← Library‹ 五瓣の椿 第三話 五

住居じゅうきょや家いえのしょうばいのことは決けっして話はなさない。逢あうときはおみののほうから知しらせて来くるし、場所ばしょはいつも一流いちりゅうの茶屋ちゃやで、費用ひようも一いち度どとして彼かれに払はらわせたことがない、使つかった金かねは五十ごじゅう両りょうに近ちかいだろう、彼かれはすっかりのぼせあがってしまった。

「あのとおりの縹緻きりょうで、金きんがふんだんにあって、おまけに触ふれなば落おちんという風情ふぜいでもちかけられるんだ、これでのぼせあがらなければ男おとこじゃあない、そうだろう」

「なんだか化ばかされてるみたような、いっそきみの悪わるい話はなしじゃあありませんか」

「これがもし化ばかされてるんなら」と彼かれは酒さけを呷あおって云いった、「生涯しょうがい化ばかされたままでいたいようなもんだ」

そのへんで頭あたまの芯しんまで酔よいがまわったらしい、おそろしく熱ねつをあげて饒舌しゃべったあげく、酔よい潰つぶれて横よこになった。むろん吉田よしだ屋やのその座敷ざしきで潰つぶれたものと思おもっていたが、眼めをさましてみると水谷みずたに町まちの自分じぶんの家いえで、夜よるはすっかり明あけていた。――いつどうして帰かえったか、酔よい潰つぶれてからの記憶きおくはまったくない。枕許まくらもとに折詰おりづめや手提てさげや財布さいふ、鼻紙はながみなどが置おいてあり、しらべてみると、手提てさげの中なかも財布さいふも、持もって出でたときのままで異状いじょうはなかった。

「ふしぎな娘むすめだ」頭あたまの痛いたみに顔かおをしかめながら、彼かれは口くちの中なかで呟つぶやいた、「約束やくそくを守まもらなかったので怒おこった筈はずだが、それでも勘定かんじょうは払はらい、土産みやげの折おりまで持もたせたのか」

よほど世馴よなれた年増としまでも、こういうことはできないだろう。彼かれは宿酔ふつかよいの重おもい気分きぶんのなかで、うれしさのあまりぞくぞくした。三十さんじゅう八はちにもなるし、女おんなには飽あきるほど馴なれているのに、いま自分じぶんがうれしくってぞくぞくしているということを、彼かれは正直しょうじきに認みとめた。

その日ひは治療ちりょうに来くる病人びょうにんも少すくなく、午ひるちかいじぶんに朝食ちょうしょくを喰たべると、得とく石せきは病家びょうかへみまいにゆくと云いって、平松ひらまつ町まちの豊島としま屋やへでかけた。――豊島としま屋やは旅館りょかんで、門もん七ななという男おとこに経営けいえいさせている。始はじめてから五ご年ねん、座敷ざしきの数かずは七ななつしかないが、客きゃくだねがよく、繁昌はんじょうするので、いま建増たてましをしているところであった。しかし宿屋やどやだけが商売しょうばいではなく、彼かれは門もん七ななに金貸かねかしもやらせていた。

水谷みずたに町まちで同棲どうせいしているおくにもそうであるが、門もん七ななもまた徳田とくだ石いし順じゅんという、本道ほんどう婦人ふじん科かの医者いしゃの家いえで下男しもおとこをしていた。得とく石せきは徳田とくだ家かで修業しゅぎょうしているうち、門もん七ななの人柄ひとがらに眼めをつけ、五ご年ねんまえに豊島としま屋やを買かったとき、徳田とくだ家かからひきぬいて経営けいえいを任まかせた。彼かれが見込みこんだとおり、門もん七ななはなかなか切きれる男おとこで、二に年ねんと経たたないうちに資金しきんを回収かいしゅうした。得とく石せきはそこで、金かねを遊あそばせておく手てはないと考かんがえ、門もん七ななに相談そうだんして、日済ひなし貸かしをやらせてみたが、これもまず順当じゅんとうに儲もうけをあげ、現在げんざいでは貸かし金きんの総額そうがくが百ひゃく二十にじゅう両りょうあまりになっていた。もちろん「日済ひなし」のほうを主おもにしているが、問屋町といやまちが近ちかいので、去年きょねんから三十さんじゅう日にち限げんの「時貸ときがし」もするようになった。

「おれには運うんが付ついてる」平松ひらまつ町まちへゆく途中とちゅうで、彼かれは満足まんぞくそうに呟つぶやいた、「ふしぎなくらい運うんが付ついているぞ」

豊島としま在にある生家せいかは小しょう百姓ひゃくしょうで彼かれは又助またすけといい五ご人にんきょうだいの長男ちょうなんだったが、五ご反歩たんぶたらずの土つちにしがみついて、働はたらきどおしに働はたらきながら、食くうだけが精せいいっぱいという生活せいかつに見切みきりをつけ、十じゅう三さんの年としに江戸えどへ小僧こぞうに出でた。――下谷したや御徒町おかちまちの下総屋しもうさやという薪炭しんたん商しょうに奉公ほうこうしたが、半年はんとしばかりで暇ひまを取とり、長者ちょうじゃ町ちょう二に丁目ちょうめの徳田とくだ石いし順じゅんの家いえへ移うつった。徳田とくだ家かは下総しもうさの屋やの顧客こきゃくで、又助またすけは炭すみや薪たきぎを持もって出入でいりするうち、石いし順じゅんの妻女さいじょに認みとめられたのであった。

――おれの運うんは初はじめから女おんなが持もって来きてくれた。

彼かれはいまそう思おもう。又助またすけは石いし順じゅんの妻女さいじょに泣ないてみせた。医者いしゃになるのが一生いっしょうの願ねがいである、どんな苦労くろうもいとわないから医者いしゃになりたい、そう云いって涙なみだをこぼした。

「おれは生うまれつき、女おんなの心こころを掴つかむ腕うでがあったんだな」と得とく石せきは呟つぶやく、「心こころばかりではなく躯むくろのことでも、人ひとにはわからない勘かんどころがわかるんだ」

玄関げんかん番ばんになったのが十じゅう七なな歳さい、それまでにかなり勉強べんきょうしたが、学問がくもんのほうはあまり進すすまなかった。石いし順じゅんや代脈だいみゃくのすることを見みているうちに、いつか診察しんさつや投薬とうやくのこつを覚おぼえ、ぬけ遊あそびにいっては、岡おか場所ばしょの女おんななどで実地じっちにためしてみた。――それを繰返くりかえしているうちに、中年ちゅうねんの女おんなの病気びょうきの大半たいはんが、じつは病気びょうきではなく、精気せいきの不通ふつうととどこおりだということに気きがついた。彼かれはここでもまた、女おんなたちによって道みちをひらくことができたのである。石いし順じゅんや代脈だいみゃくが留守るすのとき、彼かれは婦人ふじん科かの客きゃくにそれをためしてみた。すると五ご人にんのうち三さん人にんくらいは、明あきらかに反応はんのうを示しめし、違和いわが軽快けいかいするのを慥たしかめた。

――その治療ちりょう法ほうは恥はずべきものとされていた。

婦人ふじん科かではそういう診察しんさつや治療ちりょう法ほうは、もっとも卑いやしく恥はずべきものといわれていた。彼かれは知しらなかったが、患者かんじゃの中なかに特とくに彼かれを名なざして来くる者ものが多おおくなり、石いし順じゅんにはその理由りゆうがわかったのだろう、それが医者いしゃとしてどんなに卑いやしいことであるかを告つげ、留守るすに診察しんさつすることはならぬと禁きんじた。だが徳田とくだ家かは流行はやっており、石いし順じゅんも代脈だいみゃくもいないことがしばしばあるため、彼かれが診察しんさつすることもしぜん黙認もくにんされるようになった。こうしてやがて、むさし屋やの妻女さいじょがあらわれたのだ。

彼かれの治療ちりょう法ほうを誰だれかに聞きいて、好奇こうき心しんにかられて来きたらしい。おそのというその妻女さいじょは、初はじめの一いち度どで彼かれのとりこになり、五ご度どぐらいかよって来くると、「金かねを出だすから自分じぶんで開業かいぎょうしたらどうだ」と云いいだした。彼かれはそのとき危あぶない立場たちばにあった。婦人ふじん患者かんじゃの一人ひとりが、彼かれの子こをみごもり、良人おっとにみつかって自殺じさつしたのである。治療ちりょうちゅうにふとあやまちを犯おかしたもので、相手あいてが誰だれかという証拠しょうこはなかったが、良人おっとは彼かれだと見みぬいているようであった。

「あのときは助たすかったな」と彼かれはそのときの危あぶなかった立場たちばを思おもいだすように、ちょっと身みぶるいをした、「――むさし屋やのおそのがあらわれなかったら、徳田とくだ家かにもいたたまれなくなったろうし、いまごろは人足にんそくにでもなっていたかもしれない」

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