← Library‹ さぶ 六の四

才さい次つぎは病人びょうにん置場おきばに十じゅう余日よじついた。そのあいだに三さん月がつとなり、才さい次つぎの代かわりに久七きゅうしちという、中年ちゅうねん者しゃが小頭こがしらに直なおされた。

栄二えいじにはなんの咎とがめもなかった。人足にんそくたちはもとより、才さい次つぎも事実じじつは隠かくしとおしたらしい。あのときは近ちかくに人足にんそくたちがいたので、自分じぶんが初はじめに手てを出だした、ということを見みていた者ものがいるかもしれない。そうなれば却かえって自分じぶんに不利ふりだから黙だまっていたのだろうが、実際じっさいには役人やくにんたちは知しっていたようで、心学しんがく教師きょうしの立松たてまつ伯翁はくおうが、講話こうわのときそのことに触ふれた。

この寄場よせばでは十とお日かに一いち度どずつ心学しんがくの講話こうわがあった。会場かいじょうは役所やくしょの広間ひろまで、女おんなの収容しゅうよう者しゃたちもいっしょに出でた。講話こうわはむずかしいものではなく、故事こじや逸話いつわを引用いんようした処世しょせい訓くんのようなものだったが、人足にんそくたちはみないやがって、番ばんたび督促とくそくしなければ出でようとはしなかった。女おんなたちの中なかにちょっとでもみられるのがいると、進すすんで聞ききに出でる者ものもいるが、そんなときは講話こうわなど聞ききながし、もっぱらその女おんなを眺ながめるだけなので、教師きょうしのほうでそういう女おんなの出でることを拒こばむようであった。

三さん月がつ五いつ日かの夜よるの講話こうわに、栄二えいじは役所やくしょ詰づめ元締もとじめ役やくの岡安おかやす喜兵衛きへえから、特とくに指名しめいされて出でた。一いち日にちおきの入浴にゅうよく日ひに当あたっていたので、湯ゆあがりのぐったりした気分きぶんではおっくうだったが、特とくに指名しめいされたし、これまで一いち度ども出でたことがないから、やむなく彼かれは聞ききにいった。――その広間ひろまは三十さんじゅう帖じょうばかりの広ひろさで、役所やくしょの南側みなみがわにあり、中庭なかにわに面めんした縁側えんがわからあがるようになっていた。男おとこは栄二えいじのほかに十じゅう四、五しご人にん、女おんなたちも同おなじくらいいたろうか。両者りょうしゃは広間ひろまの左右さゆうにわかれて坐すわり、その中央ちゅうおうに教師きょうしの席せきがあった。

立松たてまつ伯はく翁おきなは肥こえた老人ろうじんで、としはおよそ六十ろくじゅう歳さい。禿はげた大おおきな頭あたまも、はちきれそうなまるい顔かおも、茶色ちゃいろにあぶら光ひかりがしてい、厚あつい大おおきな唇くちびるはきみの悪わるいほど赤あかかった。心学しんがく教師きょうしなどというから、痩やせて枯淡こたんな風貌ふうぼうの人ひとかと想像そうぞうしていた栄二えいじは、すっかり予想よそうが外はずれたので可笑おかしくなり、こいつはたいしたずくにゅうだと思おもった。――広間ひろまの一隅いちぐうには人ひと見張みはり役やくの小島こじま良りょう二郎じろうと、役所やくしょ詰づめの同心どうしんが二人ふたり、そのあいだに岡安おかやす喜兵衛きへえの顔かおも見みえた。

立松たてまつ教師きょうしの話はなしは退屈たいくつなものであった。当人とうにんだけが昂奮こうふんして、自分じぶんの話はなすことに自分じぶんで感動かんどうし、うん、これだ、これが人間にんげんの人間にんげんたるみちだ、うん、などとりきんで頷うなずいたり、扇子せんすで自分じぶんの膝ひざを力ちからまかせに打うったりした。孝経こうきょうにはどうあるとか、心学しんがくではこううたっているとか、唐からのたれそれはどうしたとか、読よんだとも聞きき覚おぼえたともわからない話はなしや、妙みょうな歌うたなどをむやみに並ならべたて、これらがまことに人ひとの生いきるみちである、という文句もんくを繰返くりかえすのであった。栄二えいじは欠伸あくびをがまんするのに困こまっていたが、そのうちに伯はく翁おきながとつぜん声こえを高たかめて、豊臣とよとみ家かの木村きむらなにがしという武将ぶしょうが、茶ちゃ坊主ぼうずに頭あたまを叩たたかれても忍耐にんたいしたのだぞ、とどなりだしたのでびっくりした。

「ひとかどの武将ぶしょうたる者ものが、茶ちゃ坊主ぼうずに頭あたまを叩たたかれたのだ」と伯はく翁おきなは威嚇いかくするように、眼めを剥むいて座ざの左右さゆうを睨にらみまわした、「――けれども木村きむら重成しげなりは黙だまっていた、なんにもしなかった、痛いたいという顔かおさえもしなかった、これが人間にんげんの違ちがいだ、茶ちゃ坊主ぼうずは茶ちゃ坊主ぼうずで終おわったかどうかはここでは問題もんだい外がいとして、重成しげなりは侍さむらい大将たいしょう、旗はたがしらとなって大阪おおさか陣じんでたたかい、そこはこちらが徳川とくがわ軍ぐんであったがために討死うちじにはしたけれども、後世こうせいに名なを残のこすほどの大だい人物じんぶつになった」

「ここにいるみんなに、重成しげなりほどの人物じんぶつになれとは云いわない」と伯はく翁おきなは続つづけた、「――けれどもこの中なかに、ひとからちょっといたずらをされただけで、相手あいてを半殺はんごろしのめにあわせた者ものがいるそうだ」

栄二えいじはすばやく同心どうしんたちの席せきへ眼めをやった。しかし誰だれもこっちを見みている者ものはなかったし、岡安おかやす喜兵衛きへえは、顔かおを仰向あおむけにし、眼めをつむっていた。

「私わたくしはその男おとこにききたい」と伯はく翁おきなは左右さゆうをねめつけながら続つづけていた、「――もしひとがいたずらをしかけてきたときに、笑わらって済すませたらどうなったか、二に度ど、三さん度どとしかけても、こっちが笑わらって受うけながしていれば、相手あいても拍子ひょうしぬけがして、ついにはあやまってくるに相違そういない、ところがその男おとこは相手あいてを半殺はんごろしにした、そうせずにはいられなかったのだろうが、さて、それであとはどうなるだろう、――又敵またがたきが天下てんかの御ご法度はっとになったのは、仇討あだうちであっても親おやを殺ころされた子こはまた相手あいてを恨うらみ、その子こが相手あいてを討うてば討うたれた子こがまた相手あいてを仇あだと狙ねらう、これでははてしがないし世よの中なかというものが成なり立たってゆかないからだ」

「けれども、恨うらむという気持きもちは御ご法度はっとだけで抑おさえられるものではない」と伯はく翁おきなは熱心ねっしんに、右手みぎてで額がくを撫なでながら続つづけた、「――半殺はんごろしのめにあわされた男おとこは、自分じぶんのしたいたずらを悔くやまず、相手あいてのことを恨うらんで仕返しかえしをしようとするかもしれない」

ここで教師きょうしは声こえに実感じっかんをこめようとして調子ちょうしをさげた、「――火事かじがおこれば、火先ひさきの家いえを壊こわして火ひをくい止とめる、つまり、家いえ一いち軒けんの犠牲ぎせいで大火たいかになるのを防ふせぐわけだ」

そこまで聞きいて栄二えいじは立たちあがった。

みんなの見みる眼めを背中せなかに感かんじながら、彼かれは広間ひろまから黙だまって出でてゆき、もっこ部屋へやへ帰かえった。教師きょうしの講話こうわは紛まぎれもなく自分じぶんをさしたものだ、岡安おかやす喜兵衛きへえが指名しめいしてきたこともそのためだろう。まわり諄くどいことをするものだ、ばかばかしい、と栄二えいじは思おもった。おれのしたことが悪わるいのなら、はっきりけじめをつけて罰ばっするがいい。忍耐にんたいだの辛抱しんぼうだの、茶ちゃ坊主ぼうずや侍さむらい大将たいしょうなんぞをもちだすことはない。おれは唐とうのなんとかいう学者がくしゃでもなし、茶ちゃ坊主ぼうずでも侍さむらい大将たいしょうでもない。おれはほかの誰だれでもない表具ひょうぐ職人しょくにんの栄二えいじだ、ぬすっとの汚名おめいをきせられ、往来おうらいで叩たたきのめされ、島しまの寄場よせばへ送おくられて、一生いっしょうをめちゃめちゃにされた人間にんげんだ。

「おめえ自分じぶんでそういうめにあったか、といってやればよかった」栄二えいじは肱枕ひじまくらで横よこになりながら、口くちの中なかでそっと呟つぶやいた、「――おらあ立たちあがったとき、あのずくにゅうの禿頭はげあたまを一ひとつぶん殴なぐってやろうかと思おもった、そしてずくにゅうが怒おこったら、辛抱しんぼうしんぼうと云いってやるんだ、へ、与平よへいの云いいぐさじゃあねえが、他人たにんの痛いたみなら三さん年ねんだってがまんができる、てめえの知しらねえ痛いたみに、知しったかぶりの講釈こうしゃくをするなってんだ」

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