← Library‹ 泥棒と若殿 十一

食膳しょくぜんに向むこうと伝九郎でんくろうはもういちど驚おどろいた。

「おめえこれあ、これあどうして、ちゃんとしたもんじあねえか」

「――ちゃんとしたもの、とは、なにがだ」

「飯めしも上出来じょうできだし魚さかなの焼やきかたもいいし、おまけに芹せりのしたしたあ驚おどろいた、こいつあたいした驚おどろきだ、兜かぶとをぬいだぜ」

成せい信しんは笑わらってなにも云いわなかった。

「お侍さむらいは恐こわえてえことを云いうがまったくだな、すまして肩かた肱ひじを張はってるが、いざとなれあこんなこともできるんだ、やっぱり修業しゅぎょうてえものが違ちがうんだな」

「――そう褒ほめるな、まぐれ当あたりだ」

「御ご謙遜けんそんにあ及およばねえ、と、思おもいだしたんだが、おめえさっきこれにあわけがあるとか云いったようだが、あれあなんだ」

「――うん、しかしそれは、喰たべてからに、しよう」

「気きをもたせねえで呉くれ、心配しんぱいになるぜ」

食事しょくじをしながら話はなすつもりだった。しかし箸はしをとってみると口くちがきれない、それでいっとき延のばしたわけであるが、食事しょくじが済すみ、あと片かたづけが終おわって、いつもの炉端ろばたへ坐すわってからも、胸むなさきの詰なじるような気持きもちで、どうにも話はなしができなかった。

「どうしたんだ、わけてえのはなんだ」

「――なに、たいしたことでは、ないさ」

「たいしたことでねえにしても、話はなしを聞きかなくちあおちつかねえ、云いって呉くんねえな」

成せい信しんは蚊遣かやりの煙けむりにむせて、咳せきをしながら脇わきへ向むき、笑わらいながら、じつはわけもなにもない、あのときのでまかせだと云いった。

「冗談じょうだんじあねえ本当ほんとうかいそれあ、本当ほんとうになんにもわけあねえのかい」

「――いちどぐらいは、おれが煮炊にたきをして、伝でん九きゅうに喰たべて貰もらいたかった、おまえにはずいぶんながいあいだ、世話せわになったから」

「やめたやめた、そんな水臭みずくさえこたあ聞ききたくあねえ、おらあ横よこにならして貰もらうぜ」

伝九郎でんくろうはそこへ寝ねころび、手足てあしをうーんと思おもいきり踏ふみのばした。――いつもそうして、その日ひの仕事場しごとばの出来できごとなどを話はなし、終おわりのほうは舌したがもつれて、欠伸あくびが欠伸あくびにつぐようになると、そのままそこで眠ねむってしまう。夜中よなかになって気温きおんの下くだるじぶん、成せい信しんが起おこして寝床ねどこへいれてやるのだが、その夜よるはいつもより早はやく、十じゅう時じ頃ころにはゆり起おこした。

「――さあ寝ねるんだ、風邪かぜをひくぞ」

伝九郎でんくろうは殆ほとんど夢中むちゅうのようで、這はって夜具やぐまでゆくとそれなり、手足てあしを投なげだして眠ねむりこけた。――成せい信しんはその寝姿ねすがたを、やや暫しばらく見みまもっていたが、裏庭うらにわの樹きをわたる風かぜの音おとを聞きいて、われに返かえったように立上たちあがった。――今いまだ、今いまゆかぬと気きが挫くじける。

時ときが経たつほどみれんが強つよくなる。朝あさまでというつもりだったが。早はやいほうがまちがいなしと思おもい切きって、なにもかもそのまま、立たっていってすばやく身み仕度したくをした。――袴はかまをはき、刀かたなを持もてばよい、広縁ひろえんのきしみを除のけて、沓脱くつぬぎの草履ぞうりをさぐり当あてた。そうして前庭ぜんていへ出でてゆくとたん、うしろから伝九郎でんくろうの声こえがした。

「おめえいっちまうのか、信しんさん」

成せい信しんは身みの竦すくむ思おもいで立停たちどまった。

「おれを置おいて、いっちまうのか」

「――伝九郎でんくろう、堪忍かんにんして呉くれ」成せい信しんは頭あたまを垂たれ、声こえをころして云いった、「――おまえはこの土地とちでりっぱに生いきてゆける、おれも生いきたい、おれも武士ぶしとして生いきたくなった、おまえがおまえらしく生いきるように、おれもおれらしく生いきたくなったんだ、……世話せわになり放はなしで済すまない、まことに済すまないがおれをゆかせて呉くれ」

「晩ばんの飯めしはこのためだったんだな」伝九郎でんくろうは広縁ひろえんの柱はしらを抱いだいたまま云いった、「おらあ信しんさんといっしょにいたかった、一生いっしょうふたりで暮くらせると思おもってたんだ、信しんさんと暮くらすようになってから、初はじめておらあ生いきる張合はりあいができ、世よのなかが明あかるくみえてきた、ようやっと人間にんげんらしい気持きもちになれたのに、――いまんなっておめえにいかれちまう、信しんさんてえものがいなくなる、……伝でん九きゅうが可哀かわいそうだたあ、思おもっちあ呉くれねえのか」

成せい信しんは夜よるの空そらをふり仰あおいだ、頭あたまをはげしく左右さゆうに振ふり、きっぱりと力ちからをこめて云いった。

「――また会あおう、伝でん九きゅう、人間にんげんにはそれぞれの道みちがある、おれはおれの道みちをゆくんだ、達者たっしゃでいて呉くれ、さらばだ」

成せい信しんは思おもいきって、大股おおまたにぐんぐん歩あるきだした。

「それじあ、いっちまうんだな、信しんさん」伝九郎でんくろうの声こえがうしろから追おって来きた、「おらあもうとめねえよ、――どうかりっぱに出世しゅっせして呉くんな、……祈いのってるからな、病やまねえようにして、――いつか、もしできたら、会あいに来きて呉くんな、信しんさん、おらあ待まってるぜ」

歯はをくいしばり、耳みみをふさぐおもいで、成せい信しんはずんずん門もんの外そとへ出でた。するとそこに誰だれかいてつくばった。

「お供ともをつかまつります」

鮫島さめしま平馬へいまである、成せい信しんは頷ずいて、そのまま道みちを下くだっていった。

まだ西風にしかぜが強つよく、夜空よぞらはちりばめたような星ほしであった。

――信しんさん、いっちまうのか信しんさん。

成せい信しんの耳みみには伝九郎でんくろうのかなしい声こえがいつまでも聞きこえていた。

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