← Library‹ ひとごろし 一

双子六兵衛ふたごろくべえは臆病おくびょう者しゃといわれていた。これこれだからという事実じじつはない。誰だれ一人ひとりとして、彼かれが臆病おくびょう者ものだったという事実じじつを知しっている者ものはないが、いつとはなしに、それが家中かちゅう一般いっぱんの定評ていひょうとなり、彼かれ自身じしんまでが自分じぶんは臆病おくびょう者しゃだと信しんじこむようになった。――少年しょうねんのころから喧嘩けんかや口論こうろんをしたためしがないし、危険きけんな遊あそびもしたことがない。犬いぬが嫌きらいで、少すこし大おおきな犬いぬがいると道みちをよけて通とおる。乗馬じょうばはできるのに馬うまがこわく、二十にじゅう六ろく歳さいになるいまでも夜よるの暗くらがりが恐おそろしい。鼠ねずみを見みるととびあがり、蛇へびを見みると蒼あおくなって足あしがすくむ。――これらの一ひとつ一ひとつを挙あげていっても、臆病おくびょう者しゃという概念がいねんの証明しょうめいにはならない。それは感受かんじゅ性せいの問題もんだいであり、多おうかれ少すくなかれ、たいていの者ものが身みに覚おぼえのあることだからだ。

この話はなしの出典しゅってんは「偏耳録へんじろく」という古こ記録きろくの欠本けっぽんで、越前えちぜん家かという文字もじがしばしばみえるし、「隆昌りゅうしょう院いんさま御ご百ひゃく年ねん忌き」とか、「探玄公こう、昌まさ安やす公こう、御ご涼りょうの地ちなり」などという記事きじもあるから、しらべようと思おもえば、藩はんの名なを捜さがすのは困難こんなんではないだろう。当時とうじの越前えちぜんには福井ふくいの松平まつだいら、鯖江さばえに間部まなべ、勝山かつやまに小笠原おがさわら、敦賀つるがに酒井さかい、大野おおのに土井どいの五ご藩はんがあった。けれども「越前えちぜん家いえ」とひとくちに呼よべるのは、まず福井ふくいの松平まつだいら氏しだと思おもうし、たとえそうでないにしても、話はなしの内容ないようにはさして関係かんけいがないから、ここでは福井ふくい藩はんということにしておきたい。「偏へん耳じ録ろく」によると、双子ふたご家かは永代えいたい御堀みほり支配しはいという役やくで、家禄かろくは百ひゃく八十はちじゅう石こく三十さんじゅう五ご人にん扶持ぶちだとある。城しろの内濠うちぼり外濠そとぼりの水量すいりょうを監視かんししたり、泥どろを浚さらったり、石垣いしがきの崩くずれを修理しゅうりしたりするものらしい。のちにこれらは普請ふしん奉行ぶぎょうの管轄かんかつに移うつされたが、双子ふたご家かの永代えいたい御堀みほり支配しはいという役やくはそのまま据すえ置おきになった。

要ようするに何十なんじゅう年ねんかまえ、双子ふたご家かは名目めいもくだけの堀ほり支配しはいで、実際じっさいには無役むやくになってしまったのだ。そして、誰だれも気きがつかなかったのか、それとも「永代えいたい」という文字もじに意味いみがあったのか、六兵衛ろくべえの代だいになっても、役目やくめだけで実務じつむなしという状態じょうたいが続つづいていた。――この出来事できごとが起おこったとき彼かれは二十にじゅう六ろく歳さい、妹いもうとのかねは二十にじゅう一いち歳さいであった。父母ふぼはすでに亡なくなり、僅わずかな男女だんじょの雇人やといにんがいるだけで、兄妹きょうだいはひっそりとくらしていた。六兵衛ろくべえも独身どくしん、妹いもうとのかねも未婚みこん。親族しんぞくや知友ちゆうもあったのだろうが、兄あににも妹いもうとにも、縁談えんだんをもちこむような人ひとはいなかった。筆者ひっしゃであるわたくしには、このままの兄妹きょうだいを眺ながめているほうが好このましい。当時とうじとしては婚期こんきを逸いっしたきょうだいが、世間せけんから忘わすれられたまま、安やすらかにつつましく生活せいかつしている、という姿すがたには、云いいようもない人間にんげん的てきな深ふかいあじわいが感かんじられるからである。――だが、話はなしは進すすめなければならない。

「お兄あにさま、どうにかならないのでしょうか」とかねは云いった、「わたくしもう、つくづくいやになりましたわ」

妹いもうとがなにを云いおうとしているか、六兵衛ろくべえはよく知しっていた。それは周期しゅうき的てきにやってくる女おんなの不平ふへいであり女おんなのぐちであった。

「今日きょうはね」と彼かれは話はなしをそらそうとした、「別部わけべさんの門もんの前まえで喧嘩けんかがあって」

「お兄あにさま」かねは兄あにの言葉ことばを容赦ようしゃもなく遮さえぎった、「あなたはわたくしの申上もうしあげたことが聞きこえなかったんですか」

「いや、聞きいてはいたんだがね、喧嘩けんかのことが頭あたまにあったものだから」

「わたくしもう二十にじゅう一いちですのよ」

「ほう」彼かれは眼めをみはってみせた、「二十にじゅう一いちだって、――それは本当ほんとうかね」

「わたくしもう二十にじゅう一いちです」

「ついこのあいだまで人形にんぎょうと遊あそんでいたようだがね」

「お友達ともだちはみなさんお嫁よめにいって、中なかには三さん人にんもお子こたちのいる方かたさえあります、それをわたくしだけがまだこうして、白歯しらはのままでいるなんて、恥はずかしくって生いきてはいられませんわ」

「喰たべないかね」と彼かれは云いった、「この菓子かしはうまいよ」

「この菓子かしはうまいよ」かねはいじ悪わるく兄あにの口くちまねをした、「お兄あにさまにはそんなことしか仰おっしゃれないんですか」

この辺へんで泣なきだすんだ、これがなによりもにがてだ、と六兵衛ろくべえは思おもった。けれどもかねは泣なかなかった。顔かおをこわばらせ、凄すごいような眼めで兄あにの顔かおをにらみながら、ふるふると唇くちびるをふるわせた。

「お兄あにさまにも嫁よめにきてがなく、わたくしにも一いち度どとして縁談えんだんがございません」とかねは云いった、「なぜだか御ご存ぞんじですか」

「そう云いうがね、世間せけんにはそういうことが」

「なぜだか御ご存ぞんじですか」

六兵衛ろくべえは黙だまり、もしも女おんなというものがみんな妹いもうとのようだとしたらおれは一生いっしょう独身どくしんでいるほうがいいな、と心こころの中なかで呟つぶやいた。

「みんなお兄あにさまのためです」とかねはきっぱりと云いった、「あなたが臆病おくびょう者しゃといわれているためなんです、侍さむらいでいて臆病おくびょう者しゃといわれるような者もののところへは、嫁よめも呉くれはしないでしょうし、嫁よめに貰もらいてもないのは当然とうぜんです、そうお思おもいになりませんか」

先月せんげつも同おなじ、先々さきざき月つきもそのまえも、定期ていき的てきに何なん年ねんもまえから、同おなじことを云いわれているように感かんじ、けれど六兵衛ろくべえはそんなけぶりもみせず、よく反省はんせいしてみるように、仔細しさいらしくなにかをみつめ、首くびをかしげた。

「そうだね」と彼かれは用心ようじんぶかく云いった、「そう云いわれてみれば」

「云いわれなければわからなかったと仰おっしゃるんですか」

「いやそんなことはない、そんなことはないさ、自分じぶんだってうすうすは感かんづいていたんだ」

「うすうす感かんづいていたんですって」とかねは膝ひざの上うえの拳こぶしをふるわせながら云いった、「――それならなにかなすったらいかがですか、なにかを、そうよ、臆病おくびょう者しゃなどという汚名おめいをすすぐために、もうなにかなすってもいいころではありませんか、そうお思おもいになったことはないんですか」

「自分じぶんでもときどきそう思おもうんだが」六兵衛ろくべえは溜息ためいきをつきながら云いった、「なにしろその、道みちに落おちている財布さいふを拾ひろう、というようなわけにはいかない問題もんだいだからね」

「お拾ひろいなさいな」とかねは云いった、「道みちにはよく財布さいふが落おちているものですわ」

慥たしかに、彼かれは道みちに落おちていた財布さいふを拾ひろった。しかもたいへんな財布さいふを。ここで「偏へん耳じ録ろく」の記事きじを二三にさん引用いんようしなければならない。

――延享えんきょう二に年ねん十じゅう月がつ五いつ日か、江戸えど御ご立りつ、同どう十じゅう八はち日にち御ご帰城きじょう。三さん年ねん丑うしの八はち月がつ、将軍しょうぐん家重公いえしげこう御上洛ごじょうらく。同年どうねん芳江よしえ比ひ巴は国こく山やま兎狩うさぎがり御お出で。

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