← Library‹ さぶ 十二の三

義一よしかずはへらへらと笑わらった。花札はなふだをこっちへよこせと叫さけんだとき、松田まつだ権蔵ごんぞうの怒いかりは頂点ちょうてんに達たっしていたようだ。それを聞きいた栄二えいじは、自分じぶんがどなりつけられたように思おもい、恥はずかしさで身みがすくんだ。義一よしかずは松田まつだをからかっているのだ。そして、そうすることで、自分じぶんをみんなに誇示こじしようとしているのである。このおれ自身じしんがそうであったように、――実際じっさいにはそんなことにはなんの意味いみもなく、却かえって自分じぶんを道化どうけにしているにすぎないのに。栄二えいじがそう思おもっているとき、義一よしかずはおひゃらかし笑わらいをしながら、集あつめた花札はなふだを持もって立たってゆき、松田まつだの手てに渡わたした。

「冗談じょうだんだよ、松田まつださん」と義一よしかずは云いった、「ここじゃあ冗談じょうだんひとつ云いえないのかい」

「きさまにはこのおれがばか者しゃにみえるらしいな」松田まつだは荒あらい呼吸こきゅうをしながら云いった、「元締もとじめ役やくはここを牢ろうではないと云いわれた、慥たしかにそのとおりだが、寄場よせばをあまくみると後悔こうかいするぞ」

「わかりましたよ」と云いって義一よしかずはうしろにいるりゅうへ振ふり向むいた、「――いまのお差配さはいの仰おっしゃったことを覚おぼえておけよ、りゅう、ここは伝馬町てんまちょうよりおっかねえところらしいからな、おとなしくしようぜ」

「あのこと怒おこってるのかい、あにき」とりゅうは面白おもしろそうに云いった、「それとも、怯おびえちゃってるんじゃねえかな」

松田まつだは大股おおまたに出でてゆき、手荒てあらに引戸ひきどを閉しめた。

花札はなふだは松田まつだ権蔵ごんぞうが持もっていった。それはみんなが見みていたことだ。しかしその翌日よくじつになると、義一よしかずはまた茣蓙ござに向むかって花札はなふだをもてあそんでいた。寄場よせばでは持物もちものを厳重げんじゅうに検査けんさされ、刃物はものとか花札はなふだ、賽さいころなどはもちろん取とりあげられてしまう。にもかかわらず、義一よしかずはまたあっさりと花札はなふだを手てにしていた。どこかに隠かくしてあったのか、それとも寄場よせばの中なかで手てに入いれたのか、誰だれにも見当けんとうはつかなかった。

「おめえは喧嘩けんかでここへ来きたと云いったな」と或ある日栄にちえい二には万吉まんきちに云いった、「このあいだもあぶなく立たちそうにしたが、決けっして相手あいてになるなよ」

「だがあにい、おらあがまんが続つづきそうもねえと思おもう」

栄二えいじは首くびを振ふった、「だめだ、あのりゅうというやつは匕首あいくちを持もってる」

「まさか」万吉まんきちは眼めをみはった、「匕首あいくちだなんてそんな」

「持もってるんだ、みんなには隠かくしてるが、おれ一人ひとりになるとふところから出だして、刃はにぬぐいをかけたりしている、むろんおれへの威おどしだろうが、あのとしごろがいちばんあぶないんだ、人ひとをあやめれば名なに箔はくが付つくと思おもってる、きっかけさえあればあれを使つかうだろう、わかったか」と栄二えいじは念ねんを押おした、「――どんなことがあっても、決けっして相手あいてになるんじゃあねえぞ」

「いまになにか起おこるな」と万吉まんきちは不安ふあんそうに云いった、「なにか起おこらずにはいねえような気きがするよ」

だから側がわへ寄よるな、と栄二えいじは云いった。

半月はんつきほど経たつうち、義一よしかずの誘惑ゆうわくに負まけて花札はなふだへ手てをだす者ものが出ではじめた。金太きんたがまず茣蓙ござの前まえへ坐すわり、参平さんぺいや武ぶや富三郎とみさぶろう、それによその部屋へやからも二人ふたり三さん人にんと加くわわるようになった。――栄二えいじは生うまれつき賭博とばくというものに対たいして、恐怖きょうふに近ちかい嫌悪けんお感かんをもっていた。芳かおる古こ堂どうの親方おやかたもまた賭かけ事ごとが嫌きらいで、弟子でしたちが夜よるの茶ちゃ菓子かしを買かうとき、使つかいにゆく者ものをきめるあみだくじさえ禁きんじるくらいであった。酒さけや女おんなの道楽どうらくはいつかやむが、賭かけ事ごとは生涯しょうがいやまないものだ、賭かけ事ごとをする人間にんげんは芳かおる古こ堂どうには置おけない、とつねに繰返くりかえしていたし、現げんに賭博とばくに熱中ねっちゅうしたため義理ぎりの悪わるいことをして、店みせにいられなくなった者ものが幾いく人にんかいたものだ。――義一よしかずのまわりに集あつまって、撒まかれたりめくられたりする花札はなふだの一いち枚まい々々に、息いきもつけないほどひき入いれられているかれらを眺ながめるたびに、栄二えいじは身みを誤あやまっていった兄弟きょうだい子こたちの姿すがたを、そのままそこに見みるような気きがした。

――こんなことがいつまでも続つづく筈はずはない、まもなく役所やくしょのほうへ知しれるだろう。

栄二えいじはそう思おもっていたが、まもなく、自分じぶんの考かんがえが浅あさかったことを知しった。義一よしかずがそうするには、それだけの手てが打うってあったらしい。人見ひとみ張はり役やくの小島こじま良りょう二郎じろうが来くると、すぐに花札はなふだは片かたづけられ、集あつまっていた者ものは散ちってしまう。そういうことを三さん度ど、五ごたびと見みるうちに、それは誰だれかが見廻みまわりに来くるぞ、という警告けいこくであることがわかった。

「ひどいことになったぜ、あにい」と万吉まんきちがそっと栄二えいじに囁ささやいた、「今日きょうでかけた仕事しごと先さきで金太きんたから聞きいたんだが、義一よしかずのやつは役人やくにんたちを金かねで抱だきこんでるそうだ」

「そんなことを口くちにするな」

「だってこのまんまでいいと思おもうかい」万吉まんきちは強つよい調子ちょうしで囁ささやいた、「もう気きがついてるだろうが、このもっこ部屋へやの人間にんげんは三みつに割われちまった、あにいに字じを習ならうなかまと、義一よしかずのまわりに集あつまる連中れんちゅう、それから小頭こがしらや与平よへいさんたちのような、なんにもできない弱よわい者ものたちさ、そう思おもわねえか」

栄二えいじは答こたえなかった。

「博奕ばくえきをやる連中れんちゅうは、あにいとおれたちなかまをけむったがってた、だがいまでは憎にくんでる、おれたちが博奕ばくえきをしねえだけでなく、手習てならいをやってるってことが癪しゃくなんだ」と万吉まんきちは続つづけた、「金太きんたのやつまでが、おれたちのことを白しろい眼めで見みていることを知しってるか、あにい」

栄二えいじはごくかすかに頷うなずいたが、やはりなにも云いわなかった。

「仕事場しごとばへいっても以前いぜんのようじゃあねえ、みんな怠なまけ癖ぐせが出ではじめた、ほんとだぜ」万吉まんきちは深ふかい呼吸こきゅうをしてから云いった、「――まじめに仕事しごとをするのは半分はんぶんぐらいで、あとはみせかけだけに動うごいてるか、ひでえのはまるっきり投なげちまってる、もっとひでえのは、隙すきをみちゃあ博奕ばくえきをやってるんだぜ、あにい」

この部屋へやの中なかもそうだ、と栄二えいじは心こころの中なかで呟つぶやいた。いつか与平よへいが云いったとおり、男おとこばかりが寝起ねおきしているにもかかわらず、この部屋へやはいつもきちんと片かたづいていたし、きれいに掃除そうじもゆき届とどいていた。けれどもいまはそうではない、自分じぶんのいまわりだけは片かたづけ、欠かかさず掃除そうじをする者ものもあるが、それも日ひを追おって少すくなくなり、ときたま小頭こがしらの伝七でんしちと与平よへいとで、部屋へやぜんたいの掃除そうじをするというふうになっていた。

「おらもうがまんができねえ」と万吉まんきちは囁ささやいていた、「お奉行ぶぎょうさまへ訴うったえて出でるつもりだ」

栄二えいじはゆっくりと首くびを振ふった、「よしたほうがいい、むだなことだ」

「お奉行ぶぎょうさまへ、じかにだぜ」

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