事情はまもなくわかった。
「あにいの云うとおりだ」と万吉は頭を掻きながら云った、「おらあまんまと二朱がとこにせがねを掴まされたよ」
万吉は念を入れて聞きまわったようだ。実際にはごく単純な話で、おとよが多情な女であり、云いよる男なら誰にでも身を任せる。こぶの清さんとは松造よりまえからの仲で、おとよとこぶが逢っているのを、松造が覗きにいっていたのだという。それから松造がちょっかいを出し、おとよも松造に熱くなった。こぶはすぐ暴力をふるう無法者だが、おとよのことになると骨を抜かれたようで、ただもう金や物を与えてはくどくばかり、ほかの男たちについて怒ることも、嫉妬する気力さえもないということであった。
「おとよってえあまはとんでもねえ男たらしだって思った」と万吉は云った、「ところがふしぎなことにそうでもねえんだな、誰に対しても情が厚くって、不実なことは決してしていねえんだ、こぶは油絞りで、この寄場ではいちばん稼ぎが多い、だから金や物をせっせとくれてやるらしいが、それだからどうってこたあねえ、びた銭一枚やらねえ者と、ちっとも扱いが変らねえっていうこった」
いまのところいちばんのぼせているのは松造で、彼はもういつでもしゃばへ出られるため、そのときはおとよを妻として迎えたいと、しんけんに思い詰めている。だから万吉を云いくるめて、こぶとの仲を裂こうとしたのだそうであった。
「女はいったいどうなんだ」
「そこがふしぎなんだよ」万吉はどうにも理解ができないというふうに云った、「――おらあ松つぁんといっしょに、あのあまと何度も話したんだが、そのときはあまのほうでも松つぁんに首ったけみてえなんだ、嘘じゃあねえほんとにそうとしかみえねえんだよ」
おとよとかかわりのあった男たちにきいてみると、どの男にもそんなふうだったようだ。はなれていった男たちの多くは、彼女があんまりむきになるので、つきあっているうちにおくびが出てくる、と云ったそうである。どこにも転がっているような話だ、おかしくもないもうやめろ、と栄二は云った。
「まのぬけたことへ引っぱりこんで済まなかった」万吉は頭をさげてから云った、「――だがな、あにい、こんどいろいろきいてまわっているうちに、役所のほうではあにいの身許も、名めえもとしもすっかりわかっている、ってえことを聞いたぜ」
栄二は眼を細めて万吉を見た。
「次郎吉のやつが吐いたらしい」と万吉は続けた、「いつかおめえがやつをのしたとき、女衒の六って呼んだっけ、それが役所の同心の耳にはいって、野郎はみっちりしめあげられた、銭にすりゃあ一文の値打ちもねえ野郎だからひとたまりもありゃしねえ、てめえの旧悪はほじくらねえという約束で、知ってることをみんな饒舌っちまったってことだ」
「それでか、さぶ」と栄二が呟いた。
「なにか云ったかい」
「なんでもねえ」と栄二は首を振り、なにか云いかけたが、思い返したようにまた首を振った、「――なんでもねえよ」
女衒の六は堀江の「すみよし」の話をしたであろう、おれとさぶに喧嘩をしかけたことは話さないにしても、「すみよし」へよく飲みにいっていたぐらいは饒舌ったに違いない。それをたぐればおのぶが出てくるし、芳古堂もすぐにわかってしまうだろう。しかし、そんなにまでおれの身許を洗ったのはなんのためだ。おれがなに者だかということがわかったのは、さぶが訪ねて来たことではっきりしている。そのくせ直接おれにはなにも云わないし、扱いぶりにも変ったところはない。これはいったいどういうことだ、と栄二は思った。
「――青木という人だな」と彼は呟いた、「町廻りのほうか、奉行所詰のほうか、とにかく青木というあの与力のやったことだろう」
どうするつもりだ、そんなふうにしておれをなだめようというのか、そんなことでおれの怒りが挫けるとでも思っているのか。冗談じゃあねえ、足の指の剥がした爪は生えてきたが、おれの心のずたずたにされた傷はまだ血をふいている。さぶを使って、泣きおとしにかけるぐらいのことで治るような傷じゃあねえぞ、と栄二は心の中でせせら笑った。
四月の末から降りだした雨が、五月中旬まで続いた。もっこ部屋から島の外へ出仕事にいっていた十七人は、深川の海辺で埋立て工事をしていたのだというが、雨が続くあいだは埋立てもできず、部屋にこもってごろごろしていた。――五日ごとに必ずやって来たさぶが、五月にはいってから姿をみせなくなった。姿をみせないといっても会うわけではなく、差入れの品を受取るだけのことだが、さてその差入れがないとなると、こんどはそれが気になりだした。いつも菓子や折詰のすしを分けて貰っている、まわりの者たちも気がついたとみえ、お客さんがみえねえようだがどうかしたのか、などと幾人かが問いかけた。栄二はもちろん知らないと答えるだけだったし、さぶのことを気にする自分にもはらを立てた。
雨があがると、気候は急に暑くなり、一日おきの入浴のほか、まいにち行水を使うことが許された。十七人の出仕事もまた始まり、残ったもっこ部屋の者は、相変らず寄場内の雑役に追われた。
六月はじめの或る日、油絞りのこぶが暴れだして大騒ぎになった。栄二は繩や蓆にする藁束を、五人のなかまと船からおろしていたが、灰焼場のほうで人の叫びあう声と、役人たちの走りまわるのを見て、なにげなくそっちへいってみた。すると赤鬼の松田権蔵が向うから、手を振りながら来てどなった。
「来ちゃあいけねえ」と松田は叫んだ、「戻れ戻れ、けがをするぞ」
栄二のあとについて来た金太が、なんの騒ぎです差配さん、と呼びかけた。
「こぶの清七が暴れてるんだ」と松田はどなり返した、「もう三人もやられたが、あのくそ野郎は掛矢を持ってるからどうしようもねえ、くたびれるのを待つよりしようがねえんだ」
栄二はそれを聞きながらあるきだした。
「よせ」と松田は栄二には構わず、金太に手をあげて喚いた、「こぶのくそ野郎は気が狂って、たれかれの見境がつかなくなってるんだ、近よるな」