← Library‹ さぶ 七の五

事情じじょうはまもなくわかった。

「あにいの云いうとおりだ」と万吉まんきちは頭あたまを掻かきながら云いった、「おらあまんまと二に朱しゅがとこにせがねを掴つかまされたよ」

万吉まんきちは念ねんを入いれて聞ききまわったようだ。実際じっさいにはごく単純たんじゅんな話はなしで、おとよが多情たじょうな女おんなであり、云いいよる男おとこなら誰だれにでも身みを任まかせる。こぶの清きよしさんとは松造しょうぞうよりまえからの仲なかで、おとよとこぶが逢あっているのを、松造しょうぞうが覗のぞきにいっていたのだという。それから松造しょうぞうがちょっかいを出だし、おとよも松造しょうぞうに熱あつくなった。こぶはすぐ暴力ぼうりょくをふるう無法むほう者しゃだが、おとよのことになると骨ほねを抜ぬかれたようで、ただもう金かねや物ものを与あたえてはくどくばかり、ほかの男おとこたちについて怒おこることも、嫉妬しっとする気力きりょくさえもないということであった。

「おとよってえあまはとんでもねえ男おとこたらしだって思おもった」と万吉まんきちは云いった、「ところがふしぎなことにそうでもねえんだな、誰だれに対たいしても情じょうが厚あつくって、不実ふじつなことは決けっしてしていねえんだ、こぶは油絞あぶらしぼりで、この寄場よせばではいちばん稼かせぎが多おおい、だから金かねや物ものをせっせとくれてやるらしいが、それだからどうってこたあねえ、びた銭せん一いち枚まいやらねえ者ものと、ちっとも扱あつかいが変かわらねえっていうこった」

いまのところいちばんのぼせているのは松造しょうぞうで、彼かれはもういつでもしゃばへ出でられるため、そのときはおとよを妻つまとして迎むかえたいと、しんけんに思おもい詰つめている。だから万吉まんきちを云いいくるめて、こぶとの仲なかを裂さこうとしたのだそうであった。

「女おんなはいったいどうなんだ」

「そこがふしぎなんだよ」万吉まんきちはどうにも理解りかいができないというふうに云いった、「――おらあ松まつつぁんといっしょに、あのあまと何なん度ども話はなしたんだが、そのときはあまのほうでも松まつつぁんに首くびったけみてえなんだ、嘘うそじゃあねえほんとにそうとしかみえねえんだよ」

おとよとかかわりのあった男おとこたちにきいてみると、どの男おとこにもそんなふうだったようだ。はなれていった男おとこたちの多おおくは、彼女かのじょがあんまりむきになるので、つきあっているうちにおくびが出でてくる、と云いったそうである。どこにも転ころがっているような話はなしだ、おかしくもないもうやめろ、と栄二えいじは云いった。

「まのぬけたことへ引ひっぱりこんで済すまなかった」万吉まんきちは頭あたまをさげてから云いった、「――だがな、あにい、こんどいろいろきいてまわっているうちに、役所やくしょのほうではあにいの身許みもとも、名なめえもとしもすっかりわかっている、ってえことを聞きいたぜ」

栄二えいじは眼めを細ほそめて万吉まんきちを見みた。

「次郎吉じろきちのやつが吐はいたらしい」と万吉まんきちは続つづけた、「いつかおめえがやつをのしたとき、女衒ぜげんの六ろくって呼よんだっけ、それが役所やくしょの同心どうしんの耳みみにはいって、野郎やろうはみっちりしめあげられた、銭ぜににすりゃあ一いち文ぶんの値打ねうちもねえ野郎やろうだからひとたまりもありゃしねえ、てめえの旧悪きゅうあくはほじくらねえという約束やくそくで、知しってることをみんな饒舌しゃべっちまったってことだ」

「それでか、さぶ」と栄二えいじが呟つぶやいた。

「なにか云いったかい」

「なんでもねえ」と栄二えいじは首くびを振ふり、なにか云いいかけたが、思おもい返かえしたようにまた首くびを振ふった、「――なんでもねえよ」

女衒ぜげんの六ろくは堀江ほりえの「すみよし」の話はなしをしたであろう、おれとさぶに喧嘩けんかをしかけたことは話はなさないにしても、「すみよし」へよく飲のみにいっていたぐらいは饒舌じょうぜつったに違ちがいない。それをたぐればおのぶが出でてくるし、芳かおる古こ堂どうもすぐにわかってしまうだろう。しかし、そんなにまでおれの身許みもとを洗あらったのはなんのためだ。おれがなに者ものだかということがわかったのは、さぶが訪たずねて来きたことではっきりしている。そのくせ直接ちょくせつおれにはなにも云いわないし、扱あつかいぶりにも変かわったところはない。これはいったいどういうことだ、と栄二えいじは思おもった。

「――青木あおきという人ひとだな」と彼かれは呟つぶやいた、「町廻まちまわりのほうか、奉行ぶぎょう所しょ詰づめのほうか、とにかく青木あおきというあの与力よりきのやったことだろう」

どうするつもりだ、そんなふうにしておれをなだめようというのか、そんなことでおれの怒いかりが挫くじけるとでも思おもっているのか。冗談じょうだんじゃあねえ、足あしの指ゆびの剥はがした爪つめは生はえてきたが、おれの心こころのずたずたにされた傷きずはまだ血ちをふいている。さぶを使つかって、泣なきおとしにかけるぐらいのことで治なおるような傷きずじゃあねえぞ、と栄二えいじは心こころの中なかでせせら笑わらった。

四よん月がつの末すえから降ふりだした雨あめが、五ご月がつ中旬ちゅうじゅんまで続つづいた。もっこ部屋へやから島しまの外そとへ出で仕事しごとにいっていた十じゅう七しち人にんは、深川ふかがわの海辺うみべで埋立うめたて工事こうじをしていたのだというが、雨あめが続つづくあいだは埋立うめたてもできず、部屋へやにこもってごろごろしていた。――五いつ日かごとに必かならずやって来きたさぶが、五ご月がつにはいってから姿すがたをみせなくなった。姿すがたをみせないといっても会あうわけではなく、差入さしいれの品しなを受取うけとるだけのことだが、さてその差入さしいれがないとなると、こんどはそれが気きになりだした。いつも菓子かしや折詰おりづめのすしを分わけて貰もらっている、まわりの者ものたちも気きがついたとみえ、お客きゃくさんがみえねえようだがどうかしたのか、などと幾いく人にんかが問といかけた。栄二えいじはもちろん知しらないと答こたえるだけだったし、さぶのことを気きにする自分じぶんにもはらを立たてた。

雨あめがあがると、気候きこうは急きゅうに暑あつくなり、一いち日にちおきの入浴にゅうよくのほか、まいにち行水ぎょうずいを使つかうことが許ゆるされた。十じゅう七しち人にんの出で仕事しごともまた始はじまり、残のこったもっこ部屋へやの者ものは、相あい変かわらず寄場よせば内ないの雑役ざつえきに追おわれた。

六ろく月がつはじめの或ある日ひ、油絞あぶらしぼりのこぶが暴あばれだして大騒おおさわぎになった。栄二えいじは繩なわや蓆むしろにする藁束わらたばを、五ご人にんのなかまと船ふねからおろしていたが、灰はい焼場やきばのほうで人ひとの叫さけびあう声こえと、役人やくにんたちの走はしりまわるのを見みて、なにげなくそっちへいってみた。すると赤鬼あかおにの松田まつだ権蔵ごんぞうが向むこうから、手てを振ふりながら来きてどなった。

「来きちゃあいけねえ」と松田まつだは叫さけんだ、「戻もどれ戻もどれ、けがをするぞ」

栄二えいじのあとについて来きた金太きんたが、なんの騒さわぎです差配さはいさん、と呼よびかけた。

「こぶの清七せいしちが暴あばれてるんだ」と松田まつだはどなり返かえした、「もう三さん人にんもやられたが、あのくそ野郎やろうは掛矢かけやを持もってるからどうしようもねえ、くたびれるのを待まつよりしようがねえんだ」

栄二えいじはそれを聞ききながらあるきだした。

「よせ」と松田まつだは栄二えいじには構かまわず、金太きんたに手てをあげて喚わめいた、「こぶのくそ野郎やろうは気きが狂くるって、たれかれの見境みさかいがつかなくなってるんだ、近ちかよるな」

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