出がらしですと云って差出された茶は、言葉どおり出がらしだったし、舌を焦がすほど熱く淹れてあった。栄二とさぶは上り框に腰をかけ、娘は「いそがれているものだから」と断わって、ひろげてある縫物を取りあげた。
「こちらが」と娘は針を髪でこすりながら、栄二とさぶを等分に見てきいた、「――栄さんと仰しゃるんじゃないんですか」
「そうなんだよ」とさぶが答えた、「どうしてわかった」
「まぐれ当りよ」と娘が云った、「三郎さんの話は栄さんのことばかりだったでしょ、寝ている父にまで栄さんの自慢ばなしだったんですもの、だからあたしすぐに、そうじゃないかなって思ったのよ」
「おおげさなんだよ」さぶは栄二に向ってはにかみ笑いをした、「そんなに自慢ばなしなんかしやしなかった、ほんとだよ」
「さぶがいろいろお世話になったんでしょう」と栄二は娘に云った、「私からもお礼を申上げます」
「いいえ、お世話になったのはあたしたち親子のほうなんです」娘は針の手を止めて云った、「あたしたち、三郎さんがいなければここから追い出されるところだったんです」
さぶはめんくらって、とんでもねえ、おせえちゃんはなんでもおおげさだから困る、などと吃りながら云い、自分の声の高いのに気づいて口を手で塞いだ。おとうさんの病気はながいのか、と栄二がきき、娘はせっせと針を進めながら語った。――父親は長沼十樫といい、としは五十七歳になる。祖父の代までは微禄の御家人で、本所のほうの小屋敷に住んでいたらしい。父が家督をし、祖父が亡くなるとまもなく、小普請組のうち十年無役の者が召放しになった。お上の勝手元の都合によるもので、五十両という金を貰い、小屋敷を出なければならなかった。浪人した十樫は料理屋の女中だった女と結婚し、寺子屋のようなことをしてつましくくらしていた。そのあいだ幾たびとなく住居を移し、妻は三人の子を生んだが、上の二人は生れるとまもなく死に、三人めのおせいだけが丈夫に育った。生れたのは深川のどことかで、それから神田の柳原、いちじは日本橋にも住んだことがある。はっきり覚えているのは、下谷の御成道の太助店という長屋にいたときのことで、おせいは五歳だったが、母親は良人と娘を捨てて出奔した。十樫は浪人するときに貰った五十両を、万一の場合に備えて隠しておき、どうしても必要に迫られたときだけ、ちびちびと出して使っていた。生活はごくつましかったので、その残りはまだ三十両以上もあった。それを妻が発見し、出奔するときに残らず持っていってしまった。――皮肉なことではあるが、十樫が万一の場合にと大事にしていた金が持ち去られたあと、まもなくその「万一の場合」がやってきた。十樫はその年の冬、急に手足の関節が病みはじめて、寺子屋で教えることもできず、寝たっきりで呻吟するようになった。初めのうちは教え子の親たちに頼んだり、相長屋の人たちの情けで食いつないだが、そんなことが続くわけはなく、一年と経たないうちに態よく長屋を追いだされた。どうしようもない、十樫は恥を忍んで、長沼の本家へ泣き込み、そこで三年のあいだくらした。本家の長沼は二百石あまりの小旗本で、麹町に屋敷があった。家族が多いので生活も苦しかったのだろう、十樫親子は物置のようなところへ入れられ、乞食同様に扱われた。――それでも飢え死をするよりはましだ、と十樫は云っていたが、おせいは三年めに「ここを出よう」と泣いて父をくどいた。本家の末っ子で十五歳になる男の子が、おせいにいたずらをしかけるのである。父に告げればどんな騒ぎになるかもしれない、九歳の知恵でそう判断し、理由は云わずにせがみ続けた。そうして麹町の家を出、本所の業平というところから、浅草の山谷、新鳥越、また本所へ戻って清水町と移りあるいた。このあいだに十樫の病気がいちじ軽快し、清水町にいた二年ほどはほそぼそながら寺子屋をひらくことができた。
「あたし父よりも母に似ているらしいんです」と云って娘は微笑した、「――父は温和しい一方でしょ、母のことはほんのうろ覚えなんですけれど、父の話やなんか思い合わせると、気の強い、はきはきした、どっちかというと派手好きな性分だったようですわ」
本所清水町で寺子屋を始めたのも、おせいが父にすすめたのだし、二年そこそこで病気が再発しても、おやめなさいとは云わなかった。おせいは麹町を出てから、ゆくさきざきで子守や走り使いをし、ときには長屋の狭い土間へ、駄菓子の箱を並べたりした。そうしながら一方では、縫物の上手な人がいれば、むりに頼んで教えてもらった。どこの町内にもそういう人はいるもので、十五の年にはもう絹物が扱えるようになった。
「ごめんなさい、こんな勝手ななが話をして」と云って娘は二人に頬笑んだ、「――父がまた倒れ、それからまもなくここへ移って来ましたの、ここなら知っている人はいませんから、としを隠してもわからないでしょ、去年の三月に来たとき、あたし十八だっていったんです、そのほうがいいお仕事も貰えるし、仕立賃もね」
そしていたずらっぽく首をすくめてみせた。栄二はもういちど、おとうさんの病気は、ときき直した。娘はあっさりした口ぶりで、痛んできたらあたためるだけで、そのほかに治療法はないそうだと答えた。父親に愛情をもっていないというのではなく、それがそうであるならどうしようもない、といったふうな、さっぱりと割り切った調子であった。
やがて雨があがり、二人は礼を述べて外へ出た。いまの夕立の名残りで、道の上には水溜りができ、道の両端にある溝は、溢れるほどの流れになっていた。
「くたびれやしないかい」とさぶが栄二にきいた。
「しっかりした娘だな」栄二は殆んど眼につかないくらいに片足をひきずりながら云った、「あの身の上ばなしなんかも、むだがなくって要領がいい、頭が切れるんだな」
「おいらがあの長屋へはいったのは十月で、十二月には坂本のうちを借りたから、本当につきあったのは八十五、六日なんだが」とさぶはいつもの舌ったるい調子で云った、「――そのあいだにいまの身の上ばなしを十回くらいも聞いたよ」