてえんです」栄二えいじは辛抱しんぼうづよく云いった、「あの切きれがあっしの道具どうぐ袋ふくろになぜはいってたか、あっしにはまったく覚おぼえのねえことなんだ、子供こどもにだってわかるだろうが、もしあっしが本当ほんとうにやったことなら、道具どうぐ袋ふくろの中なかなんぞへ入いれて、のうのうとしているわけがねえ、もっと人ひとの眼めにつかねえところへ隠かくしとく筈はずです、そうじゃありませんか」

「私わたくしたちはあきんどで、吟味ぎんみ役人やくにんじゃあないがね、そういう場合ばあいにぬすんだ物ものをどう始末しまつするかは、人ひとによって違ちがうんじゃないか、どっちにしろあの切きれがおまえの道具どうぐ袋ふくろの中なかにあったのは間違まちがいのないことなんだから」

「なにがどうあろうと、神かみかけてあっしのしたことじゃあねえんです、これにはなにかわけがあるに相違そういねえんで、どうしても旦那だんなに会あってうかがわなくっちゃあなりません、ぬすみをしたなんて云いわれちゃあこれからの一生いっしょう、世間せけんに顔向かおむけがならなくなるんですから」

「そうかい」儀兵衛ぎへえはやはり立たったままで栄二えいじを見みおろし、右手みぎてに持もっている爪つめ楊枝ようじを二ふたつに折おった、「――私わたくしで話はなしがつくと思おもったんだが、おまえがそう強情ごうじょうを張はるんならしようがない、ちょっとそのまま待まっておいで」

そして番頭ばんとうは出でていった。

二人ふたりの娘むすめと親したしくなりすぎ、娘むすめのどちらかを嫁よめに貰もらうなどという噂うわさが立たった。現げんにさぶが多た市しという兄弟きょうだい子しから聞きいたそうである。どこから出でた噂うわさかはわからないが、綿めん文ぶんの人ひとたちにも聞きこえたであろう。そこで彼かれを遠とおざけるために、誰だれかがそんな手段しゅだんを考かんがえだしたのだ。主人しゅじんの徳兵衛とくべえか、妻女さいじょか、それとも店みせの誰だれかが、――栄二えいじはそう推察すいさつしたし、いまでもそう信しんじていた。彼かれは小僧こぞうのじぶんに恥はずかしいあやまちを犯おかした。芳かおる古こ堂どうの主婦しゅふにみつかって許ゆるされ、主婦しゅふしか知しらないと思おもっていたが、じつは兄弟きょうだい子しの和助わすけや親方おやかたまでが知しっていたという。知しっていて、そのとき許ゆるしてくれた人ひとたちさえ、こんどの事ことでは誰だれも理解りかいしてくれようとしない。却かえってまえのことがあるために、こんどもまた彼かれの仕業しわざだと思おもいこんでいるようであった。

「このままでは済すませない」と栄二えいじは独ひとり言ごとを呟つぶやいた、「どうしたって事実じじつをはっきりさせずにはおけないんだ」

まもなく人ひとの足音あしおとが近ちかづいて来き、襖ふすまをあけて三さん人にんの男おとこたちがあらわれた。番頭ばんとうでもなし店てんの者ものでもない、三さん人にんとも「い組くみ」の印半纏しるしばんてんに腹掛はらがけ、ずんどうに紺こんの股引ももひきをはいている。二人ふたりは二十にじゅう五ご、六ろく、一人ひとりは四十よんじゅうがらみで、半纏はんてんの衿えりには「頭かしら」という字じが染そめ抜ぬいてあった。町内ちょうないの頭あたまだな、と栄二えいじは思おもった。

「おめえが」とその頭あたまが云いった、「――このお店たなへ因縁いんねんをつけに来きた野郎やろうか」

「冗談じょうだんじゃない、因縁いんねんだなんて」栄二えいじはおどろいて吃どもった、「あっしはただ旦那だんなに会あわしてもらって」

「立たちな、若わけえの」と頭あたまは顎あごをしゃくった、「ここで論判ろんぱんするこたあねえ、話はなしがあるんなら外そとへ出でてから聞きこう」

番頭ばんとうはこの男おとこたちを呼よんだのだ。主人しゅじんの指図さしずかもしれないが、卑怯ひきょうなことをするものだと思おもうと、栄二えいじは怒いかりのために躯むくろがふるえてきた。

「いやだ」と彼かれは怒いかりを抑おさえて云いった、「あっしは旦那だんなに会あうまではここを動うごかない、人間にんげんひとりの一生いっしょうにかかわることなんだ、おまえさんは知しらないだろうが」

「立たたせろ」と頭あたまは若わかい者ものたちに云いった、「お店みせへご迷惑めいわくだ、ひきずり出だせ」

栄二えいじはあぐらをかいて居坐いすわり、腕組うでぐみをした。梃子てこでも動うごくものかと肚はらをきめたが、若わかい者もの二人ふたりは静しずかに左右さゆうへ寄よって来き、温和おとなしくしろよと云いいながら、栄さかえ二にの腕うでを二人ふたりで掴つかんで引ひっ立たてた。振ふり放はなそうとしたが二人ふたりの力ちからにはかなわず、そのまま玄関げんかんまでひきずられていった。麻袋あさぶくろを打うっていた小僧こぞうはびっくりしてとびのき、栄二えいじはかっとのぼせた。

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