住居や家のしょうばいのことは決して話さない。逢うときはおみののほうから知らせて来るし、場所はいつも一流の茶屋で、費用も一度として彼に払わせたことがない、使った金は五十両に近いだろう、彼はすっかりのぼせあがってしまった。
「あのとおりの縹緻で、金がふんだんにあって、おまけに触れなば落ちんという風情でもちかけられるんだ、これでのぼせあがらなければ男じゃあない、そうだろう」
「なんだか化かされてるみたような、いっそきみの悪い話じゃあありませんか」
「これがもし化かされてるんなら」と彼は酒を呷って云った、「生涯化かされたままでいたいようなもんだ」
そのへんで頭の芯まで酔いがまわったらしい、おそろしく熱をあげて饒舌ったあげく、酔い潰れて横になった。むろん吉田屋のその座敷で潰れたものと思っていたが、眼をさましてみると水谷町の自分の家で、夜はすっかり明けていた。――いつどうして帰ったか、酔い潰れてからの記憶はまったくない。枕許に折詰や手提や財布、鼻紙などが置いてあり、しらべてみると、手提の中も財布も、持って出たときのままで異状はなかった。
「ふしぎな娘だ」頭の痛みに顔をしかめながら、彼は口の中で呟いた、「約束を守らなかったので怒った筈だが、それでも勘定は払い、土産の折まで持たせたのか」
よほど世馴れた年増でも、こういうことはできないだろう。彼は宿酔の重い気分のなかで、うれしさのあまりぞくぞくした。三十八にもなるし、女には飽きるほど馴れているのに、いま自分がうれしくってぞくぞくしているということを、彼は正直に認めた。
その日は治療に来る病人も少なく、午ちかいじぶんに朝食を喰べると、得石は病家へみまいにゆくと云って、平松町の豊島屋へでかけた。――豊島屋は旅館で、門七という男に経営させている。始めてから五年、座敷の数は七つしかないが、客だねがよく、繁昌するので、いま建増しをしているところであった。しかし宿屋だけが商売ではなく、彼は門七に金貸しもやらせていた。
水谷町で同棲しているおくにもそうであるが、門七もまた徳田石順という、本道婦人科の医者の家で下男をしていた。得石は徳田家で修業しているうち、門七の人柄に眼をつけ、五年まえに豊島屋を買ったとき、徳田家からひきぬいて経営を任せた。彼が見込んだとおり、門七はなかなか切れる男で、二年と経たないうちに資金を回収した。得石はそこで、金を遊ばせておく手はないと考え、門七に相談して、日済し貸しをやらせてみたが、これもまず順当に儲けをあげ、現在では貸し金の総額が百二十両あまりになっていた。もちろん「日済し」のほうを主にしているが、問屋町が近いので、去年から三十日限の「時貸し」もするようになった。
「おれには運が付いてる」平松町へゆく途中で、彼は満足そうに呟いた、「ふしぎなくらい運が付いているぞ」
豊島在にある生家は小百姓で彼は又助といい五人きょうだいの長男だったが、五反歩たらずの土にしがみついて、働きどおしに働きながら、食うだけが精いっぱいという生活に見切りをつけ、十三の年に江戸へ小僧に出た。――下谷御徒町の下総屋という薪炭商に奉公したが、半年ばかりで暇を取り、長者町二丁目の徳田石順の家へ移った。徳田家は下総屋の顧客で、又助は炭や薪を持って出入りするうち、石順の妻女に認められたのであった。
――おれの運は初めから女が持って来てくれた。
彼はいまそう思う。又助は石順の妻女に泣いてみせた。医者になるのが一生の願いである、どんな苦労もいとわないから医者になりたい、そう云って涙をこぼした。
「おれは生れつき、女の心を掴む腕があったんだな」と得石は呟く、「心ばかりではなく躯のことでも、人にはわからない勘どころがわかるんだ」
玄関番になったのが十七歳、それまでにかなり勉強したが、学問のほうはあまり進まなかった。石順や代脈のすることを見ているうちに、いつか診察や投薬のこつを覚え、ぬけ遊びにいっては、岡場所の女などで実地にためしてみた。――それを繰返しているうちに、中年の女の病気の大半が、じつは病気ではなく、精気の不通ととどこおりだということに気がついた。彼はここでもまた、女たちによって道をひらくことができたのである。石順や代脈が留守のとき、彼は婦人科の客にそれをためしてみた。すると五人のうち三人くらいは、明らかに反応を示し、違和が軽快するのを慥かめた。
――その治療法は恥ずべきものとされていた。
婦人科ではそういう診察や治療法は、もっとも卑しく恥ずべきものといわれていた。彼は知らなかったが、患者の中に特に彼を名ざして来る者が多くなり、石順にはその理由がわかったのだろう、それが医者としてどんなに卑しいことであるかを告げ、留守に診察することはならぬと禁じた。だが徳田家は流行っており、石順も代脈もいないことがしばしばあるため、彼が診察することもしぜん黙認されるようになった。こうしてやがて、むさし屋の妻女があらわれたのだ。
彼の治療法を誰かに聞いて、好奇心にかられて来たらしい。おそのというその妻女は、初めの一度で彼のとりこになり、五度ぐらいかよって来ると、「金を出すから自分で開業したらどうだ」と云いだした。彼はそのとき危ない立場にあった。婦人患者の一人が、彼の子をみごもり、良人にみつかって自殺したのである。治療ちゅうにふとあやまちを犯したもので、相手が誰かという証拠はなかったが、良人は彼だと見ぬいているようであった。
「あのときは助かったな」と彼はそのときの危なかった立場を思いだすように、ちょっと身ぶるいをした、「――むさし屋のおそのがあらわれなかったら、徳田家にもいたたまれなくなったろうし、いまごろは人足にでもなっていたかもしれない」